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第二十六章 王の願い、語られる頃(12)

 ◆

「今日、余が貴公らに話す言葉は、一君主としてであり、同時にオルセンの一人の民としての言葉である」


 皇帝の演説は厳かに、そんな言葉から始まった。皆誰ひとりとして言葉を発さなかった。口を奪われ目と耳を支配された群衆たちが見守る中皺枯れた一人の翁は言葉を紡ぐ。


「余はこれまでオルセンの民の為に全てを捧げてきたつもりだった。この地に生まれ落ちた時から、この地に生きる全ての民の命を守る宿命を受けた。余はそれが正しい事だと信じ疑わなかったし、拒否する理由も見当たらなかった。

 だが、この年になってようやくそれは間違いである事に気づいた。

 今、この国は最大の岐路に立たされている。三度のイシルとの戦争、ガフラスの振興、……そして先日起こったモーゼンテルでの暴動。この国はもはや古き因習だけに囚われていては未来は無い

 その先に在るのは滅亡と動乱、そして犠牲だけだ。

 君主の栄誉はもう過去の栄光に過ぎない。だからオルセンは新たな段階へと進んでいかねばならぬと思う。ついて、余は諸君らに提案したい事がある。

 一ヶ月後帝国議会の承認の元に、オルセン帝国第一回憲法制定決議を開きたい。制定を以て、オルセン帝国は今から十カ月以内をめどに、立憲君主制へと移行する。

 いずれ全国民の前で大々的に公表するつもりだが、これは貴族階級、そして全国民同等に施行される絶対的符牒となる」


 ざわ、と観衆が波打った。皇帝が国の終わりを告げている。何百年と続いた絶対君主の系譜を皇帝自ら終わらせようとしている。


「恐れながら皇帝陛下、あなたは憲法を制定する事で、国の行く先を司法と国民の手に委ねようとしているのですか。陛下はこれまで通り君主として君臨し、民にその一切の権限を譲渡すると?」


 言葉を発したのは、群衆の中に紛れていたオルセン軍将校アーロン=ドメルトだった。


「あなたがそう御決断されたのは、ここ一年各地で勃発した暴動、そして先日起こったモーゼンテルでのクーデタに起因しているとお見受けしました。あなたはこの一連の事件をどう解釈成されたのですか?」


 会場に緊張が走った。モーゼンテルの一件は、ここにいる人間全員にとって暗黙された出来事だ。口では語らずとも、誰もがそれに対する王の答えを待ち望んでいるのだ。


「……あの一件に関して言えば、君主として誠に遺憾であったとしか言いようがない。そして、それだけであったなら、おそらく私は王座に留まる事はしなかっただろう」


 どよめきが上がった。皆が動揺する中、ドメルトは王に問いかける。


「では何故、あなたはそのような英断をなされた?」

「なに、案自体は前々から常に考えていた事だ。ただ、そうだな、それを決意させたきっかけとなったのは…」


 皇帝は一区切りを置いて、ふっと息を吐いた。そして、穏やかな笑みで続けた。


「今しがた、とある若者と話をした事だ」


 ◆

 ヴェルナーはアイリの名を呼んだ。それだけで、感情は動き暴れ制御のできない暴君となり果てそうだ。


「……お前に一つ言っておきたい事がある」

「……何よ、突然」

「お前は二年前俺たちと旅した事は無駄だと言ったな?」


 アイリの表情が曇った。あの日、反政府組織に襲われた後、アイリがヴェルナーに訴えた事、ヴェルナーは一度だって忘れてはいなかった。何度も何度も、彼女の言葉が頭の中で繰り返された。呪縛の様に、ヴェルナーを縛っていた。


「改めて言う、俺はあの旅は決して無駄じゃなかったと断言できる。…俺にとっても、お前にとっても」

「……どうしてそう言えるの?」

「お前、旅の途中で盗賊を盗伐した時の事を覚えてるか?」


 アイリは頷いた。あの時の出来事が遠い昔の事の様に感じられる。


「あの時襲われた馬車に子供がいただろ。お前会ったはずだ」

「子供…、ああ、そういえばいたわ。男の子と女の子、兄妹みたいだった」

「モーゼンテルでその二人に会った。博士の孫だった」

「えっ、嘘」


 思わぬ事実にアイリは豆鉄砲を食らったような顔をした。ヴェルナーは彼女に語る。博士が孫と出会えて泣いていた事、兄弟の母親がヴェルナーたちの事を覚えていた事、そして、


「あの兄妹、あの後もずっとお前の事憧れてたらしい、正義の騎士だって。兄貴の方は、お前に憧れて軍人になりたいとまで言ってるそうだ」

「そんな、私……」

「お前は確かにあの子たちの命を救ったよ。救っただけじゃない、お前は確かにあの子たちとその家族の運命を動かした。お前が旅をしなければ起こり得なかった事だ。…それでも、お前はあの旅が無駄だったなんて言うのか?」

「私は……」

「変わったのは彼らだけじゃない。……俺だってそうだ」


 ヴェルナーはかつてアイリやバズ、カテラと共に旅をしていた時の事を思い起こす。


「ヨドでライムの奴に捕まって、あいつが俺の事を貧民街育ちのゴミ以下だって言った時、お前俺の為に怒ってくれただろ。俺、本当は凄く嬉しかったんだよな」

「嬉しかったって…当然じゃない。あんな風に言われて怒らないわけ―――」

「いなかったんだよ、そんな風にまっすぐ俺の為に怒ってくれる奴、だから凄い新鮮で、嬉しかった」


 それだけじゃない、メリノでも同じように自暴自棄になっていたヴェルナーを叱ってくれた。メテルリオンで無茶をするなと泣いてくれた、我儘も聞いてくれた。


(―――そうか、ようやくわかった)


「俺はお前に会えてよかった。もしあの夜お前が俺を襲わなければ、もしヨドでお前がライムに怒ってくれなかったら、もしメリノで俺を怒ってくれなければ、もしメテルリオンで俺の我儘を聞いてくれなければ、―――今、俺はここにいなかった」


 アイリの瞳が一層潤んだ。月の光を反射して輝く。


「お前はいつだって俺の背中を押してくれた」


 口を開けば喧嘩ばかりだったけれど。ライムには泣かせるなと言っておきながら、自分は泣かせてばかりだったけれど。それでも会えてよかった、その気持ちに偽りはない。


「……馬鹿みたい、そんな些細な事で……、私がやった事なんて大したことないじゃない……」

「俺にとってはそうじゃなかった。お前は違うか?俺と会った事は大したことじゃないと?」

「……そんなわけない」


 ぽつりとアイリは呟いた。目に溜った涙をめいいっぱい堪えて、声を揺らして、それでも気丈に振舞っている。


(……ああ、そうだ)


 ヴェルナーは思い出した。泣きそうになりながらそれでも凛と前を向く健気な姿。

 これが、アイリ=ジュンアだ。

 その姿に幾度となく心を動かされ、気づいた時には惚れていた。


 ヴェルナーは指の背でアイリの涙を掬いとった。月明かりを受けて輝く珠は、この世界のどんな宝石よりも美しかった。


「……苦しいわ、あんたのせいで。もう全部、何もかも腹くくったのに……、ここにきて……ホント最悪」

「悪いな、今回は全面的に俺が悪い、しょうがない」

「……っ、開き直るんじゃないわよ!」


 アイリの怒鳴り声にもヴェルナーは笑みしか浮かばなかった。


 僅かな沈黙の間、視線が絡み合う。目の前にある潤んだ瞳に美しい月の光が映り込んでいる。その光に吸い寄せられるように、顔が近づく。

 どちらからともなく唇が触れ合った。その瞬間、二人の間に張られていた最後の壁がパリンと、音を立てて割れた。




 遠くで皇帝の静かな声がする。


「本当は余は迷っていた。民の為に最善を尽くす、それが王の義務である。だが、民にとって何が最も望むべき世界なのか、王である余は情けなくも計りあぐねていた

 その青年は希望と期待に満ち溢れた若々しくも青い男だった。その者がこう言った、自分は大切な者の未来を守りたいと。その時気が付いた、皇帝である前に余は一人の人間だった。彼と同じように、余の中にもあるのだ。大切な民の未来を永劫守り続けたいという明確な意思が」


 遠くから皇帝の宣言が聴こえた。けれど二人にはもう届かない。

 二人がここにいる。抱きしめあうその鼓動だけが聴き取れれば、それでよかった。


「余はこの国を愛している。この国の民、全ての者を愛している。

 だがら余は望むのだ

 全ての民が等しく人としての尊厳を守れる様に

 罪なき者が無為に嘆き悲しむ事の無い様に

 未来に生きる我らの子孫が苦しまぬ様に

 強く気高きオルセンの民たちよ

 どうか共に立ち上がって欲しい

 我らの輝かしき未来を

 その手で掴み取って欲しい」

二十六章完。ついに帝国の歴史が動く。そして、二人も……。

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