第7話 一歩
おにいちゃんがいなくなって2日過ぎた。どれだけ待っても私のところに戻ってきてくれない。いなくなる直前までいつも通りだった。おとーさんの時も同じだった。出かける前に私の頭をなで、直ぐに帰ってくると笑いかけてくれた。そして、二度と会う事は叶わなかった。
ご飯を食べても体が拒絶反応を起こし、すべて吐き出してしまう。美味しくない。いつもと同じ料理のはずなのに美味しさが感じられない。手先も冷たくて、震えが止まらない。
思考が上手くまとまらず、何も思い浮かばない。どうするべきだったのか、これからどうすればいいのか。
もしかしたら、あと数分後にはおにいちゃんが帰ってくるかもしれない。そうだ、きっとそうだ。
――本当にそう思うの?
うるさい! だっておにいちゃんが私をおいて居なくなるはずがない。
帰ってきたら説教するんだ。おにいちゃんは慌てて謝るだろうけど、私はそう簡単に許してあげない。そうしたら、困った顔をしつつ、美味しい料理を作って私のご機嫌とりをすることだろう。私は頬を膨らませつつも、仕方がないといって許してあげるんだ。おにいちゃんは、ますます私に頭が上がらなくなることだろう。だから、待っておくのが一番いいに違いない。
――後悔しない?
後悔?後悔ならすでにしているよ!何のために私が無理をいっておにいちゃんに付いていったと思ってるの!!おとーさんの時みたいな思いをしないために決まってるじゃん!
――だから力をつけたんじゃないの?
そうだ、そうだった。私は以前の無力な私ではない。おにいちゃんに鍛えてもらって魔法が使えるようになった。魔物だって倒せるようになった。
今ならまだ間に合うかもしれない。
よくよく考えれば、あのおにいちゃんが私に何も言わずにこんなに長く居なくなるはずがない。これだけ 帰ってこないとなると、何かトラブルに巻き込まれた可能性が高い。私が行ったところでなんとかなるとは限らないけど、いないよりは選択の幅が広がるはずだ。何より、私の知らないところでおにいちゃんに何かおこるのは絶対に嫌だ。
――だったら?
行こう、おにいちゃんを探しに。そして、また二人で楽しく過ごすんだ!
森の手前で足を止める。何でかは分からないけれど、この先におにいちゃんがいるような気がする。
そっと右手の人差し指に嵌めている指輪を撫でる。
これはおにいちゃんが私のために特別に作ってくれたものだ。私は1人じゃない。その事実だけで私は前に進むことが出来る。
「プルキエス!」
5度目の魔法の直撃により頭部を失った、真っ黒な熊がその身を地面に横たえる。これで何十体目であろうか、森に入ってから引っ切り無しに魔物が私を襲う。
最初はゴブリン、魔狼といった、初心者向けの魔物ばかりだった。おにいちゃんとの特訓の成果か、余裕を感じることが出来ていた。だけど、奥に進むにつれ黒オークや黒牙狼といった、体全体が黒色の魔物が増えてからは余裕がなくなってきた。
大きく深呼吸をして呼吸を整える。服は上着もスカートも所々裂け、肌を露出する羽目になっている。擦り傷の数はもう数え切れない。折角おにいちゃんに作ってもらったのにこんなにボロボロになるなんて最悪だ。でも、泣き言なんていってられない。早くおにいちゃんを探さなくては。
しかし、こんなときに限って思う通りに進んでくれない。枝が折れる音と共に目の前の草が大きく揺れ、黒い魔物が顔を覗かした。
魔物が四肢に力を入れたと思ったら、気づいたときには私の眼前まで巨大な顎が迫っていた。咄嗟に体を右に倒し、地面を転がる。
まずい、反応が出来なかった。間違いなく私より素早い。今避けられたのは奇跡のようなものだ。
魔物のほうをみてみると、先ほどまで私の後方にあった巨木に牙をつき立てていた。そのまま牙が抜けずに身動きが取れなくなることを願ったが、残念ながらその祈りは届きそうにない。牙が刺さっている周囲から一瞬にして黒く染まり、その巨木は朽ち果ててしまった。
もしかしたらああなっていたのは私かもしれないと思うと、身震いしてしまう。あの牙で噛まれれば間違いなく死んでしまう。
魔物の強さを再確認すると、思わず笑みが毀れそうになる。諦めたわけではない。ただ、おにいちゃんがどれだけ凄いのか分かって嬉しいだけだ。
おにいちゃんはこれよりも更に凶悪な魔物の集団にいつも向かってくれていたんだ。それも私たちのため
に自分を省みず。
おかーさんが昔寝る前によく話してくれた物語。ピンチになったら助けてくれるヒーロー。陰ながら人々の生活を守ってくれるヒーロー。そんな、小さい頃から憧れていた人々から崇拝されるヒーローみたいなのがおにいちゃんだ。でも、決して近寄りがたい訳じゃなかった。お話しすると楽しいし、そばにいると安心する。何より触れてくれると嬉しくなるし、構ってくれないと心が痛み泣きそうになる。
この気持ちの正体が一体全体何なのかは分からない。ただ、一ついえることは、おにいちゃんは私のものだ。絶対誰にも渡したくない。
ボロボロになった体を気力で起こし、魔物と向き合う。攻撃速度で勝てないのはもう分かった。今度はもう避けられないだろう。でも、避けられないならば避けなければいいだけだ。
それは、おにいちゃんと二人で協力して習得した魔法。
「グラウィタス!!」
私の魔力の流れを感じたためか、魔物は注意深く様子を伺っている。しかし、どれだけ待っても何か起きる気配がない。
馬鹿にされたと感じたのが、魔物のまとう空気が一段と濃くなり憎悪の瞳を向けてくる。
目の前から魔物の姿が掻き消える。感じ取れるのは微かな残像と、その速さにより発生する突風だけだ。 魔物が地面と木々を足場として、縦横無尽に駆け回る。もはや、その姿を捉える事は叶わない。だけど、それでも問題はない。
「グルァ!?」
背後で魔物の悲鳴がああった。
魔物の攻撃を避けられないならば、動きを止めてしまえばいい。おにいちゃんが教えてくれた戦法だ。
【?魔法】「グラウィタス」(消費MP500)
任意の場所に重力場を発生させる。指定範囲が狭ければ狭いほど、重力が大きくなる。
「重力」という言葉。おにいちゃんが私に教えてくれたが、難しくて良く理解できていなかったのは秘密だ。ただ、相手に重さを加えるということだけはなんとなく理解できた。
振り返ると、魔物はその場から逃れようと必死でもがこうとしている。しかし、重力により地面に縫いつけられ動くことは叶わない。
一気に片をつけるべく、残っている魔力を搾り出す。
「プルキエス、プルキエス、プルキエス、プルキエス、プルキエス、プルキエス、プルキエス……」
一際甲高い悲鳴が鳴り響く。全身穴だらけになった魔物はついに活動を停止させた。
おにいちゃんに再び合流するまで魔物に負けるわけにはいかない。
少しでも早くおにいちゃんの所に。
私は疲労の蓄積した体を引きずりつつも、次の一歩を踏み出した。
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