24 「Original Magic」
「 【ブタの丸焼き】ぃぃぃッッッ!!」
俺はその呪文を聞いて、心の中で喝采をあげた。
空間が歪む。
海を割る魔法が、俺を殺すために伸びてくる。
(衝撃波。不可視だが、砂塵で距離と速度を計測出来るな。対象は俺。単純な破壊魔法。サイズ大。避けるポイントは……右に三メートルっ!)
雷の魔法に比べたらとても遅い。だが、威力のある魔法。そうだ。俺が望んでいるのはコレだ。
破壊をまき散らす衝撃。俺は安全地帯まで転がって、その余波に耐えた。
「つっ、うおっ!」
直撃ではないが、通り過ぎる際に生じたあまりの爆風に体が転がされた。一回転しながらも俺はその勢いを利用して立ち上がる。
さっきまで俺が立っていた場所は、ものの見事にえぐられていた。
「危ねぇ、危ねぇ……やっぱりフェトラスの魔法はすげぇな……あやうくヤラれるところだったぜ」
嘘である。単にこの魔法を使い続けてほしいだけだ。
「……分からない。どうして生きているの? なんで魔法が当たらない……いや、避けられるの?」
「それはな、後で教えてやる」
もう一度来いと、ジェスチャーをしながらフェトラスを煽った。
「いま教えて。死んだら答えることが出来ない」
「そういう類の台詞はな、俺を殺した後で後悔と共につぶやくもんだぜ」
「…………上等」
フェトラスは乱暴な言葉遣いをし、詠唱を始めた。
「―――・―――・・―――・―――・・・」
聞き取れない呪文。ヴァベル語ではないな。魔王は独自の言語を操るという話しだから、あれは彼女にしか分からない……いわば、独り言用の言葉なのだろう。
だが魔法を完成させるラストワード、つまり呪文の核はヴァベル語だ。世界に働きかける必要があるから当然だな。
そうしてようやく、聞き取れる言葉が俺の耳に飛び込んだ。
「 【クリームパスタ】ぁぁぁぁっっ!!」
ぶぅん、と。二本の白い触手が彼女の周辺の空気から生まれた。
(切り裂く。捕獲用。…………いや、あれは単にブン殴るための魔法か)
フェトラスが両手を動かすと、それに対応するように触手が動く。柔らかい外見だが、質量を感じられる。敵をなぎ払うための魔法なのだろう。巨人の腕だと思えば対処しやすい。巨人なんて見たこと無いけど。
フェトラスは両手を空にかざして、そして両腕を勢いよく下げた
その動きに同調して、若干のタイムラグを置きつつ二本の触手もぶわりと天に伸び、そしてデタラメな勢いで俺に迫まってきた!
(中距離の全域を攻撃対象にする優秀な魔法だとは思う。けれど、殴り方を知らない者が使うのなら、その凶悪さはいくぶん減少される――――左右によけるか? いいや、バックステップの方が速い。実行)
トン、トン、トン。三歩下がると眼前の地面に白い触手が鉄槌を下した。砂が爆発する音。細かな粉塵。だが白い触手は動きを止めないだろう。
(上の次は、左右)
おそらく両方の触手にサンドイッチにされるはずだ。その可能性が一番高い。
俺は地面が叩きつけられて、数瞬だけ待って、全力で粉塵の中に突っ込んだ。
「うおおおおおおおおおお!!」
粉塵の先は予想通り。フェトラスは両手を広げて構えていた。
「!」
フェトラスの驚いた顔が見えた。そして次に彼女は、焦ったような表情を浮かべる。
(前に。前に、前に前に前に前に前前前―――!)
スローな世界。視界の端に白が見えた。止まるな。転ぶな。ただ進め。
左右から迫る白い触手。
フェトラスが両手をパンとたたき合わせる。それとほぼ同時。後方でバァン! という音が聞こえた。
肩に白色が触れそうになる。だが当たらない。俺は触手の隙間をぬってフェトラスに駆け寄った。
そうしてたどり着いたのは、彼女を抱きしめることが出来る距離。
「くらえデコピン」
「あたっ」
二本の白い触手はかき消えた。それを確認した俺は、フェトラスの両腕を掴んだ。
「クッ……!」
「おおっと、呪文は止めておいた方が無難だな」
殺意に満ちた月眼が俺を捉える。だからなんだ。俺はフェトラスを挑発する。
「もしお前が呪文を詠唱しようとしたら、俺は想像を絶する方法でお前の口を塞ぐぞ」
「ふん……どうやって?」
「キスしちゃうぜ、フェトラスちゃん?」
「バッ……!」
すかさず股間を蹴り上げられそうになったが、余裕で回避。俺はフェトラスの両腕を解放した。
「ついでに言っとくが、地味な魔法じゃ俺は死んでやらない。もっと派手な魔法で来いよ」
俺はそう言い捨てて、ダッシュした。バックステップよりも前に走った方が速い。走りきったら振り返ればいい。そうすれば、後ろは前になる。
「さぁ、次は何だ?」
フェトラスは追撃を行わずに俺を睨み続け、そして口を開いた。
「英雄って、人間じゃないの?」
「人間さ」
何が起きても対応出来る距離に立った俺は、質問に答えた。
「普通の人間さ。怪我したら痛い、刺されたら死ぬ、魔法が直撃したら消し炭になる……そんな人間さ」
「魔法が当たらないのは、わたしの腕が悪いの?」
「いいや、悲しい事にお前の魔法の腕は並じゃない。カルンの魔法が手品に思えるくらいさ」
ほんと、生まれて一年経たないやつが扱う魔法じゃない。
「わたしは……細かい魔法を使うことが多かったから。だから魔法が得意になったのかも」
「おおー。あれか。斧とかノコギリとか、タイル造ったアレだな」
「そう。あれがそのまま……なんていうのかな。魔法の修行になってたみたい」
彼女は不吉に笑った。
「だからカルンさんの魔法も、新しい魔法も、みんな簡単に使える。でも貴方を殺せない。どうしてからしら……」
フェトラスは俺の事をお父さんとは呼ばなかった。
貴方。
そんなことが、いちいち胸に響く。痛い。
(早く終わらせたいが…………あと五発はあるな)
どうにかして回数を減らしたい。俺はもう一度、彼女に要求した。
「俺は派手な魔法が好きだ。なんでかっていうと、大魔法は綺麗だからな。ショボイ雷とか、地味な触手とか……そういうのじゃ死にたくない。どうせやるなら全力で来いよ」
「…………ふぅん。そう。綺麗な魔法が好きなんだ」
「そう。そして派手な感じで。あれだな、ブタの丸焼きなんかは好みだ」
俺がそう言うと、フェトラスは沈黙した。まるで値踏みするかのような視線。案じるような、試すような、同情するような、期待するような。
「……いいのね?」
「いいよ?」
戦々恐々だけどな。
彼女は両腕をだらりと下げたまま、呪文を唱え始めた。
「―――・・・―――・・―――・―――」
本能的な危険を感じて、俺は後ずさりした。もう少し距離をかせいだ方がいい。
「―――・――・・・・・・・――・・―――」
やばい、呪文が長すぎる。
これなら攻撃を仕掛けて中断させた方が良い。戦略としてはそれが最適だ。
だけど俺の敵は魔王でなく、コレは戦いでもない。
はたから見れば「魔王 VS 元・英雄」
だけど実際はただの「親子ゲンカ」だ。
ちょっとだけ誤解があって、最終的には駄々をこねてる我が子を抱きしめるための作業なのだ。
だから俺は、戦略を捨てた。
同時、フェトラスの魔法が完成する。
「 【魔人】 」
力任せではない、本当の魔法。
彼女の背後にある砂が闇に飲み込まれて、変化する。
「おいおい……」
闇を通過した砂は黒い金属に変化して、人の形に成りはじめる。
「そりゃねーだろ……」
そうして生まれた【魔人】は、俺が必死こいて造った家と同じくらい大きなサイズだった。
「ふぅ……どう? これなら貴方好みでしょう?」
「……まぁな。ああ。確かに綺麗な魔法だ」
滑らかな黒い表面。洗練されたスタイル。全身が(たぶん)金属のくせに、雰囲気は軽やかだ。どことなく騎士を連想させる出で立ちをしており、彼は足下に残る闇から無骨なランスを取り出した。槍なぞ、教えたこともないのに。
「綺麗だ……でも……うぅ、全然俺の好みじゃない」
「そんなこと知らないよ。さぁ……行きなさい」
彼女の言葉に反応し、咆哮するようなポーズを取った【魔人】。だが、音は無かった。
代わりに、ダンッという地面を踏み抜く音が。
(これは流石に無理!)
瞬時に思考が絶望に染まった。
迫る速度。質量。重量。プレッシャー。戦って勝てる相手ではない。
(特性上【空蛇】より耐久時間は長いはず。機動性も上。防御力もやばいんだろうな)
剣が必要だろうか、と少し考えた。しかしどう考えても役に立ちそうにない。
(……逃げる!)
俺は右手に広がる林に向かって駆け出した。
ドスッ! ドスッ! という冗談みたいな足音が背後から迫ってくる。
あと二十秒で追いつかれる。
林に至ると、モンスターがいるのが分かった。
「ケキャァァァァァ!!」
威嚇行動を取るモンスター。だが、構ってはいられない。それはモンスターも同様のようだった。モンスターは俺の背後を見るなり一目散に森の中へ逃げていった。
追いつかれるまであと十秒。
ううむ……ひょっとしたら六秒だろうか。
振り返る勇気が無い。
そして何より、そんなヒマが無かった。