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第十六章 その面影(1)

「人間ってのは人生の半分以上を無駄に過ごしちまうらしいんだよな。」


 紙に文字を書き綴っていると向かいに座っていた男はそんな事を言い出した。またいつものホラ話の類か、とヴェルナーは話半分でそれを聞いている。


「最近の世の中はさ、生き急ぐ連中が多いわけよ。だからこそ、僅かな余暇を生きる糧として精一杯楽しむって言うのもわかる。でもよ、俺は本当にそれでいいのかと思うわけだ。そうやって言い訳をして、貴重な時間を必要以上に貪り食っているのは果たして善業か?そもそも何もしていない時間というのは、何の生産性も無い、虚空の時間だ。時間は有限、時は金なり。そう言って危機感を煽いで来た人間にとって、これこそ忌むべき毒だと俺は思う。お前もそう思うだろ、ヴェルナー?」

「俺は思った事無いよ。」


 素っ気なく返すと、突然こめかみに拳骨が押しあてられた。あまりの痛みにペンを取り落として、悲鳴を上げる。


「随分生意気な態度取るようになったじゃないか、この餓鬼が。」

「痛い!というか、あんたが一番俺の時間無駄にしてるじゃないか!書き取りさせろよ!」


 理不尽な暴力に激しく抗議した。男は気が済むと俺の頭から手を離し、また一人でブツブツと文句を垂れながら椅子をガタガタ揺らす。


「要するにあんた暇なんだろ?」

「だって、お前、俺が教えた事すぐ覚えちまうんだもん。張り合いねぇわ。」


 大の男が口を尖らせて茶目っけを出したところで、ちっとも心動かされない。

 この男は最近ヴェルナーにちょっかいばかりかけてくる。出会って最初の頃は、読み書きも計算も全く分からず、この男に色々と教えてもらっていたのだ。男はそれを面倒くさそうにしつつ親身に教えてくれた。

 しかし、ある程度慣れてくるとヴェルナーは一人で勝手に勉強するようになった。そうすると、この男は逆に「暇だ暇だ。」とこちらの邪魔をするようになっていた。全くどちらが子供かわからない。

 へそを曲げている男を無視して、書物の書き取りの作業に戻った。だが、往生際の悪い男は唐突にたちあがりヴェルナーの首根っこを掴んだ。


「よし!書き取りはやめだ。今日は課外授業に行くぞ。」

「は!?課外授業って、もう夜じゃん!何しに行くんだよ!?」


 ヴェルナーの抗議になど一切耳をかさず、男はヴェルナーを引きずって夜の街へと足を踏み出した。




 連れていかれた先は、狭苦しい居酒屋だった。綺麗に着飾った女性従業員が男性客にお酌をし、皆愉しそうに談笑している。ヴェルナーはまだお酒を飲んだ事が無かったにも関わらず、男が勝手に注文したきつい醸造酒を飲まされた。


「どうだ?酒ってのは上手いだろ?」

「……苦い。」


 同じ酒をぐびぐびと飲み込む男に対して、ヴェルナーは素直な感想を述べた。これなら甘ったるい果実ジュースを腹いっぱい飲まされる方がましだ。すると男は喉を鳴らし、からかうように目を細める。


「まったく、子供だねぇ。ま、大人になればそのうちこの美味さもわかってくるさ。」


 その言い草にカチンときて、ヴェルナーはやけになって、手の中の酒を一気に飲み干した。

 ヴェルナーはその後の事をよく覚えていない。ぷっつりと意識が途切れ、気が付いたら見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。


「あら坊や、起きた?」


 視線をずらすと、女性がベッドの傍で果物を剥いていた。さっき店で隣に座っていた店の従業員だ。ゆっくりと身体を起こすと、頭に激痛が走る。思わず頭を抱えると女性はクスクスと笑った。


「はい。気分がすっきりするわよ。」

「ありがとうございます。」


 差し出された果物を一口食べると、甘酸っぱい果汁が広がって本当に少し気分がすっきりした。と、同時に冷静になって、女性にここがどこだか尋ねる。


「ここ?私の部屋よ。」

「さっきの店は?」

「ここの下の階よ。」


 下が酒場で上が寝泊まりできる部屋。酒を振舞う女性従業員、客は皆男性。ヴェルナーはようやく全てを察して、余計に頭痛がひどくなった。


「……俺帰ります。」

「あら、帰っちゃうの?多分ライトロウさんは朝まで戻らないと思うけど?」

「いいです、一人で帰ります。」


 ヴェルナーは介抱してくれていた女性に丁寧に挨拶すると、逃げるように店を後にした。

 この後、明け方に帰ってきた男に、子供を売春宿に連れて行くなんて何を考えているのかと、ありったけの恨み辛みをぶつけたのは言うまでも無い。

 ただ、この話は後日談があって、ヴェルナーが軍学校に入学した直後の頃、同年の男連中の間でそういう話題になり、売春宿に行った事があると話すと皆から羨望の眼差しを向けられた。本当は酔っぱらって介抱されただけというのは内緒だが。


 ともかくも、ヴェルナーが共に過ごしてきたその男は、ヴェルナーに役立つ事を沢山教授してくれたわけだが、その実やり方は破天荒、ヴェルナーは強引な彼の行動にいつも振り回されっぱなしだった。それでもヴェルナーにとって、彼が教えてくれる全ての事が新鮮で興味深かった。


 明朗快活、豪快奔放。

 ヴェルナーにとって、サイフォス=ライトロウとはそういう男だったのだ。


 ◆

 私は記述者にお仕えする侍従女の一人だった。その時代、二人の記述者はすでに神にも等しい存在として崇められ、信者たちが立てた御殿にそれぞれが暮らしていた。記述世界というのは、多角的な意味で資源の宝庫だ。この世界に必要な資源や人材を生みだし、記述者がそれをこの世界に具現昇華させる事によって、この世界は絶大な繁栄をもたらした。だがら、記述者はこの世界にとっての神であり、尊ぶべき存在なのだ。


 記述者の一人、シャスティ=ヒースという男は、自身の権力とその実力に絶対の自信を持っていた。より多くの記述世界を創造し、部下たちにそれを管理させた。彼は記述世界の中での記述者信仰を推奨し、自身を神と称した。自分に得られぬものは無い。だがそれは決して驕りではなく、そうあるだけの確かな実力が彼にはあった。


 サイフォス=ライトロウはシャスティとは正反対の人だった。物腰は穏やかで慎重な性分で、孤独を好んだ。シャスティが多くの人間を傍に置く一方で、彼は一人の従者も世話役も付けなかった。

 彼は記述世界もたった一つしか創らなかった。それが『オルセン帝国』、彼はこの世界を皇帝崇拝による世界に仕上げ、いずれその絶対的権威が綻びていくというシナリオを書き上げた。シャスティの様に、記述者崇拝を掲げた永久の繁栄の国にはしなかったのだ。

 その事について、一度だけサイフォスが口にした事がある。


「記述世界など紛い物の幻想だ。そんなものに永遠の平和などを取り繕って何になる?そもそも僕たちは何のために、記述世界を生みだし神の真似ごとなどやっているのか。最近それがわからなくなってきたのだ。」


 その頃にはシャスティとサイフォスの間に確執が生まれていた。世界を次々に創造し、無作為に拡散していくシャスティに対し、サイフォスはその意義を問うた。神と崇められる事に満足しているシャスティと、天子のいなくなった今記述術に何の巧妙も無いと主張するサイフォス。二人は長い年月の末、徐々に仲たがいを始めていたのだ。


 私はそんなサイフォスに自ら志願してお仕えした。彼と隔たりなく話すようになったのは、本当に偶然のことだったが、それ以来、私は彼が寂しそうな目をして話すのを放っておけなくなってしまったのだ。

 私にとって、サイフォスは神などでは毛頭ない。彼は長い時を孤独に生き続けた一人の悲しい人間なのだと思った。彼は繊細な人だった。人を強く遠ざけている様に見えて、その実誰よりも寂しがり屋だった。そんなサイフォスに私は惹かれていき、サイフォスもまた、私を傍に置く事を許した。

 やがて私たちはお互いを深く思い合うようになった。その頃にはサイフォスは、神ではなく一人の人間として笑っていた。彼と過ごした年月は夢の様だった。こんな幸せがいつまでも続く事を願っていた。


 だが、それは唐突に終わりを告げた。サイフォスとの仲を知ったシャスティが私を呼びつけた。そして私を嘲笑ってこう言った。


「お前は神を誑かしてどうするつもりか?お前の様な下賤の輩が神聖なる者と同格に扱われようなどと、片腹痛い。」


 その言葉に、私は怒りを抑えきれなかった。サイフォスは神などではない。あの人は私と同じ人間なのだ。私はあの人の痛みも苦しみも喜びも楽しさも、全て分かち合いたい。と。

 それが、シャスティの怒りを買った。気づくと私はシャスティの部下たちに捕らえられ、死ぬことの方がましだと思えるほどの屈辱を受けた。その時の事は正直よく覚えていない。私も思いだしたくないのだ、深く聞かないで欲しい。


 意識が戻った時、私は身も心もボロボロの状態でサイフォスに抱きしめられていた。彼は何度も何度も私に謝った。でも、私はサイフォスがどうして謝らなければならないのか理解できなかった。あなたのせいじゃない、私は彼にずっとそう言っていた。彼がひどく憔悴しきった顔でいるのが苦痛だった。早くまたあの笑顔を見せてほしい、私の願いはそれだけだった。

 だがサイフォスは元には戻らなかった。その出来事を境に、サイフォスはますます塞ぎこみがちになった。さらにシャスティの報復を恐れてか、私をサイフォスの御殿から決して出す事は無かった。以前より一緒にいる時間が増えたのに、サイフォスの心はますます濁り深くなっていた。


 ある日、私はサイフォスに連れられて、この書架を訪れた。私はこの書架の存在をよくわかっていなかったが、サイフォスは私にこう言った。


「ここは僕が創り上げた世界の全て。今日から君に全てあげるよ。」


 その言葉の意味がわからないまま、サイフォスはさらに続けた。


「君はしばらくここにいてほしい。大丈夫、ここにいれば君が望むものはなんでも手に入る。君の望むままにこの書架は動いてくれる。本も自由に読んでいいよ。ここには沢山の人たちの人生が詰まっている。……一人ぼっちじゃないから。」


 それを合図に、サイフォスは私を残して書架から消えた。最後に、彼は私にこう言ったんだ。


「必ず迎えに来るから。それまでどうか、ここで待っていて。」

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