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時は復讐を忘れない  作者: 23
23/40

第二十二話 登校停止の教室

八月六日、午前八時。


湊のランドセルは、玄関に置いたままだった。


一週間の登校停止。学校から出された課題は、算数のプリント六枚と反省文。反省文の題は『非常ベルを押したことについて』だった。


湊は一行目に、火はありませんでした、と書いた。


二行目が続かない。


澪が消えそうだった。大勢が見た後に輪郭は戻った。ただし、因果は分からない。次も押すかと訊かれれば、押さないとは言えない。それを小学生の反省文の枠へ入れると、どの言葉も嘘になった。


「『もうしません』でいいだろ」


颯真が食卓の向かいから言う。


左腕を吊ったまま、右手で湊の算数プリントを解いている。


「兄ちゃんの宿題じゃない」


「暇なんだよ」


「中学生のやれば」


「学校に置いてある」


西棟の閉鎖が長引き、今日、警察と消防の立会いで私物を回収することになっていた。児童本人は入れず、保護者か教員が取る。だが二人の澪は、教室に自分の物が二人分あるか確かめたいと希望した。児童相談所と学校が相談し、二人とも校舎入口までは同行する。


颯真も、自分の鞄を取りに行く。


湊だけは行けない。


「父さんの車に隠れれば入れる」


湊が言う。


「反省文に書くこと増やすのか」


「学校の中に行かなければいい。門の外」


「登校停止ってのは、そういう抜け道を探す遊びじゃねえ」


「兄ちゃんに言われたくない」


「俺は停学じゃない」


「怪我人」


「うるせえ」


颯真は鉛筆を置いた。湊が反省文を裏返す。


「七月二十八日の紙が学校から出た。西棟に、まだ祖父ちゃんの物があるかもしれない」


「俺が見る」


「兄ちゃんは、すぐ怒って見落とす」


「お前は、すぐ掴んで壊す」


湊は言い返せなかった。割れた火災報知器、教室扉のガラス、自分と澪の掌。手を出したから残せた物もある。手を出したから壊した物もある。


「電話を繋いで」


「学校が許したらな」


「切らないで」


「俺が危ないと思ったら切る」


「父さんみたいなこと言う」


「最悪だ」


颯真は顔をしかめた。


午前九時十二分。


直哉の車が出る。助手席に颯真。後部座席に二人の澪と児童相談所の職員。二人の髪は、今日はどちらも結ばれていなかった。一人は耳へかけ、もう一人はそのまま下ろしている。遠目にはほとんど同じでも、本人たちは今朝の違いを知っていた。


湊は門まで見送った。


「私たちが見ます」


髪を耳へかけた澪が言う。


「何を?」


「湊君が見たがっている物を」


「僕が言った物だけじゃなくて、自分たちのも見て」


「言われなくても」


髪を下ろした澪が答える。


「私たちは、湊君の目の代わりに行くのではありません」


車が角を曲がる。


湊は玄関へ戻りかけ、工具箱のある居間を見る。宗一郎は昨夜から市立病院にいる。右手首の傷と、長時間固定した指の痺れを診てもらい、そのまま一泊した。警察官が付き添っている。


佳乃は病院へ着替えを届けに行った。家には湊と、玄関に立つ警察官だけが残る。


工具箱には新しい封印テープが貼られた。鍵は警察。金属片も別の場所へ保管されている。それでも箱の中身は、湊の近くにある。


午前九時三十九分、颯真から映像通話が入った。


『学校が許した。録画はするなって』


画面には職員玄関。高井、消防署員、校長、佐伯先生がいる。二人の澪は画面の左右へ分かれて立っていた。


『湊君は、現場の指示へ口を出さないでください』


佐伯先生が先に条件を言う。


「見てるだけ?」


『質問は颯真さんか私を通してください』


「分かりました」


颯真が画面へ顔を寄せる。


『絶対分かってない顔だ』


「兄ちゃん、カメラ近い」


『うるせえ』


西棟へ入る。廊下は消火器の粉とガラス清掃剤の匂いが混ざっていた。教室扉の穴は合板で塞がれ、床に貼られた警察の印だけが血痕の位置を示している。血そのものは採取済みだった。


髪を下ろした澪が、印の一つで足を止める。


『私の血です』


耳へ髪をかけた澪が隣へ立つ。


『湊君の血かもしれません』


『位置が違います。私が倒れた場所です』


二人は言い争わなかった。だが同じ印を二人の記憶へ戻すこともしなかった。


佐伯先生が扉を開ける。床の長さは普通に戻っている。机は一人分しかない。教室に残されていた澪の鞄が椅子へ掛かり、廊下へ出られた澪の鞄は職員室で保管されていた。


『一つずつですね』


髪を下ろした澪が言う。


『元から一つずつでした』


耳へかけた澪が返す。


『どちらがどちらを持っていたかは』


『教室の物は、私が使います』


傷を負った方の澪が、左手を庇いながら鞄を取った。


『職員室の物は私が』


もう一人も自分で選ぶ。


同じ中身でも、どこに残ったかが違う。周囲が印を付ける前に、本人たちが持つ物を決めた。


颯真は自分の机から教科書と筆箱を鞄へ詰める。片手では教科書が滑り、床へ落ちた。


『兄ちゃん、無理しないで』


湊が言う。


『口出すなって言われただろ』


『それは現場の指示』


『俺の怪我も現場だ』


佐伯先生が教科書を拾った。棚の奥へ一冊入り込む。手を伸ばすと、背板の向こうで紙が鳴った。


『待ってください』


先生が全員を下がらせる。高井が棚の位置を撮影し、消防署員と二人で壁から動かした。


背板と壁の隙間から、細長い封筒が落ちた。


宛名はない。


封には、宗一郎が工具箱へ使ったのと同じ蝋が付いていた。ただし印は潰れ、模様は読めない。


『開けるな』


画面越しに湊が言った。


全員が携帯を見る。


『口を出さない条件です』


佐伯先生の声は厳しい。


「でも、祖父ちゃんが隠したなら――」


『湊』


颯真が止める。


『俺が見る』


「一人で読まないで」


『分かってる』


颯真は高井へ言った。


『開ける前に、外から分かることを全部残して』


湊が言おうとしていたことだった。兄は画面を見ず、自分の言葉として伝えた。


高井が封筒の寸法、位置、蝋、紙の変色を記録する。透過光を当てると、中に折った紙が三枚ある。金属は入っていない。


『学校の施設内で見つかったため、学校と警察で開封します。異議は』


校長、佐伯先生、直哉がないと答える。二人の澪は、封筒の所有者ではないため答えなかった。


高井が手袋を着け、封を切る。


一枚目は、西棟一階から二階の簡単な平面図。


二枚目は、山ノ宮神社から黒瀬家までの道。


三枚目は、黒瀬家の間取り。


三枚とも、同じ時刻が書かれていた。


八月十五日、午後九時十三分。


『三つの場所』


湊が呟く。


『同じ場所じゃねえ』


颯真が画面の向こうで言う。


「でも祖父ちゃんは、何で三枚とも学校に隠したの」


高井が紙を裏返す。学校の図の裏には、宗一郎の字で『澪』。神社の図には『黎一』。黒瀬家には『颯真』。


湊の名前はない。


『私たちを配置するつもりでしたか』


二人の澪が同時に訊いた。


佐伯先生は答えない。宗一郎本人へ確認する必要がある。


湊は画面を指で拡大した。学校の図の端に、小さな点が二つある。一つは教室。もう一つは廊下。


「澪は二人って書いてある」


『名前は一つです』


傷を負った澪が言う。


「点は二つ」


『点だけなら、私たちとは限りません』


もう一人がすぐに断定を止める。


颯真が黒瀬家の図を持ち上げる。


『俺の名前の横にも点が二つある』


一つは居間。


もう一つは玄関の外。


現在と外の颯真。


宗一郎は、外の颯真が声を届けるより前に、二人分の位置を描いていた可能性がある。


「兄ちゃん、その紙を持って帰って」


湊が言う。


『警察が預かる』


「写真を」


『あとで共有してもらう』


「今、画面で全部見せて」


『湊』


颯真の声が変わる。


『俺が見た。澪たちも見た。先生も父さんもいる。お前が今、全部覚えなくても紙は消えない』


「消えたら」


『その時は俺が言う』


「兄ちゃんが忘れたら」


『お前が俺を疑え』


湊は携帯を握った。


自分が見ていない間に名前が消えた。だから全部を自分の目へ入れたかった。だが、外の颯真が失敗したのも、一人で全員の場所を読んだからだった。


「分かった」


『本当に?』


「今は」


『また付けやがった』


颯真は笑わなかったが、映像を切らなかった。


午前十時四十八分。


回収作業が終わる。二人の澪は別々の鞄を持ち、颯真は片手で自分の鞄を引きずる。封筒と三枚の図は高井が証拠袋へ入れた。


学校から戻る車の中で、颯真は映像通話を続けた。


『反省文、書けたか』


「まだ」


『一行目は』


「火はありませんでした」


『二行目は』


湊は裏返していた紙を戻す。


「でも、危険はありました」


鉛筆で書いた。


それは反省にも正当化にも足りない文だった。


ただ、学校へ行けなかった間に兄たちが見つけた三枚の図を、湊一人の発見へはしなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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