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⑦変化


「来週はちょっと用事がある日があって。その日はいつもより早く切り上げないといけないんだ、申し訳ないけど」


 カフェの外の席で勉強をしながら、レイはそんな話をしていた。マリラはその日が珍しく酒場の仕事が休みだったので、せっかく時間に追われずに済むのにもったいない気持ちだった。

 ところが前日になって、マリラさんも一緒に来る? と言い出した。それでマリラは迷わず一緒に行く旨の返事をしたのである。口に出した後になって、どこへ行くのかを訊ねた。レイは苦笑しながら家庭教師の仕事先の、ちょっとした集まりに呼ばれているのだと言う。


「教え子……。ああ、三時間もお喋りする女の子?」

「そう、明日はお稽古事の内輪の発表会だそうでね」



 そんなわけで次の日、人数合わせで招待されている経緯を聞きながら、二人は連れ立って公園の外へ向かって歩き出した。今まで公園内で何か面白そうな行事がある時、気晴らしと称して観に行く事は何度かあった。しかしこうして街に繰り出すのは初めての事である。



「でもこんな、いつもと一緒の格好で、お金持ちのお屋敷に入れてくれるかしら」

「先に貸衣装屋に寄って、服装を替えます。せっかく良さそうな服を買っても管理もできないから、僕はいつも集まりに呼ばれた時はそうやって誤魔化している」

 

 汚さず返却すれば安上がりである、と合理的なのか、それともこちらの国への滞在を一時的と考えて、あまり物を増やしたくないだけなのかもしれない。この人もいつかは故郷に帰ってしまう事を考えると、何だかたとえようのなく寂しい気持ちになってしまう。そんな感情が自分の中にある事にマリラは気が付いてしまって、何だか複雑な気分でレイの横を歩いた。


 そうこうしているうちに目的地に到着したらしい。彼はドアベルを鳴らしながら扉を開いて、先にマリラを入らせた。貸衣装屋らしく店の外も中も洒落た雰囲気で、色も形も様々なたくさんの衣料品で埋め尽くされている。


「……僕はいつもと一緒で同じで。今日はこちらの方にも来てもらうので、そちらも併せてよろしくお願いします」


 マリラにはさっぱり意味がわからない指示だったが、出迎えた三十後半程の女性は彼の依頼に丁寧に応じた。奥に向かってさっそく指示を出してから、しかしですね、とレイに手厳しい視線を向ける。


「……まさかグレイセルさんは、そんな物を顔にぶら下げて、このお嬢さんと出かけるつもりじゃないでしょうね?」


 わかってますよ、と彼はあっさりいつもの分厚いレンズの眼鏡を外して、胸のポケットにしまっている。マリラは珍しい光景を見たような気分になって、衣装よりレイが眼鏡を掛けていない顔の方が余程気になって仕方がない。


「これがこっちの半分も見えれば苦労はしないんだけど」

「半分しか見えない? 大丈夫?」

「このくらい近ければ見えるよ、大丈夫」


 レイはどこからか取り出したすっきりとした造りの眼鏡に掛け替えた。彼はいつもとは違うレンズ越しに、同じようにマリラに笑いかけたが、何だか別人みたいである。

 

 それではまた後で、とレイは常連客然として店の奥へ消えた。マリラは若い店員に女性用の試着室へ案内され、しばらく着せ替え人形になった。今の流行、今日の天気、好きな丈や生地の良し悪しを考慮して、これだと気に入った一着を選び出した。自分の手持ちの服にはない、深みのある緑のワンピースを選んだ。


「……腕輪はどうしましょうか? 衣装に合わせてこちらも貸し出しできますけど」

「あ、これはつけたままでお願いします」


 マリラの手には随分前にレイから発明の試作品として、お試しでつけている腕輪があった。皮製の紐と金属の留め具がくっついていて、これを身につけていると何か良い事があるらしい。今のところは特にこれと言った出来事はないのだが、そのうち何か起こるのかもしれないと密かに楽しみにしていた。


 レイの方も服を替えて戻って来ると、眼鏡が違うのも相まって本当に貴族階級でも通用しそうな出で立ちである。いつもの自称売れない発明家然とした雰囲気は見当たらない。


「でもレイさん。いくらお洒落をしたって、問題はお屋敷に入った後じゃない? 私は作法なんて全然わからないのだけれど」

「……マリラさんはね、接客頑張ってやっているだけあって立ち姿が綺麗だから大丈夫。今日はただの招待客だし、要は悪目立ちしなければ良いから」


 急にてきぱきと話をはじめ、加えて綺麗なんて褒め言葉が次々飛び出すので、マリラは何だか別人と話しているような気分になって来た。


「立っている時の手の置き方はこう。座ったら膝の上に移動して、後は何かあったら教えるから」


 普段は絶対にやらないのだが、腕に触って来たのでびっくりした。しかし向こうはあくまで隣国語の授業の延長線上、とばかりに真面目な顔つきである。

 マリラは勢いに押されて無言でこくこくと頷いた。緊張しないで、と言われてもそんなの無理な話だった。





「わ、……グレイセル先生、誰かと思っちゃった。いつもの眼鏡は割っちゃったの?」

「ブルーベルお嬢様。ちゃんとお客様に挨拶なさって下さいまし」

「……先生、今日はご足労頂きまして、どうもありがとうございます。そちらの方も、今日は楽しんで行ってくださいね」


 ブルーベルと呼ばれたのが、レイが隣国語を教えている貴族階級のお嬢様らしい。本当に三時間もお喋りするだろうか、と思うくらい可愛らしい女の子だった。

 彼女の隣に威厳たっぷりに佇む家庭教師らしき女性に窘められて、ブルーベルは衣装の裾を摘んで、恭しくお辞儀をした。マリラはレイに道中で教えられた通り、同じく挨拶を返した。そのまま世間話に移行したので、どうやら上手く切り抜けたようだ。


 お品書きのような物を手渡されて、ピアノが置いてある広い部屋に案内された。席についてレイと一緒に目を通していると、ちらほらと招待客が訪れている。


「同じ先生に習っていて、実力の近い子達だって聞いたけど。みんなで小品集をそれぞれ弾くみたいだ」

「小品集」

「短い曲だね。先生と曲を作るところからレッスンするらしいよ」

 

 渡された曲目を覗いてみると、私の可愛いタンポポちゃん(飼い猫)や、人魚姫達の夕暮れ、美味しい焼きたてクッキーの歌、と自由な曲名が並んでいる。

 

 大体十三歳くらいまでの女の子達が五人、演奏会自体もどうやら身内に向けての練習の成果を披露する場だったようだ。一曲終わるごとに両親や祖父母らしい観客達から、暖かい拍手が送られた。



 演奏会が終わった後、マリラはすみません、と声を掛けられた。振り向くと先ほどのブルーベル嬢が、少し気恥ずかしそうに声を掛けて来た。マリラは音楽の事はよくわからないのだが、彼女達が思い思いに、楽しそうに演奏しているのを聴くのは純粋に楽しかった。


「グレイセル先生のお知り合いなんですよね。先生はすごいんですよ。私は三時間がお喋りの限界なんですけど、先生は五時間過ぎてもまだまだ口が回るんです」

「……それはすごいですね」


 マリラは思わず真顔になって返事をした。少なくともマリラの前ではいつも穏やかなレイがどうやって、他の先生が匙を投げるような一筋縄ではいかない子供達の相手をしているのか疑問だった。しかし結局、侮れない相手だと認識させる以外にはないのだろう。


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