⑧くじ引き
「今から向かう先に顔を出すとさ、多分そのままこき使われると思う」
ブルーベル嬢にさよならをして屋敷を出た後、二人は貸衣装屋に服を返却して元の格好に戻った。レイがいつもの眼鏡に戻したのを密かに安堵しながら、また後ろについて回る事にした。先ほどの小さな音楽会が素晴らしかったからである。
「今、僕が住んでいる所を安く借りる代わりに、定期的に顔を出さないといけない場所で。えっと……、身寄りのない子供とか病気の人とかを集めて面倒を見ている施設。一応は教会が主導しているけど、責任者を地元の名士にお願いしてから、ちょっと体制が変わりつつある」
どこへ行くのかと尋ねると、レイはそんな説明をしてくれた。
「その新しく責任者になった人が、要するにこの周りの土地を持っていた地主さんだったんだよね。住んでいる人達に、援助の必要性説いて回ったわけだ。それに共感したり、そこまで行かなくても手伝うくらいなら、って定期的に集まっているのが今の形」
単純な力仕事に子供の相手、施設の整備に必要な技能があれば快く提供している人、着なくなった服や衣料品を手直しして寄付する人もいるそうだ。レイも子供の相手や、行事があれば作品を披露して楽しませる役を買って出ているらしい。
「わかった、頑張ってみる。子供の相手は任せて」
得意分野、とマリラは胸を張って答えた。レイは心配そうな顔をしている。せっかくの休日なのに、と呟いている。
「……これでも、時間と機会、気持ちの余裕があったらって。そう思っていたのは本当だから。大した事はできないけど」
あまり良い思い出はなくても、マリラもその手の施設に入っていたのだ。教会の系列ではなく、どこかの金持ちが慈善家として名前を売るために作って、中の子どもにはあまり興味がなかったらしいけれど。
マリラは施設が解体された時点である程度の年齢だったので、そのまま放り出された。小さな子達は他の施設へ引き取られて行ったのだと、後になって知った。元気に暮らしていればいいな、と思う。
「あ、そうそう。今から行く場所でカトレアって名前の女性に会ったら、私は隣国語ができますってさり気なく宣伝しておいた方がいいよ。さっきのブルーベル嬢のお姉さんで、家が経営している商会の跡継ぎ娘だから。もしかしたら、マリラさんに仕事を仲介してくれるかもしれない」
果たして今のマリラの言語能力で大丈夫なのかと自信がないのだが、レイは厳重に念押しして来る。わかった、と根負けして、二人は街の中を歩いた。
辿り着いた先は、古い時代に造られた石造りの教会のようだ。手入れがされているので荒れてはおらず、落ち着いた雰囲気で佇んでいた。
男の人達が入り口のそばに数人集まって、柄の長い箒で壁を綺麗にしている。一度塗り直したいよな、それなら伝手が、と話し声が聞こえた。
「よう、おつかれ。景気はどうだ先生」
「……そこそこ儲かってますよ、お疲れ様です」
どうやらレイは先生役として、ここでは通っているらしい。敷地内では複数の子供が走り回り、賑やかにはしゃぐ声が響いている。
「あ! 先生じゃん元気? え、女の人と一緒に来たの?」
すごくびっくり、と言わんばかりに集まって来た少年達を、レイは初めて会う人には挨拶しなさい、と真面目に窘めた。彼らはその言葉に素直に従って、マリラに少々照れくさそうに頭を下げて、そのまま走り去って行った。
彼らが去っていた方向に目を向けると、花壇にいっぱいなのは雑草ではなく、きちんと手入れがされた花が咲いているようだ。日当たりの良さそうな場所には椅子が並べられて、齢の重ねた人たちがのんびりと談笑していた。
そこにお父さん、と呼びながら奥から現れたのはマリラと同い年位の女性だ。後ろで高く結んである髪が、活発な性格を思わせる。
「お父さん、後で人数教えてね、お菓子出したいから。あ、先生どうも。えっと、そちらは……」
「何でも言って下さい。お手伝いしますよ」
「あら、すごく助かります。それなら今、中で女の子達を順番にお風呂で綺麗にしているんだけど、そっちに参加しません?」
行ってくるね、とマリラはレイとそこで別れた。セシルと名乗った相手と少し話すと、どうやら同い年だった事が判って、それならと気安い空気になった。どこ出身なのかと問われて、マリラは街の西の地区だと話をしながら、建物の中を進んだ。
「えっと、あの隣国人さんのお友達? あの人、当たり前にこっちの言葉をぺらぺら喋るからちょっとびっくりするよね」
最初はそうだったな、とマリラは知り合ったばかりの事を思い出した。どういう経緯で、とセシルは興味津々で話の先を促して来た。
「私は酒場で働いているんだけど、以前にお客さんで来ていた人で」
「へええ、なんだか意外。あ、この人は新戦力のマリラさんです」
話しながら辿り着いた建物の一画は、お湯を使っているせいか空気が蒸し暑かった。タオルや子供用の小さな服を手に待機していたのは若い女性達が四人ほど。どうもこんにちは、と順番に簡単な自己紹介が始まった。
浴室らしいドアの向こうでは、コラー大人しくしなさい、と既に格闘が始まっているようだ。子供特有の甲高い声と奮戦する大人の声とが聞こえている。
「じゃあマリラさんは初めてだから、私と一緒に身体を拭いてあげる係ね。よろしく」
「……それより最後に髪を綺麗に結んであげる係の方が良いんじゃないかな? 暴れるから濡れちゃうし」
セシルは口を挟んで来た相手の顔をまじまじと見返して、少々意地の悪い笑みを浮かべた。
「あんたなんて最初に来た時、後ろで見ているだけだったもんね、カトレア」
「だ、だってあの時はお父様が、……パパが、見ているだけで良いとか余計な事を言うから」
この人はすごくお嬢様なの、と違う誰かがあけすけな紹介をした。その肩書の割には服装が浮いていないので、他の子に合わせているのかもしれない。
「ごめんごめん。ここの責任者にカトレアを鍛えてやって、って言われているから。カトレアのおばあさんに当たる方が、ここの偉い人」
「ところでマリラさんはやっぱりあれ? もっと美味しいご飯食べに行きませんかって?」
「えっとね、そうそう。手紙を出す場所を尋ねられたのが一番最初」
若い女性の集まりのせいか、話題はあちこちにに忙しなく移った。レイについて、手紙は絶対誘う口実だよ、とまで言い切られると苦笑するしかない。休日に追いかけ回しているのは私の方で、と説明したがあまり信じてはもらえないようだ。
「あ! ねえマリラさんて隣国語喋れたりしない? 商会の受付してくれる人、一人辞めるから新しく探す事になってて」
「えっと、まだ勉強中なんですが」
この人がレイの言っていたカトレアさんか、とマリラは密かに観察していたところだった。向こうから気になっていた話題を振られて緊張してしまう。
「……労働環境悪くて辞めたんじゃなく? マリラさん、そんな簡単に決めない方がいいよ」
「その子は結婚して違う土地に行くから円満に退職したの。不安にさせるような事を言わないでお願いだから。……マリラさん、ちゃんと今の給金より出すようにするから、ちょっと検討してくれない?」
後で連絡先渡すから、とカトレアが言いかけた時に、浴室の扉が勢いよく開け放たれた。脱出、とばかりに転げるように出て来た幼児は、待ち構えていたセシルの前で急に方向転換して通り抜けようとしたが、マリラはその動きを読んで先回りしてタオルを被せた。
「すごい、プロの手つきだ。マリラさん何者?」
「……ふふふ。昔、ちょっとね」
孤児院にいた頃に、小さな子達の面倒を見させられていた経験が、どこで役に立つかわからないものだ。先に背中の水気を取って風邪を引かないように気を遣いながら、髪の毛をわしゃわしゃと拭いた。
「こら、アビゲイル。逃げなくたっていいでしょうに、まったくもう」
マリラが後ろから髪を、まんまと逃げられて少し悔しそうなセシルが前に回って顔と身体をごしごしと拭いた。小さな女の子はだって、と口を尖らせている。足元にさっと広げて差し出された新しいパンツに歓声をあげた割には、なかなか穿かずにいる。セシルちゃん、カトレアちゃん、と知っている名前を挙げながら、今まさに髪を拭いているマリラの顔をまじまじと見上げた。
「……今日は知らないお姉さんがいる。アビゲイルの友達になってくれるのかな?」
「『お友達になって下さい』 って言いたいなら、さっさとパンツ穿きなさいよ」
「マリラです、よろしくね」
マリラは視線を合わせて、可愛らしい女の子に笑いかけた。服を着せたアビゲイルを後方で待機していた、髪の毛を綺麗にする係に引き渡すと、ちょうど次の女の子が浴室から出て来て、その後は男の子達が続いて、なかなか大変な作業が続いた。
「ご挨拶が遅れてごめんなさいね、今日は手伝ってくださったそうで。……と思ったら、ブルーベルのところにもいらっしゃったお嬢さんでしたか」
マリラが浴室付近で頑張っている間に、レイはもう少し上の年齢の子供の勉強を見ていたらしい。帰る頃になってやって来た施設の責任者は、意外にも優しそうで小柄な老婦人だった。
午前中に立ち寄ったピアノの発表会にいただろうかと記憶を辿ったが、遅れて入って早めに退散したのだと言われた。今日は多忙で、と本人もふう、と品のあるため息をついている。
また是非いらしてくださいね、と手渡された孤児院での活動の報酬は、どうやら近くの通りのくじ引き券らしい。他の人達も一人一人に配られたようだ。
レイと一緒の帰り道に会場に向かって長い列の先を窺うと、どうやら箱から当たり外れの記載された紙切れを取り出すらしい。
「任せて。くじ運はすごいから」
「それは初耳だ」
上から順番でこの辺りで使える金券、花束無料券、パン三日分引換券、クマのぬいぐるみ、お菓子詰め合わせ、と掲げられたすごいラインナップを前に、マリラは勢い込んだ。
何しろ今日は色々頑張ったので、神様もその頑張りを加味して下さるだろう。何せ孤児院は教会の傘下にあるわけだから、と張り切って箱に手を入れた。
しかしこれだ、と思う一枚を指先で捕まえる寸前に、見物しているレイがのんびりと提案して来た。
「何も当たらなかったらこのままご飯食べに行こうか。いつもより高いところ」
「……レイさんが集中を乱さなければ絶対に一等当てられたかもしれないのに」
「ごめん、ごめんね」
宣言通り、ちょっとお洒落なお店の二階のバルコニーにある席でマリラは拗ねていたが、頼んだ飲み物がお洒落で綺麗だったのですぐに機嫌は直った。これ美味しい綺麗、と変わり身の早さに、向かいの席のレイは苦笑しているような様子だが、マリラは気にしない事にした。
「レイさん書く道具を持ってない?」
あるよ、と彼が手帳と一緒に持っていたペンを借りて、マリラはさっきの外れくじを開いた。出来るだけ綺麗な筆跡で、幸せが訪れますように、と書いてレイに渡した。
「これは何?」
「特別賞の大当たりくじ。今回使うはずだった私の幸運を、レイさんにあげる」
今日楽しかったね、とマリラは彼に話し掛けたが、彼はずっと紙切れを見ている。字が下手だったのかと聞いてみたが、レイは顔を上げて視線をこちらに向けた。
「僕の国では当たり外れのうち、後者は何も書いてない白紙って表現するんだ。それは教えたっけ?」
「へええ、そうなんだ。……また賢くなった」
マリラはふざけて書いたのだが、彼はまたしばらくマリラの渡した紙片を眺めていた後で、本当に財布にしまい込んだ。
じっとマリラがレイの様子を見ているのが気になるのか、夕陽が綺麗だから見てごらんよ、と言う。それがお店の宣伝文句だと聞けば、マリラは素直に飲み物を口にしながら綺麗な景色に気を取られた。
「……綺麗」
「そうだね」
「……レイさん、夕陽の方向見てないじゃない」
「マリラさんの顔を見ていれば、うっとりした顔で、綺麗だってわかるから僕はいいよ」
恥ずかしいからそんなに見ないで、と二人は他の客が案内されてやって来るまでの間、まるで子供みたいに笑い声を上げていた。




