11 「食物連鎖の外側」
じゃあ、わたしは誰に食べられるの?
その呟きにはうっすらとだが、自分が強者であることを理解している風にも聞こえた。
食物連鎖の頂点とはよく言ったものだ。あれは確か、高名な賢者が説いた論説の一つだ。
「……フェトラス」
俺は彼女の手をギュっと握って、静かに語った。
「お前は魔王という存在だ。精霊の一種で、自然発生する現象だ」
「……うん」
「普通、精霊というのはメシを食わない。成長しない。意志はあっても考えることはしない。眠らない。増殖せず、ただ一定である事を保とうとする世界の一部だ」
痛くしないように、でも力強く彼女の手を握り続ける。決して離さないように。絶対に離れぬように。彼女が安心出来るように。
「つまり精霊は生きていない。ただ在るだけの、自由な存在だ。そして生きてないから死ぬこともない」
「……でも、わたしは生きてるよね? そして、たぶん、きっと、いつか死んじゃう」
「ああ、そうだな。お前は生きてる。成長するし、考える。食うし寝る。論じるまでもない。お前は生きている」
「…………」
「だけどお前はやっぱり精霊なんだ。そんなお前は食う食われるの世界とは違う領域にいる」
「…………それって、つまり」
「ああ。お前は違う領域にいながら、食うだけの存在だ。他者からは食べられないのに、他者を食べるという、絶対的な一方通行。お前は食物としての連鎖から抜け出しているんだ」
俺は足下に落ちていた棒を拾って、地面に大きめの三角形を描いた。その三角形に三本の横線を書き足す。つまり四つの階層を持つ三角形だ。高名な学者の論説を思い出しながら、俺はそれを簡単に説明した。
「この三角の中にある四つの層。一番下は植物だ。この森を見て分かる通り、植物はとても数が多い」
「…………」
「そしてその次。動物や虫だな。こいつらが植物を食べる」
「……その次は、人間?」
「そうだな。人間は動物と植物を食べる。そして最後。この三角の頭にいるのがモンスターだ。モンスターは植物と動物と人間を食べる」
虫を食べる植物や、モンスターを食べる俺のことはあえて説明を省く。世の中には例外がたくさんあるが、いちいち例外を教えていたらキリがない。
「カルンさんは? つまり、えっと……魔族は?」
「……まぁ、モンスターと同じ領域だろうな」
つまり人間を食う、と。
あまり説明したくなかったのだが、尋ねられると答えないわけにはいかない。
『カルンが俺を食う可能性』を教えたくはなかったのだが……。それでもフェトラスはそこに突っ込まなかった。きっとコイツはあえて尋ねていないんだろうな。
「そっか。モンスターと同じなんだ」
「まぁ、カルンは人間を食うタイプの魔族じゃないと思うけどな」
「ふーん」
フェトラスは何気ない仕草で髪をかき上げ、一番聞きたかったであろう事を尋ねた。
「じゃあ、わたしはどこにいるの?」
「お前は、ここだ」
俺は三角形の頂点に丸い円を描いた。
「ここが、魔王という存在の位置だ」
連鎖からの脱却。頂点にいながらも、三角の内には収まらない精霊。
フェトラスは絶句していた。
彼女は理解したのだろう。自分という存在の一面を。
だが、彼女はすがった。
「これ、本当? でも、もしもわたしがモンスターに殺されたら、モンスターはわたしを食べるでしょ?」
自分もルールの中にいるべきだと、そう思っているのだろうか。フェトラスはみんなと同じ三角錐の中にいたがった。そんな彼女に俺は事実を伝える。
「食べない……いや、食べられないんだ。魔王は死ぬと肉体が消滅するからだ」
「………………………なに、それ」
「お前の身体は、通常の肉体とは違う。切れば血が出るけど、命を失ったら全てがバラバラになるんだ」
「ばら、ばら。灰になるの?」
「それも少し違う。灰すら残らず、光になって消えるんだ」
今度はフェトラスの方から強く、俺の手を握りしめてきた。
「そっか……死んだら何も残らないんだ。じゃあ食べられないね」
「例えばの話し、お前の髪の毛を抜いたとしよう。まだお前の本体が生きているから髪の毛はしばらくのあいだ存在し続ける。だが、時間が経つと煙のように消えてしまうんだ」
彼女はすぐさま一本の髪の毛を抜き取り、それをじっと観察した。
「……消えないよ?」
「そんなに簡単には消えないさ」
俺は苦笑いしながら、出来るだけ柔らかく、残酷な事を言った。
「例えば……そう、例えばだ。想像したくもないが、お前が転んで、腕の肉が欠けたとしよう」
「うげげ」
「例えばだ。気にするな。……こほん。んで、欠けた肉があるよな。それも時間が経ったら消えてしまう。つまりどういうことか分かるか?」
「腕を食いちぎられても、胃の中で消滅するってこと?」
「……お前は理解が早い。そしてそれが少し怖い」
「……ごめんね。ありがとう。気にしなくて良いよ」
「いや……とにかく、そういうことだ。お前の肉体は他者にとって、食料には成り得ない」
「うん。それは……分かった。わたしって、変なんだね」
「変じゃない。ただ、魔王という精霊なだけだ」
「…………やっぱり変だよ」
彼女は落ち込んだようだ。静かな口調は少女が発するものではなく。また一歳にも満たない子供が口にするべきモノでもない。それは深い孤独を知った者の口調だった。
「気にするな。いま話しているのはお前の身体のことであって、フェトラスの心の話しじゃない」
「でも……」
俺の顔を見つめるフェトラスは泣きそうな顔をしていて。『わたしって、なに?』そんな絶望的に重たくて、持たなくていい疑問に押しつぶされている。俺は彼女の頭を優しくなでた。
「正直な事を言うとな、魔王という存在は不可思議な点が多い存在だ。分かってる事より、分からない事の方が多い。それに魔王自身が、魔王という存在を説明出来ないことも理由の一つだろう。でもな」
彼女の髪に隠れている角を優しくなぞる。
「俺はお前を知っている。フェトラス、お前は俺にとって大切な存在だ」
深く考えるまでもない。自然と出た言葉だった。そして、それに自分自身でも驚く。
『大切な存在』……か。
改めてフェトラスを見つめてみる。そこそこデカくなった身体。拾って来た時と比べると大違いだ。髪の毛だってずいぶんと伸びた。表情は豊かになり、感情も、言葉も、全てが色鮮やかに煌めいている。
(もしこいつが、急にいなくなってしまったら)
死んでしまったら。消滅してしまったら。光に、なってしまったら。
(――――イヤだ。絶対に嫌だ)
孤独に戻るのが嫌なわけじゃなく。
ただ、フェトラスがいなくなることが、とても怖い。
俺はそれを自覚した。
俺の言葉に驚いたのは、フェトラスも同様のようだった。
「お父さんは、わたしのこと大切?」
「ああ」
これまたスムーズに出る肯定の言葉。
そして彼女の『どうして?』という言葉無き視線に、俺は答えた。
「お前よりお前の事を知っているし、お前がこの世に現れてから、ずっと俺はフェトラスを見てきた。身体の事じゃないし、魔王という精霊でもない。俺はお前を……フェトラスを見てきた。だから分かる。フェトラスがどういうヤツなのかは、俺が知っている」
「じゃあ教えて……わたしって、なんなの?」
「お前はフェトラスだ」
己という、唯一の存在。フェトラスはフェトラスであると、俺はそう答えた。
「………………」
だけど彼女の不安はまだぬぐいきれない。それはそうだ。彼女が求めたのは絶対的なものでなく、相対的なモノ。他者から見られた自分なのだ。
フェトラスはフェトラスである。では、そのフェトラスとは何か。
俺にとってフェトラスとは何だ?
(お父さん!)
(お父さん! おなかすいた!)
――――ああ、きっとあの時から、俺はそうなんだろう。
自覚なんて無かった。その気なんてあるわけなかった。そんなつもりもなかったし、ついでに言うなら自信は今も無い。
きっとあれは、一歩目だったんだ。デビューしたての新米兵士と同じ。戦う覚悟なんてないのに、戦わざるを得なくなった時の俺と同じだ。
この道を俺はひたすらに歩いて来た。フェトラスと共に。
そして俺は、この道を歩き続けたいのだ。フェトラスと、ずっと。
「お前は、俺の大切な娘だよ」
断定的に。これ以上の説明は要らないと。俺はそういう気持ちを言葉に込めた。
「おとうさん……」
<静かな森の中。魔王は人間に抱きついた>
いいや、違うね。
<庭の中。娘が父親に抱きついた>
言葉なんてそんなもんだ。
簡単なことだった。こいつは俺の娘だ。
今朝はなんだってあんな事を考えたんだ?
『俺にとってフェトラスって何?』
馬鹿じゃねーの? フェトラスは俺の事を「お父さん」と呼んで、俺は彼女を大切に思っている。だったら娘でいいじゃないか。他の言い方ってあるか?
俺は親を知らない。
でもフェトラスにとっては、俺こそが親なのだ。
繰り返す。俺は親を知らない。でも、俺はフェトラスを知っている。彼女が俺を「お父さん」と呼んでくれるのなら、俺はきっと親だ。そしてフェトラスは俺の娘だ。
鳥が先か、卵が先か。しゃらくせぇ。どっちも美味いからそれでいいじゃないか。
話相手? 楽しい同居人? 魔法が使える凄いヤツ? 大切なヤツ? 面倒くせぇ。もう娘でいいじゃねぇか。
俺はここで、ようやく受け入れることが出来た。曖昧な関係に終止符を。
少しだけ深呼吸して、一つのセンテンスを思い浮かべた。
(俺は娘を抱きしめている)
違和感は無かった。完璧な情景描写だ。
思えば、彼女はずっと俺の事を「お父さん」と呼んでいたのに、俺はフェトラスのことを「娘」と呼んだ事が無いように思える。口にした事はあるかもしれないが、本当の意味で使ってはいなかっただろう。だって、俺は親がどういうモノかを知らない。だから親にはなれない。
―――しかし、親の定義なんてどうでも良くなってきた。そもそも親の心得なんてハナから知らないっつーの。
親の資格なんて必要ない。親なんて、娘なんて、結局はただの関係性を表す言葉に過ぎない。
そして俺達の関係性。これを表すのに最も適切と思われる表現はなんだ?
やはりそれは、親子以外にはあり得なかった。
(ああ、何度だって言ってやる。お前は俺の娘だ)
ひっそりと確認を終えた俺は彼女に言った。
「フェトラス。俺の娘よ。自分の存在理由みたいな難しい事を思い悩む必要は無い。分からなかったら俺に聞け。俺も分からなかったら、一緒に考えよう」
「うん……」
「そして、モリモリ食べて、ガッツリ遊んで、グースカ眠れ」
「お父さん、そればっかり」
フェトラスはクスリと笑った。
「うん、でも分かった。ちゃんと考えながら……食べて遊んで寝るよ」
「おう。そうしろ」
ニッコリと笑顔を見せると、彼女の憂い顔は、ようやくこの世から消え去ったのであった。
心が満たされる。だけど言葉に表すことは難しい。
とりあえず俺はすさまじく照れくさくなってきたので、ゴホンと咳払いを一つした。
「というわけで、果物狩り再開だ。午後には遊ぶんだから、しっかり食おうな」
「……うん!」
モンスターは何故か現れない。そもそも動物は見つけづらい。きっと、今日の昼食も果物だけで終わるだろう。だが、それでもいい。果物は美味いしヘルシーだ。良いことづくめじゃないか。ああ、でも肉も食いたい。
そんなことを考えながら、俺達はふたたび歩き始めた。
通りすがりの樹木や花の名前を教えたり、改めてフェトラスが着ている精霊服について解説してみたり。通行に邪魔っぽい木の枝をちょっとした剣技で切断して見せたり。
そうこうしている内に、フェトラスが握りしめていた髪の毛はいつの間にか消えていた。
きっと風に飛ばされたのだろう。
適量の果物を収穫して、俺達は家路についた。
「ねぇ、今日はモンスターを見かけないよね」
「お前も気がついたか。実はそうなんだ。気配すら感じない」
「……あれ? ひょっとしてフェロモンを制御出来てるのかな?」
「んなアホな。だいたい、昨日まで全開だったじゃねーか」
「あっ、そうか……急に出来るわけないよね……」
「もしそうだとしても、引っ越しただけで制御出来るような甘いモンじゃないだろ。それはお前だって分かってるだろ?」
「うーん、そうなんだけど……じゃあ、なんでモンスターが来ないの?」
「知らんっ!」
俺はニッカリと笑って、
「……知らんぞっ!」
二度、同じ事を言った。
「…………ま、いっか」と、俺の口癖を真似するように、フェトラスは笑った。
「じゃあ別の質問。あのさ、わたしやカルンさんは魔法を使えるけど、人間は魔法を使えないんだよね。でもなんでお父さんは魔法のことを知っているの?」
「あ? 人間が魔法の事を知ってたらいかんのか」
「そうじゃなくて。使えないモノの知識を持ってるのは何でかなぁ……と。ほら、それって魚が陸の上で走る方法を知ってるみたいで、変だと思う」
「世の中には陸上を走る魚もいるってことさ。つまり、人間の中にも魔法を使えるヤツがいる。魔法使いとか、魔女とか呼ばれる連中だな。そういったヤツらが俺達に魔法のことを教えてくれるのさ」
「へぇ……人間も魔法を使えるんだ」
「すごく少ないんだけどな。そして俺は魔法が使える理由も理屈も知らん。けど、アイツらは必要があれば魔法について教えてくれる」
「必要? 使えない魔法のことを知る必要があるの?」
「あるさ。例えば、魔法を使う魔族が攻めてくるとする。その時に知識というのはとても役に立つ。だから、人間は魔法についての研究を怠っていない。だから協力的な魔女ってヤツは人間の中でもかなり重宝される」
「ふぅん……」
彼女は短い納得の声をだして、最後にこう言った。
「人間かぁ…………いつか、お父さんの国とか行ってみたいなぁ」
きっとその日は限りなく遠いけど、
「そうだな。いつか……連れて行くよ」
俺は約束した。
家に戻ると、カルンが仁王立ちで家の前に立っていた。
「…………どこに行っていたのですか?」
「森だが?」
「果物を取ってきたんだよ!」
フェトラスが嬉々とした様子で収穫の成果を見せつけると、カルンはため息を吐いた。
「言ったではありませんか。寝るのは明け方と夕方だと。昼間は起きてます。どうして私に黙って外に出るのです」
「なんだよその言い方。外出にはお前の許可が必要なのか?」
突然、場の空気が凍った。
本当に唐突にだ。
どうやら俺の『許可』という一言は、カルンを激昂させてしまったらしい。
「………………」
だがカルンは何も言わない。ただ怒りのオーラを発するだけで、何も言わない。
「そもそも、お前がどこで寝てるとか知らないんだが。書き置きでも残せば良かったのか?」
「……」
「あれ?」
フェトラスだけがキョトンとしている。
「……………………」
「なんだ。何か文句があるなら聞こう」
俺はカルンを真っ直ぐに見つめた。ヤツからすると、それは見下されたに等しい行為だったようだ。フェトラスの手前、表情こそ変えないが俺の鼻はあの匂いをかぎ取った。
「…………文句、ですか」
「そうだ。俺が気に入らないんだろ? 言いたいことがあるなら言えよ」
カルンは一瞬だけフェトラスを盗み見て、表情を和らげた。
「フェトラス様が食事を控えているようですので、話しは後で。美味しそうですね。それが本日の昼食ですか?」
「うん! カルンさんの分もあるんだよ!」
「それはそれは……ありがとうございます」
カルンはいつぞやの日のように、跪き深々と頭を下げた。まるで祈りにも似た、怒り狂う魔族が見せる服従のポーズ。
フェトラスは何も気がつかないまま、いつものように「あ、頭をあげてよぉ……」と困りはじめた。
そんな彼女に俺は声をかける。
「フェトラス。家の中で待ってろ。食事の準備が出来たら呼ぶ」
「え? どうして? 食べるだけだよ?」
「果物を美味しく食べるテクニックがあるんだよ。今日の果物は料理するから、待ってろ。すぐに済む」
「果物を料理するの!? 焼くの? 煮るの?」
「秘密だ。お前をビックリさせるために調理方法は秘密にしたいから、家の中で待ってろ」
フェトラスはパアァァ、と目を輝かせて家の中に入っていった。ちなみにスキップだ。かなり可愛い。
「さて……」
魔王は家の中に。
剣は左の腰に。
魔族は眼前にいる。
周囲に邪魔者の気配は無く。
そして俺は此処にいる。
「カルン。気に入らないことがあるなら、いま、ここで言え」
深緑の皮膚。その肌に浮かぶ紋様式。白いコートには血の染みが。額に生える黒い一角には魔力が詰まっている。
「……………………」
魔族はニヤリと笑った。




