第1話『本能寺の炎』
本能寺の変で散った織田信長。
もし彼が異世界へ転生し、もう一度天下を目指すことになったら…。
そんな物語です。
よろしくお願いいたします。
天正十年、六月二日。
京の空は、夜明け前から重く沈んでいた。
雨が降っている。
細く、冷たい雨だった。
屋根瓦を濡らし、庭石を叩き、夜の都を薄墨のように塗り潰していく。
本能寺。
その一室で、俺――織田信長は、静かに茶を口へ運んでいた。
湯気が、ゆらりと揺れる。
雨音だけが響いていた。
不思議なほど、静かな夜だった。
天下統一まで、あと一歩。
武田は滅びた。
上杉は力を失い、毛利もいずれ屈する。
畿内は我が手にあり、日の本の形は、ようやく一つにまとまりかけていた。
長かった。
本当に、長かった。
尾張のうつけと笑われたあの日から。
どれほどの血を越え。
どれほどの夢を背負ってきたことか。
桶狭間。
姉川。
長篠。
比叡山。
幾度となく戦場を駆けた。
幾万の兵が倒れた。
信じた者に裏切られたことは一度や二度ではなかった。
それでも前へ進んだ。
積み重ねた勝利の先に、
戦のない世があると信じていたからだ。
俺は天下が欲しかった。
だが、ただ欲に溺れて国を奪ったわけではない。
戦を終わらせるには、誰かが全てを呑み込まねばならぬ。
誰かが、古き世を焼き払わねばならぬ。
その役目が俺にしか果たせぬというのなら。
人に何と呼ばれようと、歩みを止める気はなかった。
だからこそ、仏を焼いたと罵られようが。魔王と呼ばれようが。構わなかった。
人が人を殺し続ける世を終わらせる。
そのためならば、俺は地獄へ落ちてもよい。
湯呑みを置く。
雨音が、少し強くなった。
その時だった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。
一つではない。
だが、その先頭の足音は、よく知っている。
障子が勢いよく開かれた。
「殿!!」
森蘭丸だった。
肩で息をし、髪は雨に濡れ、その表情は強張っている。
その姿を見ただけで、ただ事ではないと知れた。
だが俺は、眉一つ動かさなかった。
「騒がしいぞ、蘭丸」
蘭丸は膝をつき、唇を震わせた。
「明智勢にございます!」
部屋の空気が凍った。
雨音だけが響く。
明智。
光秀。
俺は静かに目を細めた。
そうか。
来たか。
胸の内に湧いたのは、怒りではなかった。
驚きでもない。
ただ、妙に腑に落ちる感覚だった。
「数は」
「一万三千ほど。本能寺は、すでに囲まれております」
「そうか」
俺はゆっくりと立ち上がった。
畳が、わずかに鳴る。
蘭丸が顔を上げた。
「殿……」
俺は一度だけ外へ意識を向けた。
雨の向こうに、火の気配がある。
まだ見えぬ。
だが、近い。
この静寂は、嵐の前ではない。
炎の前触れだ。
「是非もなし」
俺は、そう呟いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回、第2話「蘭丸の最期」。
本能寺での最後の戦いが始まります。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。




