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第14話:女中と写本師

「助かりますよレビさん」

 隣町の商店街、紙袋を抱えて歩くのはローズとレビだ。今週の買い出し担当である。

「お安い御用です。このところお店も繁盛してましたからね」

 小さな体が食材が山盛りの紙袋を抱える様は少し危なっかしい。気を付けて見ながらもローズは質問を投げ掛けた。

「最近、写本師のお勉強の方はどうですか?」

「難しいです、誤りなく写すっていうのは」

 肩を落とす。一人前の写本師を目指し修道院にも通っているものの、圧倒的に知識も経験も足りないと痛感する日々。それでも家を出て住み込みで修行しようと思わないのは、自分だけが手伝いを放り出して夢を追うことに少なからず負い目を感じるからだ。もちろん、血の繋がる家族と変わりない愛情を向けてくれるフリンジ家の人々は、レビが言い出したなら他意なく応援してくれることもわかっていた。だからこそ離れがたく感じる……という理由の方が大きいかもしれない。

「昔の本の誤植は読んでいて面白いですけど……狙ってやることではないですし」

「あたしからしたら、あんな文字のみっちり詰まった本を読もうってだけですごいですよ」

「そんな、ボクだって炊事も洗濯もローズさんみたいに上手にできません」

 後少しで大通りを抜ける。そうしたら馬車を使って帰るだけだ。ローズが夕飯の献立を考えていると、ふとレビが足を止めた。

「……アーレイン様は、本当はどんな方なんでしょう」

 視線の先には魔道具屋があった。一般人にとっては最も身近で魔法を見られる場所の一つ。頼めば店主が様々と実物を見せてくれるのだ。購入するとなると気軽さはまるで別だが。

「お話を聞く限り悪い方ではなさそうですけどねえ。旦那様や奥様も特に気にしていらっしゃらないし」

 食卓での会話を思い出す。家庭教師が訪れた日、子供達は揃って興奮気味に魔法や魔法師の話を聞かせてくれる。特にシエラはいつもよりずっと饒舌だが、ローズが想いを知っているからそう感じるだけだろうか。

「結構お若くていらっしゃるんでしょう?」

「そう見えます、ご年齢は聞いたことないですけど」

 口を尖らせる。

「お嬢様とアーレイン様、なんだか不思議と初対面じゃなさそうな雰囲気で……もやもやします」

「ええ?」

「だって、その、ゆ、指に口付けたんですよ?! いくら魔法師様だからってやっていいことと悪いことがあります」

「あはは……それは確かにびっくりしますねえ」

 相槌を打ちはしたものの何度も聞いた話だ。シエラに聞いたから真実も知っているが。

「ですよね! お嬢様も別に怒った風もなかったし……」

「まあ魔法師様って変わった人が多いって聞きますし」

 ヤキモチと指摘してもむきになるのはわかっていたから、ローズは憤慨する少年をただ宥めるに留めた。

「お嬢様も、魔法師様が相手なのに、古いご友人のような口振りで変なんです」

 レビの知る魔法師はもっと人当たりが良く、自らに敬意を払ってくる市民に対する壁を見て取ることができた。人によってはそれを誇りと呼ぶのかもしれないし、ともすれば選民意識と表されるものなのかもしれない。魔法師はそれだけ特別な存在であって、ラダンがあまりに常識から逸脱しているだけなのだ。彼が住む土地の住民も感覚が麻痺しているのは否めないが、弟子である魔法師の言動が、意図して師に倣おうとする殊勝さ由来でないことはレビにもわかる。

「ボクに魔法の才能がないと知っても、アーレイン様は態度を変えませんでした」

 まして退屈しないようにと気を回してくれていることにも気付いている。数回に一度持ってくる書籍の中には、曰く『おまけ』として選んだというものも幾つか含まれていることがあった。金銀や象牙で彩られた古い装飾本で、恐らくレビが写本師見習いなのを慮ってのことだろう。些か釈然としないながらも、悪人でないのはとうに理解していた。

 それにあの魔法師はレビのことを『写本師』と呼ぶ。本来なら見習いを名乗るのも気が引ける単なる修練の身だというのに、認めてもらえているようで悔しいくらい嬉しいのだ。

「お嬢様に教える魔法もどれも優しいんです。家事に役立つものとか、見て楽しむものとか」

「そういえば少し前、お洗濯物の皺を伸ばす魔法を見せてくださいましたよ。水魔法と風魔法を組み合わせるんですって。嬉しそうに仰ってました」

「ボクも初めて教わった時はびっくりしました。そんな風に組み合わせるだなんて思い付かないですよね」

「ええ、本当に!」

 あの時はローズも気分の高揚を感じたものだ。使える人間が限られているから、普通に生活する中で魔法を目にする機会は演芸などを除けばそう多くない。加えて、かわいい妹のような少女の成長が嬉しくて堪らなかったのだ。

「あの、そういえば……」

「何か気になりますか?」

 未だ魔道具屋を見つめて立ち止まったまま言い淀む。思ったままを発することの多い少年にしては珍しかった。

「この前、アーレイン様が正装でいらしたんです」

「ああ仰ってましたね! あたしも拝見したかったです。そんなの絶対カッコいいじゃありませんか」

 冗談半分で口にするもレビの表情はまだ固い。

「……魔法師様のあの上着、裏側に『あるもの』が縫い付けられているのってご存知ですか?」

 ローズは首を捻る。正装姿の魔法師など数える程しか見たことはない。所属によって異なる色の外套を纏う、ということは知識としてあるが。

「ちょうど心臓の位置です。だから外からはわからないんですけど」

「うーん……想像もつきませんね」

 実物を見なければレビも一生知ることはなかったかもしれない。衣を受け取った時に妙な重みを感じ、ためつすがめつしているうちに『それ』に気付いたのだ。気になって後から調べてみれば古くからある風習だったらしく。

「勲章だそうです。修得したと認められた魔法を、属性毎に。つまり魔法師としての位と同じ意味だって」

 多くの魔法を究めるほど魔法師としての階級は高くなるらしい。硬貨と同じかそれより小さな証がわざわざ『心』の近くに留められているのは、魔法が古来、自然への祈りだったからに他ならない。

「詳しい意味はわかりませんでしたけど、でもきっと模様からして……火と、水と、風と光だと思います。あと……他とは形の違う勲章がもう一つ」

 ローズは空いた手で口許を覆う。

「……それもしかして、ほとんど全部じゃないです?」

 学校で習った内容は遠い記憶だ、シエラの話を思い出した方が早い。詳しいことはわからないが四大属性と呼ばれるものがあると言っていた、ような。確か火と水と風と地、それでまず四つ。光と言うからには恐らく対になる闇魔法もあるだろうから、と指折り数える。魔法の種類はそう多くないことを鑑みるに、あの若い魔法師が極めて優秀なのは間違いがないようだった。

「修道院でも訊いてみたら、大魔法師様になる条件の一つが、勲章を全て揃えることなんだそうです。例外もあるみたいですけど」

 裏を返せば、大魔法師級でなければとても揃えられないということだ。

「だから、たぶん……アーレイン様はえらい魔法師様になると思います。そうしたら……」

 きっといつまでも家庭教師をしてくれる訳ではないだろう。王都との往復生活が困難なのはラダンを見ていればわかる。大魔法師は頻りに都市部での生活を厭うてこの町に居る時間を捻出してはいるが、元が多忙な身だ、本人の強い意思と努力がなければまず実現できない。余程の理由がなければあの若い魔法師も他と同様に中央へ居を移し、レビやシエラと関わることもなくなるはずだ。

「……ローズさん。やっぱりちょっとお買い物してきても良いですか?」

 唐突な言葉にローズはすぐに反応することができなかった。

「え? いえ、構いませんけど……」

「すぐに戻ります!」

 荷物を側の適当な木箱に置いて、言うなり少年は駆けて行ってしまう。吸い込まれたのは魔道具屋。追い掛けようにも買ったものを放置する訳にもいかない。普段はあまり立ち寄らないが大丈夫かとハラハラ待っていると、入った時と同様あっという間に戻ってくる。

「お待たせしてすみません。すごい、面白そうなものがたくさんありました!」

「急に走り出すからびっくりしましたよ。何を買ったんですか?」

 頬を上気させながら少年は満足げな笑顔を見せた。

「えへへ、内緒です。お小遣いは使っちゃいましたけど……きっとお嬢様のためになるものですよ!」


 馬車を乗り継ぎ家の近くまで戻れば、見知った顔に声を掛けられるのもいつものことだ。

「あら、レビ君えらいわねえ」

 レビはシエラ同様、近所の人達にもよく可愛がられている。ローズの家は少し離れたところにあるが、ラダンがこの町によく出入りする気持ちも何となくわかるとは感じるのだった。

 さあ、まだ陽は高いから、これから仕込みを始めても夜の営業には間に合うだろう。

「あら?」

 準備中の札を掛けた扉の前、見慣れない男性がじっと佇んでいることに気付く。陽光をきらきらと反射する髪は灰白色だが、染めているのか毛先は鮮やかな緑色。随分と身綺麗だしあまり見掛けない姿ではある。

「申し訳ありません、まだ準備中で――」

 振り返った顔立ちに思わず息を呑む。小柄な少年のようだが妙な色気があって、ぞっとするほど美しい。

 だがそこはローズも仕事で数々の家庭を経て鍛えられてきたのだ。ぐっと堪えるとどうにか社交的な笑みを浮かべることに成功する。

「失礼いたしました。よろしければ中でお待ちになります?」

「ああ、ううんダイジョーブ。……ねえ、君」

 客人が興味を示したのは、それまでぼんやりと見惚れていたレビの方だった。

「もしかしてだけど、魔除けの何かを持ってるの?」

「えっあっ」

 何故か周囲を嗅ぐ仕草をするも、彼は返答に窮する少年をそれ以上問い詰めはしなかった。逆にニッコリと笑い。

「……ま、いいか。これで君達がどんなヒトかわかったし。また来るね~」

 そのまま背を向け立ち去ってしまう。取り残された二人は暫し呆然としていたが。

「……ローズさん、ボク、臭います?」

「いいえ……? そんなことないと思いますけど」

「さっき魔除けのお香に触ったからかなぁ……」

 魔道具屋での出来事を反芻するも、何故それだけを指摘されたか答えは出ないままだ。

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