第1夜
高い塔の最上階に、僕は──いや、僕たちは座っていた。寒々しい石造りの部屋の中に、二人分の呼吸音と、紙をめくる微かな音だけが響いている。
正面の椅子に座った少年。真っ赤な髪と瞳をしていて、簡素な白いシャツとパンツを身につけている。燃えるような色彩とは正反対にその雰囲気は冷たく、瞳からはなんの感情も読み取れない。ただ黙って、手元の本を読んでいる。
「……」
今、黙々と本を読んでいる華奢な少年の監視。それが僕の仕事だった。
上官に「この少年の監視がお前の新しい任務だ」と告げられた時、僕はとうとう彼の頭がおかしくなったのかと思った。どこにでもいる十七、八歳頃の少年。燃えるような赤い髪と瞳は少し珍しいけれど、でもそれだけだ。体つきも華奢で、なにか強い力を秘めているようにも見えない。そんな普通の少年を「監視」しろという上官の命令が不思議で仕方なかった。
「了解しました」
とはいえ、僕はただの一般兵。しかも同じ隊の中では一番年下で、上官の命令に逆らうなんてとんでもない。即座に了承して、任務に就いたのが一週間前。
任務自体に問題はなかった。辛いことも嫌なこともなく、ただ少年と同じ部屋にいるだけでいいのだから。ただ一つ気になったのが、少年の常軌を逸した寡黙さだった。なにせ、一週間経っても一言も話さないのだ。初日に自己紹介したときですら、微かに頷いただけで終わった。一度紙で指を切ったときに小さく声を上げていたから、声がでない、というわけではないようだ。上官は僕と少年が会話することを禁止せず、むしろ推奨してさえいたのだが、今日まで成果を挙げることはできていない。
ほんとうに、静かな少年だ。呼吸音と衣擦れ、紙をめくる音意外に彼が空気を震わせることはほぼない。白い指先が、また一枚ページをめくる。それを目で追いながら、僕は投げやり気味に口を開いた。
「……なあ、いい加減名前くらいは教えてくれてもいいんじゃないか」
赤い目がひたりとこちらを向いた。その恐ろしいほどの静謐さに圧倒されながらも、僕は負けじと口を開く。
「僕の仕事は君の監視だ。そう、仕事だよ。でもさ、もう一週間も経ったんだ」
「……」
「同じ歳くらいの奴と一週間も二人きりで、名前も教えてくれないなんて寂しいもんだぜ」
「……寂しい」
僕は驚愕のあまり呼吸が止まった。それは、赤髪の彼が初めて発した言葉だった。声は思っていたよりずっと少年らしくて、黙っているより大声で笑っている方がずっと似合う音をしていた。
「俺が喋らないと、君が寂しいの?」
「う、うん。自分は名乗ったのに、名前も教えてくれないなんてそりゃ寂しいよ」
少年は小首を傾げて「そっか」と呟いた。彼がとうとう口を開いた驚きで、僕はもうすっかり混乱していた。任務に就いてから一週間、懲りずに毎日話しかけてみてはいたけれど、返事なんてもうとっくに諦めていたのだ。呆然とする僕を眺めてなにを考えたのか、少年は僅かに目を細め、口を開く。
「ノア」
それだけ呟いて、彼は再び本へ目線を落とした。それが彼の名前だと気がついたのは、紙のめくる音が三回響いた後だった。