第十七話『銀鏡晴近の母』
登場人物
◎ゆき
15歳 女性
茶色い髪 茶色い瞳
旧会津藩家老佐川官兵衛に仕えていた馬丁の一
人娘
馬と心を通わせることが出来る
◎銀鏡 晴近 (しろみ はるちか)
22歳男性
長身 細身に見えるが筋肉質
黒髪の長髪 黒い瞳 驚く程の美青年
華族 従三位中納言
◎とら
ゆきが世話した牡の仔馬
世にも珍しい、金色に近い尾花栗毛の毛色を持
つ
銀鏡晴近の乗車する馬車の馬車馬になってい
た。
◎佐川官兵衛(直清)
39歳 男性
旧会津藩家老
粂吉、ゆき父子の主君
戊辰戦争で活躍 鬼官兵衛の異名を持つ
熱い心を持った人情家
◎中村半次郎
男性 薩摩藩士
会津戦争時、官軍軍監
人斬り半次郎の異名を持つ
後の桐野利秋
「母上!大丈夫ですか!?」
「大奥様!!」
晴近と二家本の爺が急いでその女性の元へ駆け寄った。
女性、晴近の母は床の畳に両膝だけではなく両手もついて全身を震わせていた。
「な、何故…何故雪子が……」
「銀鏡さま、なしてそのお方はおらの名前を知ってるのだが?」
ゆきがそう言うと、晴近の母は
「ハッ!」
と声を上げ、俯いていた顔を上げてゆきの顔を正面からまじまじと見た。
「違う…その言葉の訛り、それに顔も僅かに違う…
そうじゃ、雪子がおる筈はない。
雪子はもう十一年前に……」
そう言うと晴近の母は、今度は声を殺して泣き始めた。
その姿を見て、晴近も二家本の爺も深い悲しみの表情を浮かべて黙り込んでしまった。
その三人の様子を見て、ゆきも暫くどうして良いのか判らず黙っていたが、やがて
「雪子…さま、とはどなただが?銀鏡さま。」
と晴近に質問した。
「死んだ、私の姉だよ…」
「銀鏡さまのお姉さま…お亡ぐなりになった…?」
「ああ、十一年前に虎狼痢(コレラ)でね…」
「………」
「…そうじゃ、雪子は死んだ……
晴近!似ておるからといって、そのような娘を連れてきて、どうするつもりなのじゃ!?」
晴近の母が落ち着きを取り戻して泣き止み、立ち上がって晴近にそう言った。
晴近の母が近付いてきて、その立つ姿を見たところ並の女性と比べて随分と背が高い。
晴近の長身はこの母親に似たのだろうか。
「彼女は恩人です。暴れた馬車馬を鎮めて私を救ってくれました。」
「暴れ馬を鎮めた?
その年端もいかぬ娘がか?信じられぬ。」
「こう見えて彼女、ゆき君は馬使いの達者なのです。
母上、彼女が暴れるとらを鎮めて馬車を操縦し、家まで連れてきてくれたのですよ。」
「とら?とらとは何ぞえ?晴近。」
「私の馬車馬の金獅子の事です。
彼女は、あの馬が産まれた時に立ち会い、その頃からとらと呼んでいたようです。」
「馬の出産に立ち会ったじゃと?
あの馬、金獅子は本家より譲り受けし時に会津で拾った馬と聞いたが…
その娘のその東北訛り!そやつは会津の人間か!?」
「…ええ、ゆき君は会津藩御家老、佐川官兵衛殿に仕えていた馬丁の娘だと申しております。」
「何だと!?しかも只の庶民ではなく、会津藩士に連なる者じゃと!
しかも、佐川!
鳥羽伏見の折、我が官軍に痛撃を加えた鬼官兵衛の縁に連なる者か!!」
「鳥羽伏見の折に鬼官兵衛殿が散々に痛い目に遭わせたのは長州ではなく薩摩ですよ、母上。」
「薩摩と我が故郷長州とは一蓮托生じゃ!」
「その薩摩の方々は近頃、元会津藩士においても有能な者は積極的に召還すべしと、要は赦そうと申されているそうな。
なので、鬼官兵衛殿ほどのお方ならば政府に取り立てられるかもしれませんよ。」
「くっ!会津は新選組を使って数多の長州の士を殺し…かの蛤御門においても……
薩摩は赦しても、我が長州は赦さぬわ!!」
「かの馬、金獅子も会津の出ではありませんか?母上。」
「馬は何も知らぬゆえ、構わぬではないか。」
「彼女も何も知りませんよ。
彼女は会津で、ただ馬の世話をしていただけです。
鳥羽伏見の事や、新選組だの蛤御門の事変など全く知っていませんよ。」
「…しかし、やはり会津の人間は家に入れとうない!
たとえ姿形が雪子に似ておってもな!!」
「彼女は私の馬車の馭者として迎え入れます。」
「馭者!?山本がおるではないか!」
「山本君には金獅子、いや、とらを扱う事は無理のようです。
いや、元々あの馬はうちに来る前も誰にもな懐かずに幾人も持ち主が変わって…とらはゆき君にしか懐きません。」
「会津の人間を馭者になぞ、妾は認めぬぞ!
これ、娘!とっとと出ていきやれ!
汚らわしい!!」
「母上!!」
「今、何とおっしゃったが?
汚らわしいとおっしゃったが!?
会津の人間は汚らわしくなんかねえ!!」
それまで黙って晴近とその母との言い合いを、呆気にとられたように眺めていただけだったゆきが、突如大声を上げた。
憤怒の表情を浮かべ、晴近の母を睨みつけている。
「何を小娘!!」
晴近の母もゆきを睨み返し、暫く二人は無言のまま睨み合いを続けた。
「…母上、先程も申し上げました通り、ゆき君は恩人です、彼女が居なければ、私はどうなっていたか判りません。
今、申された事を取り消して頂きたい。」
「ふんっ、誰が…
恩人と申すなら、当家の家人に迎えなくとも、それ相応の謝礼を渡して帰せばよいだけではないか!」
「ゆき君は今日、独りで東京に来たばかりで、帰る処など無いのですよ。」
「その娘は何をしに東京へ参ったのじゃ?」
「あ、いや、それは…」
母のその問いに、さすがに晴近が返答出来ずにいたところ
「銀鏡さま、おら、いい!
やっばし、元の目的どおりに吉原さ行っで遊女さなります!!」
と、ゆきが視線を晴近の母から外さず、今度はやや低めの声でそう言った。
そのゆきの言葉に、最初は驚きの表情を浮かべた晴近の母であったが、みるみる怒りの表情へと変わっていき
「その顔で!その雪子に似た姿をしておりながら遊女になるなぞ、許さぬぞ!!」
と、これまでで一番大きな叫び声を晴近の母はゆきに向かって言い放った。
第十七話 (終)
※注
銀鏡雪子が亡くなったという十一年前の文久二年(1862)年はコレラの流行と麻疹の流行が重なった年で、多くの死者が出た。




