幕間 We are inside you
約一年ぶりに………再開!
ドメルトに首謀者の一件を願い出た翌日、帝都にある軍事関係者の宿泊施設に赴いたヴェルナーは、そこに間借りをしているパヴコヴィックの部屋を訪れた。
ヴェルナーを快く迎え入れてくれたパヴコヴィックは、昨日バズに殴り飛ばされた影響か少し顔色が悪い。
「お体大丈夫ですか?」
「平気だよ、体だけは頑丈なんだ。これで年相応の老体だったらあっけなく逝っていたかもわからんがな」
「……そういう事は冗談でも言わないで下さい」
冗談を言える程度にはダメージも回復しているという事か、目の前の少年はいつも通りの悠々とした立ち振る舞いであった。
パヴコヴィックの間借りしている部屋はそれほど広くないが、一人暮らしには十分の大きさだ。だが、今やその部屋は魔の巣窟と化していた。床のいたるところに本や書類が積まれ散乱している。備え付けの本棚では収納しきれなかったもののなれの果てだ。おそらく執務に使用しているであろう書机も同じ有様、この光景はかつてパヴコヴィックの研究室と家にお邪魔した時と一寸の狂いもなかった。窓際にまで本を積み上げているせいで、部屋は薄暗く、慎重に歩かなければ転倒して分厚い本の角に頭をぶつけてしまいそうだ。
パヴコヴィックが帝都に到着してからまだ一週間とたっていないというのに、なぜこんなにも数十年掃除をしていない埃っぽい魔窟が出来上がるのか。
とりあえず、座るスペースだけは無事だったので、小言を飲み込みそこに座った。そう、ヴェルナーは今日重要なお願いをするためにここに来たのだ。
「で、何のご用だったかな?」
本に埋もれた魔窟の中で二人は向き合って座る。
「以前、博士はおっしゃいましたよね?俺の記述者の力に向き合う覚悟が出来たら、記述術との向き合い方を教えて下さると」
「……覚悟が出来た、という事かな?」
自分の膝に頬杖をついたパヴコヴィックはやけに深刻な顔つきでヴェルナーを見据えた。少年らしからぬ深い業を感じるその瞳に萎縮しながらも、ヴェルナーはしっかりと頷く。
パヴコヴィックは目を閉じ背中を椅子に預けそのまま黙りこんでしまった。潜考の末、パヴコヴィックは尚も険しい顔を崩さなかったが、静かな口調でヴェルナーに問うた。
「一応理由を聞いておこうか」
それはヴェルナーを責めるものではない、ただこれから指導するにあたってその動機を聞いておきたい、というものだった。
ヴェルナーは正直にそれに答える。自分が記述者の力を使いこなしたいと思った理由、そのわけも全て話した。
話し終わった時、パヴコヴィックは相変わらず渋い顔をしていた、納得は出来るが気は進まないと言った顔だ。
「博士は反対なんですね」
「初めから教える気だったらあんな忠告はせん。私は青年を見殺しにしたくは無いからな」
見殺し、という言葉が妙に刺さった。
「だが、君がその命をかけても成し遂げたいと思う事に、その力が必要なら私に止める権利は無い、それに……」
「それに?」
「その一方で私も案外君がどんな記述師になるのか楽しみでもあるんだ。白状するとそれが本音だ」
そう言ってパヴコヴィックは苦笑した。昨日兵器収容所でヴェルナーが記述術を行使した時、確かに彼は笑っていた。新しい記述術の在り方を見いだせる事にこれ以上ない高揚感と探求心を抱いていた。どんなにヴェルナーを気にかけていても、パヴコヴィックは本質的に学者なのだ。
「……よかろう、青年にその覚悟があるのなら、私に出来る事を教えよう」
パヴコヴィックが立ち上がる。ヴェルナーは彼を信じその不敵な笑みに賛同した。
◆
「いいか、青年。君が使っている力と私たち記述師が使っている記述術、それらは同じ「記述」を使っていても、そのメカニズムは根本的に違うという事をまず知っておけ」
宿泊施設からそれほど離れていない河川沿いの空き地に移動すると、パヴコヴィックは「記述」を取り出しその力を引き出し始めた。程なくしてヴェルナーとパヴコヴィックの間に突然頭部位の大きさの水球が出現し、宙に停滞する。
「この水球を構成している「記述」は何だと思う?」
「構成している「記述」?水球の「記述」を具現化させてるんじゃないんですか?」
かつて自分がそうやって飴菓子を創った時の事を思いだし、ヴェルナーは告げた。その答えにパヴコヴィックは首を振る。
「違う。この水球を形作っているのは『集束』と『流動』という二つの「記述」だ」
パヴコヴィックは水球に手を入れると、その中にあるものを掴んだ。途端に水球は形を崩し、ただの水となってこぼれおちる。パヴコヴィックの手には確かに二つの「記述」が掴まれていた。
「この二つを使って、空気中にある水分を『集束』させ、その『流動』をコントロールし水球の形を作った。これが私の記述術の正体。私が持っている「記述」はこれを含めても数種類しかない」
「じゃあ、博士はその数種類の「記述」を使って、あれだけの種類の術を生み出してるんですか?」
ヴェルナーは目から鱗とばかりに感嘆の声を上げた。その反応にパヴコヴィックは少し御満悦の様子だ。
「大事なのは、それぞれの「記述」をどう組み合わせ、かつどれくらいの力の加減を行うか、なのだ。その法則さえ見つけられれば、術の幅は無限大に広がる」
その法則を見つけ己のものとした者たちこそ、この世界の記述師なのだと博士は語る。
「さて、本題だ。例えば君が私と同じように水球を作りたいとする、君は記述者として一体何の「記述」を用いる?」
「……俺は、単純に『水球』と書かれた「記述」を具現化すれば出来ると思います」
「そうだ、そこが君と私との根本的な違いだ。私は水球そのものを生み出したわけじゃない。「記述」の作用を利用して物質を変形させ、水球の形を作っただけだ。ゼロから物を創る事は私には出来ない。……だが、君には出来る。何もない無の場所から、全ての法則を飛び越えて物質を具現化できる。君は新たな「記述」を容易に生み出し、そして改変できるからな」
だが、とパヴコヴィックは次に厳しい顔で続けた。
「それは決して利になるわけではない。君が『水球』と書けば水球は生まれるが、その「記述」では水の刃は作れない。それが創りたければ、新たに「記述」を生み出さなければならなくなってしまう」
「それは…、確かに面倒かも……」
ヴェルナーも素直に頷いた。パヴコヴィックのやり方に比べれば、何かを作る度に一々それ専用の「記述」を書かなければならないなんて効率が悪い。
「勿論いい点もある。私の記述術は組合せと力加減を間違えれば、想定外の物が出来あがってしまう不確定なものだが、君の場合はピンポイントで望むものを具現化できる。その上、「記述」を持ち合わせていなくても、突発的にそれを作る事が出来る。そこは記述者の大きな利点だ。だが、君の場合は、使い方を間違えればそれ以上に恐ろしい事があると私は踏んでいる」
「恐ろしい事……?」
ヴェルナーはごくりと唾を飲み込んだ。パヴコヴィックの真剣な目がヴェルナーを射すくめる。
「私の使用する「記述」は、元々この世界に漂っていたこの世界を構成する「記述」の断片。すでにその形が整っていて、私はそれを拝借しているだけだ。そして、それを空気中の水分に使用する事で効力を得た。では、君は?本来なにも無い所から物を生み出すなんて不可能だ。それを可能にするのが君の力、ではその代償は何だ。一体どこから新しい「記述」を生み出しているのか?」
「それは―――」
「それは君自身なんだよ」
静かにパヴコヴィックは言った。君自身、ヴェルナーが生み出す「記述」の原料はヴェルナー自身―――。
「本来この力は記述者という外の世界の中でも特別な人間にしか使えない力。彼ら自身は記述者の力を使ったとて影響はなかったのかもしれない。だが君は彼らとは違う、君は記述世界の人間だ。つまり、君の身体は「記述」で出来ている。その君が「記述」を生み出すとどうなるか…、本来理の支配下に置かれる存在が理を捻じ曲げる側に回るという事がどういう意味を持つか。君は考えた事があるか?」
「何が、起こるんですか……?」
「そこまでは私にもわからん。だが、君自身はその自覚があるんじゃないか?」
「それは―――」
ヴェルナーは思わず自分の心臓の辺りを掴んだ。
ヴェルナーは、ヴァイパー号で暴走した時の事を思い出す。あの時ヴェルナーの身体から流れ出たマグマ、あれはヴェルナーが生成した「記述」、そして中途半端に変換された「記述」がヴェルナーの右手を焼いた―――。
「やっぱり俺はこの力を使わない方がいい、ってことか……?」
「悲観するのは早いぞ青年。記述者の力が君の負担になるというなら、方法を見つければいい。君が最もその威力を発揮でき、尚且つ安全に行使できる方法をな」
「そんな方法、あるんですか……?」
「ある。私の記述術における水と同じだ。―――媒体を見つければいい」
「媒体……?」
ヴェルナーはきょとんとした。得意げに語るパヴコヴィックを見つめ、その意味を探る。
「「記述」を具現化する上で最も重要なのはイメージだ。どんな「記述」、そしてどれだけの規模の「記述」を使えばどんな効果が得られるか、そのイメージが明確に出来れば先の様な暴走は無くなるだろう。そのために必要なのはイメージを己の感覚により近づけられる媒体なのだ」
ヴェルナーは考えた。「記述」をコントロールするために、その力をより自分の身近な物に置換する。そのために何が必要なのかと頭を回転させたが、その答えはすぐには出てこなかった。
「では次に会うときまでの課題にしよう。焦る必要はない、青年が一番「記述」を御しやすいと思う方法を見つければいいのだ。……とはいえ、君はすでにその答えを知っていると思うがね」
パヴコヴィックは含んだ言い方をして、笑った。
結局明確な答えを見いだせぬまま、ヴェルナーはパヴコヴィックと別れた。
最後に一つ、彼に願いを託して―――。
◆
寮に戻ってから始終上の空で「記述」のあり方と記述者の力について考える。寝台に寝転がったまま低い天井を見上げ、今日の会話を思い出す。
「「記述」を制御する方法、か……。いや、それ以前に……」
『記述者の権威』とも言われるパヴコヴィックに「記述」の話を聞いてヴェルナーが感じた事。それは、何故自分がそれほどまでに難解な記述者の力を手にしてしまったのかという事だった。
自分はサイフォスの手によって生まれた「記述」の世界の住人で、その「記述」から生まれた人間がどうして「記述」を生み出せるのか。
そもそもこの力がいつ、どこで備わったのかヴェルナーには全く見当がつかない。
覚えが無いのだ。可能性があるとすれば、
「メテルリオンで刺された時か……?」
初めて力を使ったのが書架での事、その直前に力に目覚めたのなら一度死にかけたと直感で思ったあの時以外にない。
やはりメテルリオンで何が起こったのかを知るべきなのだ。レインと戦い、書架へと転送された出来事を。
―――
その時心臓が大きく跳ねた。突然の事にヴェルナーは反射的に飛び起きる。起き上がってしばらくも心臓の高鳴りは続いていた。動悸かとも思ったが違う。ヴェルナーはこの感覚を知っている。
期待、歓喜、そして高揚感―――
何故かはわからない。ヴェルナーは突然喜びを感じたのだ。頬がひくひくと痙攣する。笑おうとしている、自分の意思に関係なく頬を歪め笑いたくなる。ヴェルナーが喜んでいるわけではないのに。まるで誰かがヴェルナーの中で意気揚々と胸を高鳴らせているかのように。
それは発作の如く唐突にはじまり、そして終わった。
疲れているのだろうか?確かにここのところ色んな事が立て続けに起こったから、ヴェルナーの知らないうちに精神が疲弊していてもおかしくない。
「……もう寝るか」
そうだ、明日ヴェルナーはこの町を発つ。どうしても行かなければならない所があるのだ。だから博士にある依頼をして別れた。
しばらくの間忙しくなるだろう。先ほどの混乱を跳ねのける様に布団を被った。程なくしてヴェルナーは深い眠りに落ちていく。
―――おやすみ
どこかから聞き覚えのある温かな声がしたが、気に留めぬままヴェルナーは意識を失った。
どうして僕は笑う?―――楽しいからだ。
何故楽しい?―――あいつが、ヴェルナーが俺の意思に応えてくれようとしているからだ。
俺が与えたその力を、必死に傍受しようとしているからだ。
外道だな。どうして僕は彼を利用するような真似をするんだ?
何を言っている?俺だって望んでいた事じゃないか。期待しているんだろ、こいつに。こいつが俺の力を使って何を成すのか知りたいんだろう?
……
確かにそうかもしれない。だが今はまだ彼を見守ろう。彼が道を外さぬよう僕が導こう。
そして彼の覚悟が定まった時、僕は彼に僕の全てを語ろう。
今はまだ、その時じゃない。
俺はふざけた奴だ。そうやって逃げる。また隠そうとする、あの時みたいに―――
おしゃべりはここまでだ。さあ眠ろう、僕たちも。
―――――――
―――




