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第二十二章 バルド=グロック(1)

 いいかバルド、お前の命はもうお前だけの物じゃねぇ。お前はこの町の為に生涯を捧げ、次世代にその名を引き渡さなきゃならねぇ。

 そのために、どんな事でも受け入れられる覚悟をしろ。何物にも目を背けず、全てを堂々と受け入れろ。



 ◆

 グリアモは今日も賑やかだ。町は炭鉱夫の掛け声が響き、金床にハンマーを打ち付ける音がカァン、カァンと軽快なリズムを鳴らしている。大通りに出れば、市民に紛れ大勢の旅行者が買い物に勤しんでいる。それを客とする商人たちもまた声を張り上げて客寄せをしていた。少し繁華街を抜ければ、そこでは血の気の多い若者が喧嘩を始めている。武器を持たない殴り合いの一騎打ち、周囲の人々は止める事もせずやれよ、やれよと煽りたて、野次を飛ばす。

 この町はどこに行こうと祭りの様に賑やかだ。昼も夜も、晴れの日も雨の日も、喧騒は止まない。喧騒の町、荒くれ者の町。


 バルドはその賑やかな町を建物の屋上から見下ろしていた。どこか遠くの世界の様に眺めていた。その瞳には一抹の寂しさが見える。

 男物のシャツを無造作に着崩した妖艶な女性は、町とは裏腹の表情を帯びていた。その表情を何と表現すればよいだろうか。


 憂い?悲しみ?苛立ち?怒り?

 おそらくその全てであり、それが全てではない。その瞳に最も多く湛えられているのは、この町にいない者への追想と寂寥せきりょう

 二年前、この町から旅立って行った大切な息子への想いだった。

『バルドグロック』の本部の屋上に腰掛けながら、バルドは自分が守り続けてきた町を見下ろす。この町を守る役目を、いずれあの子に託すつもりだ。そしてこの先もずっと、『バルドグロック』がグリアモを守る、永劫の盾であり矛である事を望んでいる。


 だが、今この町にあの子はいない。二年前、バルドはバズに町を出て世界を見ろと告げ、彼を追いだした。それはバルドが望んだ事であるにもかかわらず、彼女の心を強く締め付けていた。心配だったのだ。

 無事ならそれでいい。だが、イシルとの戦争が始まって、さらにそれが終わってもなお、一切の音沙汰も無かった。

 どうしているのかもわからない。追い立てたのは自分なのに、それが酷く気がかりで苛立つ。

 なんでもいい、あの子がどうしているのか知りたい。それは純粋な親としての気持だった。


 その時、階段から足音が聞こえた。誰かが屋上に上がってくる。しばらくして顔を出したのは、『バルドグロック』の構成員だ。


「ああ、バルドさん!ここにいたんですか」

「どうした、血相変えて」


 男は全力疾走でここまで来たらしく、バルドの傍まで寄ると肩で大きく息を吐いた。尋常ではない様子に、バルドは眉をひそめる。


「バルドさん、すぐ下に来て下さい」

「どうした?トラブルか?」

「……戻ってきたんです!」


 戻ってきた、と聞いた瞬間、バルドは勢いよく飛び起きて階段を駆け降りた。男が止めるのも構わず大急ぎで階下へと向かう。


 ―――戻ってきた。あの子が、私の息子が!


 感激に涙をこぼしそうになりながら、バルドは一段飛ばしで階段を駆け降りる。その姿はまるで子供だ、この町の治安を守る民兵組織の長とは到底思えない行動だった。

 だが、バルドは気にも留めない。階下まで降りると、玄関口に立っている人影が目に入った。

 赤い髪に眼帯を付けた生意気そうな少年の姿が――――そこには無かった。


「……お前は……」

「お久しぶりです。バルド=グロック殿」


 そこにいたのは、バルドの待ち望んでいた息子ではなく、銀色の髪と瞳を湛えた彼の友人だった。


 ◆

 バズの事が知りたかった。

 あいつはあんな風に暗い顔で笑う奴じゃない。何の事情も無くあんな連中と行動を共にする奴じゃない。でもそれは本当にそうか?

 ヴェルナーはバズの全てを知っているわけじゃない。ヴェルナーが知っているのは、本当に一握りの事だけだ。あいつの過去も、背負うものも、本当は何一つ知らなかったのではないのか?

 どうして、どうして、と疑問だけが反響する。それはきっと、ヴェルナーがバズの事を何一つ理解していなかった結果なのだ。

 だから知らなければいけない、バズの事を。だから、ここに来た。




「久しぶりだな。ヴェルナー」


 二年ぶり、いや、ヴェルナーにしてみれば数カ月ぶりに対面したバルドは、相変わらずその妖艶かつ尊大で豪気な姿勢を崩さなかった。ただその目は萎え、疲労の色が浮かんでいる。


「あなたにお聞きしたい事があって参りました。御時間よろしいですか?」

「構わん。私もお前に聞きたい事がある」


 そう言うと、バルドはすぐに踵を返した。背中にはついてこいと書いてある。ヴェルナーは黙ってその物悲しそうに沈む背中を追った。

 バルドの私室に通されたヴェルナーは、相変わらず薄暗い室内に慄きながら彼女の後を追う。ここに来たのは二年前、ジャスティン=オルドを捕らえた時の事件以来だ。バルドが中央の長椅子に腰掛け煙管に火を付けたのを見計らって、ヴェルナーは口を開いた。


「あの、バルドさん。お話というのはですね―――」

「バズはどこに行った?」


 ヴェルナーの話を遮り、バルドはストレートに問うてきた。その目は、疲労の色とそれ以上に憤懣(ふんまん)の色を宿し、ヴェルナーを焼き尽くすかの如くぎらぎらとぎらついていた。

 ヴェルナーはすぐに答えられなかった。その沈黙はさらにバルドの逆鱗を刺激した。


「お前たちがこの町を去って二年がたった。私はどんな事があってもお前たちなら乗り越えていくだろうと思ったし、戦争が始まった時もお前たちならきっと大丈夫だと確信があった」


 口ではそう言うが、きっとバルドはヴェルナーたちが旅立ってから、ずっと心配し続けてくれたに違いない。それは彼女の様子を見れば一目瞭然だった。

 バルドはすっと立ち上がった。獲物を補足する猛獣のような無駄のない動きにヴェルナーは思わず一歩後退する。だが、その間合いはすぐに詰められ、バルドの怒りに満ちた瞳が至近距離でヴェルナーを射抜いた。


「それなのに、帰ってきたのはお前一人か?言え。何があった?何故バズは戻ってこない?」

「あいつは二年前からここに戻ってないんですか?」

「戻ってきていない。お前は何か知っているのか?知っている事を全て話せ」

「それは……」

「話せ」


 バルドは手に持っていた煙管(きせる)をヴェルナーの眼前に突き付けた。まるでナイフを突き付けられた様に動けなくなり、ヴェルナーはつばを飲み込んだ。


「……俺は二年前、メテルリオンで重傷を負いました。それからしばらく目覚めることなく、怪我の療養をしているうちに二年が経過していました」

「それで?バズは?」

「あいつとはメテルリオンで離れ離れになりました。あいつもメテルリオンで撃たれて怪我をしました……二年前の事です。それ以来、あいつとは会っていませんでした」


 少量の嘘も混ぜつつ、ヴェルナーはこの二年間の系譜を告げた。するとバルドは悔しそうに目を伏せる。戦場で死んだかもしれないと思ったのかもしれない。ヴェルナーはそんなバルドに、バズは生きていると教えた。バルドが縋るような表情で見上げてくる。


「本当にあいつは生きているんだな!?」

「ええ、先日帝都で会いました。元気でしたよ」


 最もその出会いというのが、ヴェルナーにとって最悪のものだったのだが。


「では何故あいつは戻ってこないんだ?元気だというのならどうして―――」


 姿を見せてくれないのかと、バルドは口角を下げた。押し黙る彼女の顔に、獰猛な獣の影は見えない。そこにあるのは、子の安否を心配する一人の母の姿だけだった。


「バルドさん。詳しくは話せませんが、今あいつは非常に複雑な立場にいます」

「複雑な立場……?どういう事だ?」

「あいつは今、今まで築いて来たものを全て捨ててまで、何かをしようとしているようなのです。だから、バルドさんの所にも帰ろうとしない」


 そんな、とバルドは頭を抱えた。


「バルドさん。俺はもう一度あいつに会います。あいつに会って今度こそ首根っこひっ捕まえてやるつもりです。……だから、お願いします」


 ヴェルナーは深々と頭を下げた。大切な友を救うため、ヴェルナーにもまた意地が生まれた。


「バルドさん。あなたが知っているバズ=グロックの事を教えて下さい」


 切迫したヴェルナーの姿に、バルドは苦しそうな顔をした。しばらく逡巡した後、バルドはぽつりと呟く。


「私が知っているのは、バズがここに来てからの事だけだ。それ以上の事は何も知らない。……ただ、私が話せる事は一つだけ。それでよければ話してやろう」


 そう言ってバルドは、煙管に口を付け空を仰ぎ見た。


「あれは十二年前、私がバルド=グロックの名を拝命したばかりの頃の先代と私の話だ。バズは、その年に私たちの元へやってきた」

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