↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/22

⑤昔の話


 グレイセルは市民に向けて開放されている公園に、朝方に出かけて行くのが日課である。敷地内にあるカフェで飲み物を買うと、早い者勝ちだが無料で複数の新聞を読ませてもらえるためだ。お金になりそうな話はないだろうか、と情報収集には持って来い手段になって久しい。

 隣国語の家庭教師の仕事で食い繋ぎながら少しずつ伝手を作って、夏至のお祭りの裏方として参加するに至った。目玉の出し物である歌姫の登場時の演出に一役買って、ぽつぽつと仕事の依頼が入り始めていた。


 今はもう暦の上なら冬だが、南の国ではその変化を感じにくい。金策以外にも何か面白い話題はないものかと半分ほど目を通したあたりで、テーブルの上に飲み物を置く手が静かに現れた。


「失礼致します」

「……びっくりした。どこのお嬢さんかと思った」

「またそんな事を言ってる」


 テーブルにやって来たのは、マリラという名前の女の子である。夜はこの街の酒場で、朝の早い時間にここで飲み物を買うために働いている。友人で勉強仲間になって、半年ほど時間が過ぎていた。


「あ、でもね。今のは最近来るお上品な貴婦人の雰囲気を真似てみたの。どうだった?」

「だから、どこのお嬢さんかと思ったんだよ」


 またまた、マリラはいつもとは違うお上品な笑みを浮かべながら、借り物のエプロンの後ろ紐を引っ張った。しゅるしゅると解いて手早く畳み、軽い足取りで返却のために一旦持ち場に引き返した。他の常連客に惜しまれつつ、今日のお仕事は終わりらしい。もうそんな時間か、と提供された飲み物を手に取りながら、新聞の目をつけておいた記事に戻った。今からは彼女のお勉強を手伝う時間である。


 未婚の者が異性と頻繁に交流するのはあまり感心しない、と友人のクロードが海の向こうで眉を顰めるのが目に見えるようだ。またマリラに親しい身内がいれば、胡散臭い隣国人に近付くのは止めなさいと忠告して下さるだろう。つまりはいないので、若いのに苦労の多い子である。


 自分にある程度の権限があったなら、と時々思う事がある。クロードの父、先代の子爵であれば保護者のいない子供を、誰の手も頼れないような不安定な状態にはしておかないだろう。



「……結構伸びて来たね、髪の毛」


 マリラはこの国の人間に多い、健康的に日に焼けた肌の色と、ゆるく波打った黒髪の持ち主である。ただ瞳の色だけが薄い緑の瞳で、この組み合わせは少し珍しい。

 ある日、通っていた酒場で短い髪の毛をした給仕の女の子が突然目についたので、その前まではおそらく長かったのだろう。


「あら、レイさんも少しはそういう事を気にしてくれるのね」

「いや、……こっちはあまり髪の長さは気にしないのかと思っていたけど、そうでもないようだったから。なんだか今日は嬉しそうだね?」

「そう? いつもと一緒。レイさんと勉強の時間なんだから」


 マリラはこちらに屈託のない笑みを向けて、黒髪を耳に掛けながら向かい側に腰かけた。美人は何をしても絵になるものだ、と思わず感心してしまう。しかし、さあ今日も勉強だとやる気に満ち溢れた宣言されてしまえば、それ以上追及するのは躊躇われた。


 グレイセルにとって人に教える、という行為自体は割と、得意と言っても差し支えない分野である。まだ子爵領にお世話になっていた頃、身体が楽な時には奉仕活動の一環を手伝います、と申し出ると、子供達のところへ出向いて遊んだり、読み書きを教えたりする仕事に参加していた。今は家庭教師の仕事で食い繋いでいるのだから、子爵一家には頭が上がらない。

  


「はい、じゃあ今日はこれで」


 目をつけた新聞記事の見出しには、薔薇の新品種登場と書いてある。どこぞの愛好家に取材した記事をハサミで切り取って、彼女に手渡した。家庭教師として隣国語を教える時、分厚い本を開かせるよりも、こうして本人の好きそうな記事の切り取りや、グレイセル自身がその記事を下敷きにして書いた文章の方が集中して勉強してくれるのである。


 ここの店主に、過去の新聞は好きにして良い、と許可を取ってあった。若者の勉学のためだと言えば、嫌な顔はされない。


 始めたばかりの頃は、レイが紙面の記事を一つ読み終える前に何回も先生わかりません、と助力を求められたが、この頃は呼びかけられる頻度が格段に減って来ている。読み書きを習得すると、職業の選択の幅が広がるらしく、マリラの意欲は高い。グレイセルのやる事は彼女がわからなくなった時に回答と助言と解説を与える事だけ。


 グレイセルは借りている住まいを掃除した時、白墨と小さな黒板が一揃いあったので、それをマリラに貸していた。知らない言葉はとりあえず書き出して、と勉強した事の成果が目に見えた方が達成感があるだろうと思って、彼女に貸してあった。


「……えっと、『友人が薔薇の品評会で賞をもらったのを見たのが、自身も始めてみる切っ掛けだった』まではあっている?」


 彼女は読み書きができない、習った事がないと言っていた。けれどやっぱり始めてみれば、知らない言葉が出て来ると萎縮してしまうだけで、実際はそこまで嘆くような状態ではなかった。それがわかれば自信に繋がって、と傍目から見る限りは挫ける兆候もなく続いていた。

 それはレイさんがたくさん褒めてくれるから楽しい、と彼女は言うけれど、実際のところ彼女は習得が早いのは純然たる事実である。


 そんな風に様子を見るうちに、品評会では何をするのかと尋ねられたので、園芸植物の品種交配の話を少し教えた。金持ちによくある娯楽の一つである。植物に限った話ではないが、交配を重ねて新しい品種を作ってより美しく珍しく、と出来栄えを自慢しあうのだ。

 品評会で賞をもらえれば金一封、更に運が良ければ何か記念になるような、王族の名前を冠する事さえあるのだから夢のある話と言える。


「園芸分野だと見た目の美しさに目が行くだけど、小麦とか豆とか食糧生産が目的だとね、病気や気候、もちろん美味しい事も重要な要素になる」

「へええ」


 そんな事は考えた事がなかった、とマリラが言う。このコーヒーの原材料だってそうなのかな、と素直に感心している。そうこう話しているうちに、もうほとんど最後の方まで目を通し終わってしまったらしい。


「『青い薔薇が、私達の目を楽しませるような日が来るのも、そう遠くはないだろう』」

「……よくできました、素晴らしい」


 グレイセルはここぞとばかりに拍手をして褒め称えた。マリラの方も得意げな表情を誤魔化すためか、咳ばらいをして飲み物を一口飲んだ。

 

「記事の最後に唐突に出て来たけど、青い薔薇、って何かの意味があるの?」

「……それはね、品種改良における永遠の課題なんだよ。薔薇はすごく昔から熱心に青い色を咲かそうとやっているんだけど、未だに登場していない。見た事ないでしょう?」

「言われてみると、確かにそうかも。……じゃあ、今度はそのお話が聞きたい。もちろん隣国語でお願いします」


 マリラは椅子に座り直して、知的好奇心に満ち溢れた瞳を輝かせた。グレイセルはこの目に弱いのである。なんでもしてあげたくなる。

 近頃の彼女はグレイセルの母国語、つまり隣国語の事も聞きたがった。簡単な挨拶や単語の言い換えから始めて、勉強の成果は上々である。


「それじゃあ僕が子供の頃、腕の良い庭師から聞いた話をしようかな」


 お前の話はいつも長い、と文句を言う友人の顔が思い浮かんだ。優秀な生徒を退屈させないよう、何よりわかりやすいようにと、グレイセルは記憶と言葉の選定を始めた。





 




 子爵領にはほとんど雪が降らないが、それでも冬の季節はそれなりに冷える。グレイセルはかじんだ手では本を捲れないのでシーツに潜り、自分の体温で温めて指先がかじまないようにする方法で本を読んでいた。日中はともかく、時間が経つに連れて文字が見え辛くなるのが難儀な点と言えよう。


 そこに、部屋の外から足音が聞こえた。ノックの音、それからこちらの返事を待たずに、入る意向を伝える子爵家の跡継ぎの声がした。


 どうしたの、とグレイセルは被っていたシーツから顔を出した。クロードはランタンを持って来たので、室内は明るくなっていた。彼はこちらを見て盛大に顔を顰めた。


「……目が悪くなるから夜は明かりをつけろって、何回言わせるんだよ。それから使用人に、部屋が暑いとか嘘ついて困らせるのもやめろ」


 彼は使用人に、本を運んでもらったらしい。グレイセルが寝ているベッドの横にある小机に置いて退室するように指示した。そしてどこからか取り出した燐寸(マッチ)を擦って、暖炉に積まれていた薪に火を灯した。


「もったいない」

「僕は次期当主だ。それが一体どうして、明りも暖炉もない部屋で勉強しなくちゃいけないんだ?」

「……自分の部屋へ行けば? 必要以上に接近して、同じ病気になってから文句言わないでね」

「……ここは僕が大人になったら父上から受け継ぐお屋敷です、居候くん。それから肺が悪いのはうつらないんだってさ、残念だったな」


 自室に戻ればもっと座り心地の良い椅子としっかりとした机があるだろうに。彼は火掻き棒で暖炉の薪を動かしている。しかしどうやら見様見真似のようで、綺麗に積み上げられた薪が散らかってしまった。彼はそれを面白くなさそうにしばらく見つめていたが、火の中に手を突っ込んで治せるわけもないので、諦めたらしい。

 ベッドの横に置いた椅子に戻って来て、それ以上何を言うでもなく本を開いて読み始めた。



 少し前まで、喘息を酷くしたグレイセルは保養地にある診療所にいた。そこにこの家の当主から、息子の遊び相手にならないかと誘われて、この屋敷にやって来た。

 けれど実際は、実家である伯爵家が治療費の支払いを停止して、診療所側が困り果てていたのを知った子爵が引き取ってくれたのだ。できるだけグレイセルが傷つかないような表向きの理由を用意して。


 下にまだ弟がいるので、伯爵家の今後に特に問題はない。必要のない治療費をつぎ込む事は、領民や傘下にある者達の了解を得られない。向こうの言い分を聞いて、診療所から依頼されて話をしに行った子爵は呆れ果てるしかなかった、と後から聞いた。

     

「……お父上に怒られたんだってね、クロード」

「その話はするな」


 彼は話を遮って、自分が持って来た本に視線を落としている。ねえ、と話し掛けても、邪魔をするなと素っ気ない返事だった。


 僕のせいでごめんなさい。そう、彼に言わなければならない。彼とは数日前に諍いをして、完全にグレイセルの言動が切っ掛けだったにも拘わらず、結果としてクロードだけがされなくていい叱責を受けた。病人の前では言葉を選びなさい、と。彼は当たり前の事に憤っただけなのに、理不尽な思いをしただろう。

 

 子爵は今日の昼間、グレイセルにわざわざ、自分の息子が傷つけるような事を言ってすまなかったとわざわざ謝りに来た。


「けれど、僕の実家の言い分にも理があると思うのです」

「……領民の理解を得られない、って?」


 市井の人々は悪い事に手を染めないで真面目に働いて税金を納めて、子爵は領地の管理を国から任されている。クロードは将来の跡継ぎであるし、屋敷の使用人達はそんな主人の暮らしを支えるためにいる。


 グレイセルはそのどこにも入れない。とんだ期待はずれだった、そう言われた。けれど今はこの屋敷の一部屋を与えられて横になり、みんなに優しくしてもらえる。


「領主の仕事はね、常日頃から領地と領民の管理を行い、不平不満の解消に取り組む。中央との円滑なやり取りを怠らず、発展の可能性を探り、……それから跡継ぎの養育もあるな」


 子爵は優しい人だった。指を一つ折り二つ折り、ちゃんと納得できるような言葉を探してくれた。


「それをきちんとしていれば、息子の友達が一人、苦しんでいるところに手を差し伸べたところで、誰かが文句をつけるなんて事があると思うかい」


 クロードの父はグレイセルを慰めた。きっと優しい人間になれると、この後も事あるごとに言ってくれた。

 腰を悪くして息子に家督を譲った今でも、グレイセルはこの人の事を世界で一番尊敬している。いつの日かは頼ってもらえるような、立派な大人になろうと思ったのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。