26 「俺を殺す言葉」
「ふぅーふぅーふぅー!」
浜辺についた俺は荒い息をついて、深呼吸した。能力抜きの、ただの深呼吸。
「おお…………しんどいなコレ…………」
もっと鍛錬しておけばよかった。カウトリアを使いまくってた頃みたいに、ずっと我が身を研鑽していればよかった。
「でもまぁ…………しょうがねぇよな」
使い道の無い力を育てても意味がない。どうせ育むならフェトラスの方がいい。
だから俺はそうしてきたんだ。したいと思う事を。正しいと思う事を。
「あたた……そろそろやばいな…………」
頭痛がする。どうやら能力の方も限界のようだ。だいたい、こんな長時間ブッ通しで使うような能力じゃないんだぞ。
「一日がやたら長ぇ……あと何発だ…………? うう、本当に死ぬかもしれん……」
体感では、昨日からもう半年以上は経った気がする。ここまでの連続酷使は初めてだ。
(というか月眼にビックリし過ぎたってのが正直なところだが……)
よろよろと砂浜を歩いて、俺は鉄の剣を拾い上げた。雷の熱か、それとも日差しか。剣はまだ熱かった。持てないほどではないが、握りしめると辛い。手の平の汗がジュウと音を立てて消えたので、俺は鉄剣を蹴り飛ばして波に濡らした。絶対耐久値がやばい事になってるだろう。
フェトラスがここに来るまで、あとどれくらいだろう。どうせなら寝っ転がって休みたいのだが、そうも言ってられない。
「つーか、喉が渇いた…………」
気がつけば俺は汗びっしょりになっていた。風は涼しいのだが、強い日差しとハチャメチャな戦いで(もう疲れた寝たい水浴びしよう腹は減ってないフェトラスは腹減って、
「っとと……いかんいかん」
スイッチが切れるよりはマシだが、無駄なことに能力を使ってられない。
精神統一だ。喉が渇いた。気にするな。精神統一だ。
冷えた鉄剣を拾い上げ、息を整えて、俺は待った。
だけど何を待っていたのかはよくわからない。
風がふく中、林の方から気配が一つ。
「――――――」
ボロボロと、黒い騎士が崩れながら現れて。
「―――」
そして風にさらされて消えた。そしてその後方に彼女が立っていた。
「おめでとう。まだ生きてるね」
不思議と、彼女は穏やかだった。
今も俺に対する殺意に満ちあふれているというのに、フェトラスは微笑んでいた。月眼で。
ふと思った。銀眼は敵意で、月眼は殺意なのかなぁ、と。我ながら面白い説だとは思うが、今は心底どうでもいい。あの殺意を断つのが目的であって、原因究明なんざ死ぬほど……殺される程、どうでもいい。
「あのさ、考えながら歩いてて分かったんだ。なんで貴方を殺せないのか」
「聞かせてくれよ。その間に少し休めるってもんだ」
「貴方は英雄。カウトリアの使い手だった者。……おそらく、貴方はまだカウトリアの庇護を受けている」
フェトラスは若い緑に包まれている。月眼も双角も言葉使いも穏やかで、なんだか今すぐにでも駆け寄れる気がした。
彼女は続ける。
「聖剣がどんな存在かは知らないけど、ただの武器じゃないんでしょ? よく切れる剣じゃなくて、何か特殊な能力を有していると考えるのが妥当だわ」
「そうだな。伝説の名の付く武器……聖遺物は剣以外にも弓や斧、槍、鞭。色々ある。しかしどれも攻撃力が高いわけじゃない。単純な切れ味なら、一級品の武器と同等だろうさ」
「貴方が優れているのは、危険予知、適正行動、状況把握、判断力、発想力。ついでに言うなら身体能力も高いみたいだけど、特筆するようなことじゃない」
「見事な観察力だが、お前は俺以外の人間を知らないだろ? なんで優れていると分かるんだ?」
「カルンさんと比べた。魔族は人間より格上なんでしょ? なのに貴方はカルンさんに勝った。だから魔族より強い貴方は、普通の人間よりも強いと判断した」
「素晴らしい見解だ。たしかに俺は、普通の人間が持たない能力をカウトリアからもらった」
「ええ……それは、加速された思考ね?」
「大正解。やるな、フェトラス」
彼女は俺の能力を完全に見抜いていた。
聖剣。演算剣カウトリア。
神速の演算とも言われる能力を人間に与える。
要するに担い手に超スピードを与える剣だ。
それは肉体的な速度もあるが、重要なのは思考が加速される点だろう。人は緊急事態において、世界をスローモーションで捉える。振り下ろされた剣は速度を弱め、迫り来る魔法は随分とトロく見える。
発動したカウトリアは俺をその状態にしてくれるのだ。
つまり俺は緊急時でなくとも、能力を使用すれば世界をスローにすることが出来る。
カウトリアを所持している時は肉体の速度も上がっていたが、手放して久しい今では思考のみが超スピード。それもリバウンドつきだ。使ったら疲れる。
「永遠っていうのは一瞬の積み重ねだ。俺はその一瞬を人より長く扱える。無理すれば、それこそ『一瞬を永遠のように』捉える」
「ふぅん……一瞬永遠也、か。聖剣カウトリアの使用者は、みんな貴方みたいになるわけね」
「いやいや。それがちょっと違うんだな。普通は手放したと同時に能力は消えてなくなるもんだ」
フェトラスは「おや?」という、意外そうな顔をした。
「だったらどうして貴方は今も能力を有しているの?」
「魔女に没収された演算剣カウトリアだが、その時はちょうど能力を使用しててな。どこに送られたかは知らないけど、能力が中途半端に続いてるんだ」
「…………いきなり隔絶されたからこそ、か。魔女はおそらく聖剣を違う次元に送ったのね」
「分かるのか?」
「なんとなく。きっとカウトリアは、貴方のために別の世界で発動し続けているんだと思うわ。弱々しいけど、まだ繋がっている。いずれは消えてしまうだろうけど、まだ貴方は聖剣……演算剣カウトリアのマスターなのよ」
「……そっか」
かつて握りしめた聖剣。ギィレスを倒し、国を救って、俺を島流しにした要因。そして、フェトラスとの出会いという運命を作った聖なる剣。
「いつか……魔女に会ったらさ、カウトリアを返してもらいたいんだ」
「また魔王を殺すの?」
「いいや。フェトラスってヤツを守るために使うよ」
さぁっと、風が吹いた。
そして彼女は確かに笑った。
ゆっくりと林から出てくるフェトラス。
同じ砂浜の上。魔王は宣言した。
「次が最後の魔法。わたしの全力。ありったけの魔力を使った、派手な魔法」
「いいね。こっちもそろそろ限界だった。小分けにするんじゃなくて、一括払いで頼むぜ」
俺の言葉から何を読み取ったのか。フェトラスは俺にこう尋ねた。
「ねぇ、貴方……本当にわたしを殺す気があるの?」
能力を使うまでもない質問だった。そんなこと、考えるまでもない。
「殺す気なんて無い。全然、これっぽちも無い」
「……そう。じゃあ、これでお別れね」
彼女はそう言って、浜の砂を踏んだ。
「今から唱える魔法について教えておくわ」
「俺の能力をもう忘れたか? 対策なんて、それこそ“一瞬”で立てるぜ?」
「ええ、だからこそよ。……今から唱える魔法は、ズルい魔法なの」
「あれー? 今までの魔法もかなりズルくてデタラメだったけどなぁー」
俺は茶化してみたが、彼女はまったく取りあってくれなかった。
「全魔力を使う、必殺の魔法。――――宮廷料理はさぞ豪華で美味しいんでしょうね」
(それはつまり)「……ツッッッ!」
彼女の一言に俺は戦慄した。
「そう……止めるには、わたしを殺すしかない」
やられた、と思った。
(考えろ、考えろ! 考えろ!! 発動させない、止めさせる、別の魔法に変えさせる! どうすりゃいい! 発動したら俺が死ぬか、ヤツを殺さなきゃ止まらない全力の魔法が来る――――!!)
一度だけ見た魔法。あの日は確か小さい釘を沢山作ってもらったんだ。
細かすぎる作業にブチ切れそうだったフェトラスは、黙って海に出て、あの魔法を唱えた。
忘れられそうにもない、あの光景。
複数の狂った竜巻を生み出す殲滅包囲魔法。
ヘロヘロの彼女が唱えても、ムチャクチャな魔法だった。あれだったらきっと、ギィレスのハゲも瞬殺できた代物だ。
幸いフェトラスは無闇に魔法を使うようなヤツじゃないから特に注意はしなかったが、クソ! 二度と使うなって怒ればよかった! マジで!
「……そういえばさ」
「……なんだよ」
「わたし、今まで何かを殺したことがない。そう思ってた」
「…………」
「でも、殺してたんだね。魔法で割った海……きっとお魚さんを殺してた。毎日食べてたご飯……モンスターも食べてきた。きっと呼吸するだけで、目に見えないものを殺してる」
「だったら俺も同罪だな。魚だってモンスターだって動物だって殺してきた」
「ううん。これは罪じゃないよ。ただ、それが出来るかどうかって話し。人間はそうやって何かを殺すことが出来る。そしてわたしは何もかもを、全てを殺す事が出来る。……それだけの話し」
そこまで言って、彼女は俺に謝った。
「ごめんね。なんか話しが長くなっちゃった。だから、もう―――」
「さよなら」
殺意しか感じ取れない別れの言葉。
微笑みを消した彼女は詠唱を始めた。
「――・・・・――・―――・・・・」
螺旋の双角が、さらに大きく伸びた。
どこまで魔力を練るつもりなのか。いったい、何を相手にしているというのか。
その魔法は神すら殺せるのではないかと錯覚出来るくらい、周到に練られた、魔。
(暴走する力を徹底的にかわし、彼女を疲弊させる。慣れない力。枯渇するエナジー)
それが俺の狙いだった。
しまった。勢いで一括払いを希望したけれど、まだそんなに魔力が余ってたのか。詠唱が一単語伸びるたびに、俺の生存率が下がっていく。
諦めそうな自分がいることに、俺は気がついた。
(このまま受け入れて死ぬか? ダメだ。それじゃフェトラスを守れなくなる。死を避けるために、今すぐ殺すか? 論外だ。じゃあ、やっぱり、この絶望的な魔法を避けて、どうにかしてハッピーエンド? その『どうにかして』ってのが問題なんだよっ……!)
「―――――――――・――――――・・」
ブタの丸焼きだって、クリームパスタだって、牛肉だって食わせてやる。ステーキから包み焼き、米に混ぜ込んで煮込んでもいい。パンで挟むのだってアリだ。
フェトラスのオリジナルの魔法は全部食いものだ。情けない。自分が、情けない。それらを語るだけで与えられない自分が、どうしようもなく恥ずかしい。
『お前……すげぇ魔法使ってるけど、なんでそんな呪文なの?』
『えっ。えっとね、なんでって言われても……し、衝動? あとは夢、かな。今やってる事が、いつかそれに繋がればいいなぁ、っていう。えっと、ごめん。自分でもよく分かんないけど。あ! 別にお腹減ってるわけじゃないんだからね!!』
そんな些細な夢。
叶えるためには、どうすればいい?
「―――・・・・・・・・・・・・・―――」
人間の国にも行ってみたいんだろ? 俺の住んでいた、あの国に行ってみたいんだろ? 美味いメシ屋があるんだ。安いくせに、大盛りなんだ。きっとお前も好きになる。
綺麗な風景だってたくさんある。ギィレスとの戦争で国は疲弊してしまったけど、きっと元通りになってる。だって、魔女がそう約束してくれたんだから。
あのお話の続きを、お前と作っていきたいんだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・――――」
魔法が完成する。
俺は最後まで、フェトラスを止めなかった。
開いた月眼が寂しそうに開かれる。
別れの言葉はもう済んだ。次に出る言葉は、世界に作用するヴァベル語。俺を殺す言葉。
「 【夢の宮廷料理フルコース】 」
クソッタレ。なんて間抜けな呪文だ。