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第十五章 世界の真実(4)

 少女に誘われて螺旋階段を上り続ける。どこまで上がるかのかと不安になったが、少女はとある階で止まり、廊下を躊躇ない足どりで進んでいった。そして、一つの本棚の前に立ちどまる。


「……ここに何かあるのか?」


 少女は答える代わりに、頭上の本を指さした。ヴェルナーはそれを手に取る。

 人物名鑑の本だった。年は一七八六年、熱月の一日から十五日まで。ヴェルナーがいた時期の二十二年前の夏だ。


「読めって?」


 少女に問うと少女はコクンと頷いた。ヴェルナーは壁にもたれかかり本をパラパラとめくる。

 それまで閲覧した人物名鑑と同様に、見覚えの無い名前がつらつらと書かれているだけであった。一体少女は何を示しているのか、そう思った時、たまたま開いたページに書かれた名を見て呼吸が止まりそうになった。


『アイリ=フォン=クレベルト=ジュンア

 性別女性

 一七八六年熱月四日、帝都国立病院にて生誕。父はシーザ=フォン=ジュンア、オルセン帝国軍大佐。母はカテラ=フォン=ジュンア(旧姓フィリス=クレベルト)、シーザの妻。身体は良好、性格は父に似て旺盛で溌剌。二歳の頃より貴婦人教育、社交教育、その他教養を学ぶも、元来の性分から剣術や乗馬などの軍兵訓練に興味を示す。』


 その一文にヴェルナーは思わず噴き出した。彼女は昔からああなのか、成長してもあまり変わっていない気がする。口元を緩ませながら、ヴェルナーはその経歴を読み進めた。


『十五歳、トランベル国立士官養成学校に入学。一年基礎科で学に励み、次学年より騎兵科に転属。

 十六歳、校内馬上大会でトップの成績を修め、その年の最優秀生徒に選ばれる。座学でもトップの成績を修める。』


 アイリが成績優秀だったのは本当だったらしい。騎兵科の中でも指折りの実力者だった。主席になったのも頷ける。ヴェルナーはアイリの一つ一つの経歴を見ながら、今まで平然と共にいた日々を懐かしく思った。だが、読み進めていくうちにある一文に顔をしかめる。


『二十歳、騎兵としての輝かしい業績を持って、騎兵科の主席に選抜される。さらに、その年の名誉首席総長の座を獲得し、軍学校を卒業した。卒業後、間もなく近衛師団へと配属され、後にエルパト紛争やモーゼンテル包囲事件に従軍し偉大な功績を修める。』


 ―――おかしい。あの年に名誉主席になったのはヴェルナーのはずだ。それなのに、記述上ではアイリが名誉首席総長に選ばれていた。


 首をひねっていると、服の裾をつい、とつままれた。顔を上げると、少女はまた別の本を指さしている。ヴェルナーは、アイリに関する記述が書かれた本を一端置き、少女が次に指す本を手に取った。


『人物名鑑 第五九四二三巻 一七八四年 雨月 十六日から三十日まで』


 ヴェルナーは手に取った本を読み始める。しかし、ページをめくれども聞き覚えのある名前が出てこない。


「……もっと先。」


 初めて少女が声を発した。ヴェルナーは手を止めて一瞬少女を見るが、気を取り直して少女の言葉に従った。ヴェルナーがパラパラと本をめくると、少女があるページで「ここ。」と呟いた。そのページに目を通す。


『ロイ=ガルム 

 性別男性

 一七八四年雨月二十五日、トランベル南部シュワルク区カデンツ通りにて生誕。父はトーマス=ザフィー、最下層労働者。母はマリー=ガルム、路上売春婦。なお、父親は子の存在を認知していない。

 生後間もなく、母マリーは栄養失調で死亡。ロイは、母の友人ヘレナ=ミードに託されるも、一年半ほどでヘレナは性病で死亡。以後、ロイはカデンツ通りにて一人で生活を始める。』


 読んだ瞬間に鳥肌が立った。ヴェルナーは、ロイという名を聞いたことが無い。その父の名も、母の名も、母の死後彼を世話していたというヘレナという名も。

 だが、カデンツ通りに覚えがある。そこは幼少期、孤児であったヴェルナーが過ごしていた薄暗いあの通りだ。カデンツ通りにて放り出された幼児、ひどく既視感を覚える。

 最初は同じ境遇の子供だと思った。あの通りにはヴェルナーの他に何人もの浮浪者がいた。自分と同じ年頃の子どもがいたとして、何ら不思議ではない。だが、読み進めていくうちに、このロイ=ガルムという少年の生涯は、まさにヴェルナーの少年時代そのものだと確信する。ヴェルナーが取った行動もその結果も、ロイ=ガルムの記述に驚くほど酷似していた。まるでヴェルナー自身の行動記録を見返しているようだ。ヴェルナーは途端に吐き気がして口を押さえる。


「まさか……、これが俺か?」


 このロイ=ガルムという名が、ヴェルナーの本当の名前なのか。あり得ない話ではない。ヴェルナーはサイフォスに会うまで、自分の名前を知らなかった。両親の顔も覚えていない。だが、ヴェルナーがあの世界に生を受けている以上、必ず父と母は存在する。そして、幼いながらも彼が一人で生きて行けるまでの間、彼を育てた人間が少なからずいるはずなのだ。それがもし、ここに書かれている人々だったとしたら。

 読み進めるのが恐ろしくなった。見ず知らずの人間のはずなのに、書かれているのは自分の事。気味が悪くて眩暈がした。


「……大丈夫?」


 少女が心配そうに顔を覗き込んできた。よほど青い顔をしていたらしい。手を軽く上げて、問題ないとジェスチャーすると、再び本を食い入るように見つめた。

 知らなくてはいけない。自分の事を、自分に何が起こったのかを。たとえそれがどんなに残酷な真実であっても―――。


 だが、次に続く記述はヴェルナーをさらに混乱の境地に陥らせる。


『十二歳、ロイは金品を強奪するため、ベルクリフ会の重役ルーヘン=ベルクリフを襲撃する。しかし激情したベルクリフから報復を受け、シュワルク区ダイナー通りにてベルクリフ会の実動員らから暴行を加えられ死亡する。』


「死亡した……?そんな、まさか……、俺はちゃんと生きて―――。」


 ロイ=ガルムの記述はそこで途絶えていた。それはつまり、ロイ=ガルムの人生がそこで終わった事を示す。彼はあの暴力組織に命を奪われた。では、今ここにいるヴェルナーは?


 記述と現実が異なっている。今まで得た情報の全てを照合していく。

 先ほど見た、アイリの記述を思い返した。アイリが名誉首席になったという事は、記述上においてヴェルナーは存在しない人間だったとすればどうだろうか。

 そして、ロイ=ガルムの記述。彼は十二歳の時に、あの連中に殺された。だから、彼がその先を生きる事も、軍学校に入って名誉首席になる事も無かった。

 では、その記述の顛末を変えたのは何か、彼の死を回避させたのは何か―――。


「……サイフォス!」


 記憶を辿る様に、真相の糸を紡ぐ様に、あの時の出来事を思い出す。そうだ、ヴェルナーはあの時、サイフォスに助けられたのだ。だから、生きている。ロイ=ガルムとヴェルナー=ライトロウの違い、それはサイフォスの存在だ。

 つまり、ヴェルナーとその周辺の人間の人生は、サイフォスの存在によって誤差が生じている。


「なあ、お前!ここにある人物名鑑の内容全て覚えてるのか?」


 隣に座っていた少女の肩を乱暴に掴む。少女は少しびっくりした様に目を見開いた。


「俺にこれを見せたってことはそうなんじゃないのか?だったら教えてくれ。サイフォス=ライトロウの記述はどこにある?」


 少女はただ目を見開いたままで、口を開かない。ヴェルナーは苛立ちに任せて、少女に怒鳴りつける。


「答えろよ!サイフォスは何者なんだ!どうして俺を―――」

「サイフォス……?」


 背後から声がした。振り返ると、ソフィアが驚愕に身を震わせてこちらを凝視していた。その顔はヴェルナーが今まで見た事も無いほど、感情を浮き彫りにしたものだった。

 様子がおかしいソフィアに気を取られていると、掴んでいた少女が身をひるがえして逃げていった。


「あ!待ってくれ!お前―――」

「待て!!」


 少女を追いかけようと駆けだしたヴェルナーの袖をソフィアが掴んだ。急に引っ張られてバランスを崩しかけて何とか踏みとどまる。

 ヴェルナーを引きとめたソフィアは、これ以上ないほど怒り狂っていた。いや、怒りというより動揺して我を忘れているようだ。


「何故お前がサイフォスの名を知っている!?あの人は今どこにいるんだ!」

「待て、落ち着けって。話すから!」



 必死の形相で食らいついて来るソフィアを窘めて、ヴェルナーたちは書架の隣の部屋に移動する。扉を開けるとおあつらえ向きにテーブルに二人分のお茶が煎れられていた。毎食のことなので、すでに突っ込む気は失せている。

 見えぬ好意に甘えてお茶を飲みながら、ヴェルナーはサイフォスと出会った時の事、二年ほど共に暮らしていた事、忽然と姿を消しヴェルナーはその行方を追っている事、そして先ほど発見したロイ=ガルムの記述とその矛盾について話した。全てを話し終えると、ソフィアは憑き物が取れた様に肩の力を抜いた。


「俺はおそらく、十二歳の時死ぬはずだった。だが、死ななかった。サイフォスと名乗る男が助けてくれたからだ。俺は彼に名前を与えられて育った。」

「……お前の名は?」

「ヴェルナー、ヴェルナー=ライトロウ。」

「ヴェルナー……、そうか。あの人が付けそうな名前だ。」


 ソフィアはふっと笑うと、悲しげに目を伏せた。その表情に何故かひどく胸がざわめく。

 聞けるかもしれない、サイフォスの事を。これまで何度も願ってきた、あの人の事を知る事が出来るかもしれない。そう思うと、ヴェルナーは急に動悸が止まらなくなった。


「サイフォスの事話してくれるか?」


 自分の話せる事は全て話した。次はソフィアが語る番だ。ソフィアはしばらく黙っていたが、覚悟を決めた様にそっと口を開いた。


「この世界に二人の記述者(テクスター)がいると以前話したな?名は、シャスティ=ヒース、そして―――サイフォス=ライトロウ。」

「えっ……。」

「サイフォスはこの『オルセン帝国』を記述した記述者だ。そして、私は……彼の、恋人だった。」


第十五章完。

今回登場したソフィアで主要登場人物は全て出そろいました。

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