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時は復讐を忘れない  作者: 23
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第四十四話 助けに行かない人

宗一郎を乗せたタクシーは、黒瀬家から一キロほど手前で止められた。


警察の臨時規制だった。


追悼集会の動画が広がり、正門だけでなく黒瀬家の近くにも記者と野次馬が来ている。現象のためではない。普通の人間が、死亡したはずの中学生を見に来ていた。


「ここから先は警察車両で移動します」


高井が言う。


宗一郎は窓の外を見る。


カメラを持った人間が二人。

近所の住民。

制服の警察官。


「私の家だ」


「だから、勝手に歩かせません」


「時計へ行くからか」


「車道へ出ても困ります」


前日のことを持ち出され、宗一郎は黙った。


黒瀬家の映像だけが警察車両のモニターへ映される。


工具箱は閉じている。


午後三時二十分。


山ノ宮神社。


黎一は井戸の前にいた。


水面へ空が映る。


その中に、沙夜子の顔が現れた。


黎一は立ち上がらない。


水面の沙夜子が唇を動かす。


宗一郎。


それだけは読めた。


次に、山を下る方向を指す。


「黒瀬家へ行けって?」


同行の警察官には、ただの水面しか見えない。


黎一は立った。


二歩下り、止まる。


「姉さんなら、理由を言え」


水面は答えない。


「今のお前は、俺の返事を聞かない」


沙夜子の顔が揺れる。


「だから行かない」


黎一は井戸へ背を向けた。


姉を忘れたからではない。


姉の姿を命令として使わせないためだった。


午後三時四十二分。


御厨家。


白の澪は卵焼きを半分残していた。


玄関のガラスへ文字が浮く。


――工具箱を学校へ運べ。


白の澪は近づかない。


「私には運べません」


職員が横から読む。


次の文字。


――青の澪が死ぬ。


白の澪の指が止まる。


「病院へ電話したいです」


「しますか」


「……しません」


声が震えた。


「病院の担当者が必要と判断した時に連絡する約束です」


「連絡できないのかもしれません」


「その可能性はあります」


職員は安心させる嘘を言わない。


白の澪はノートを開く。


――青の人が死ぬと書かれた。

――怖い。

――電話したい。

――今はしない。


最後の一行を書いた手が震えた。


「正しかったと思いますか」


職員が訊く。


「思いません」


白の澪は答える。


「間違っていたら、私が後悔します」


文字は消えなかった。


午後四時十三分。


学校の湊へ、現在の颯真から電話が来た。


これは普通の通話だった。


『祖父ちゃんが家へ来る』


「俺も帰る」


『来んな』


「でも兄ちゃん一人じゃん」


『警察いる』


「祖父ちゃんが箱開けたら」


『止める』


「怪我したら」


『お前が来たら、お前も見なきゃならねえ』


湊は校門の外から体育館を見る。


外の颯真はまだ来ていない。


学校へ残る理由も、家へ戻る理由も、兄だった。


『今の俺を先にするって言ったろ』


「それ、命令に使うの」


『使う。来たら困る』


「俺の行動決めてるじゃん」


『来るなって希望してる。決めるのお前』


「ずるい」


『知るか』


湊は腹が立った。


「行かない」


『分かった』


「兄ちゃんが正しいからじゃない。俺が学校から消えたら、外の兄ちゃん来た時に誰も見れないから」


『それでいい』


「よくないって言え」


『嫌だね』


通話が切れた。


午後四時四十二分。


警察の待機車両から、宗一郎は黒瀬家を見ていた。


家の玄関ガラスが、夕方の光を反射している。


そこに妻がいた。


家の中に立っている。


宗一郎の隣には左腕のある自分。


居間の奥には開いた工具箱。


妻が手招きする。


高井には、ガラスへ雲が映っているだけだった。


「見えていますか」


「ああ」


「何が」


「妻だ」


宗一郎がドアへ手を伸ばす。


「行くんですか」


「行きたい」


「止めますか」


宗一郎は自分の右手を見た。


「まだだ」


妻の後ろに二人の澪が現れる。


同じ髪。

同じ服。

同じ笑顔。


現在の二人にはない揃い方。


「違う」


宗一郎はドアから手を離した。


「妻はいる。でも、あの澪は今の二人じゃない」


「それでも妻には会いたい?」


「ああ」


妻がもう一度手を伸ばす。


宗一郎の右手が震える。


誰も黒瀬家から助けに来ない。


湊も。

黎一も。

二人の澪も。

颯真さえ、庭から規制線を越えてこない。


それぞれが、自分の場所にいる。


「誰も来ないんだな」


宗一郎が言う。


「呼びますか」


高井が訊く。


「呼ばない」


「一人で決めるんですか」


「今だけは、自分の足を自分で止める」


妻の姿が薄くなる。


宗一郎は泣かなかった。


「午後六時四十二分まで、ここで待つ」


「家へ近づかない条件なら」


「分かった」


午後五時二分。


警察は宗一郎を近隣の安全な待機場所へ移した。


黒瀬家へ入れるためではない。


規制線の外から、工具箱の状態を確認させるためだった。


妻はもうガラスに映らなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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