第15話:魔獣討伐
東の国境の森には魔獣が出る。
ほとんどの国民にとっては御伽噺に等しい噂。だがそれを空想の事物足らしめているのは彼ら国軍の討伐隊による功績だ。詳細は解明されていないが、魔素を取り込み変異した獣が魔獣となるのだという。発生自体は大した頻度ではなかったが、だからこそ都市への流入を食い止めるために交代で十名前後の小隊が常駐するのが習わしとなっていた。今月は彼――リックが所属する部隊の番だ。
リックは新米兵士である。配属されて数ヶ月、魔獣討伐は小規模なものを含めればこれで三度目だ。当番の期間は森近くの詰め処で生活し、見張りから合図があれば出発する。特に群れと遭遇すれば怪我人が出るのは常で、気を抜けない日々が続いていた。
討伐には魔法師が同行することが時々あった。もちろん魔法は強力だが、普通の獣を狩るのと同じやり方でも魔獣を倒すことはできるから、どちらかというと手助けのためではなく、魔法師達自身の試料採取が目的だ。今回は研究を主とする《白の鷲》から一人帯同すると聞いている。
「転移魔法……羨ましいな」
机上に置いた虹色の小さな欠片を見つめる。討伐隊遠征が繰り返されてきたことで、道中には装備を整えるための小屋が幾つか存在した。他の隊員が武器を点検したり和やかに冗談を交わす傍ら、リックはひたすら石を見守る役目を務めている。鍾乳石のように魔素が凝縮された結晶は俗に魔石と呼ばれるもので、この指先程度の欠片でも暫くは食うに困らない値がつく。一兵卒にとっては魔が差さないわけではなかったが、魔法師様のためにしっかり見張っておかなければ。彼らを敵にまわすとろくなことがないと聞くし。
通常の部隊がこうして近場に控え徒歩で行軍するのに比べ、彼ら魔法師は転移魔法を使って一気に移動してくる。行ったことのない場所には目印が必要で、そのための魔石を運ばなければならないとは先輩から聞いたばかりだ。それなりの緊張感と共に面白味のない石を見守るだけの役は、正直、貧乏くじと言えるかもしれなかった。
と、ぼんやりしていたところで石がカタカタと震え出す。
「あっ……来たかもしれません!」
叫べば場に緊張が走った。何せ今日合流するという魔法師とは初対面だ。いつも《白の鷲》からは大魔法師ラダンが直々に来ていたから。率直なところあの部門は研究者肌の魔法師ばかりで、あまり外での活動に向いていない者が多い。だからわざわざ大魔法師の弟子だと差し向けられたとて、その場の誰もあまり期待はしていなかった。
虹色の石から青い魔力光が放たれる。抜け出るように姿を見せたのは怜悧な白皙を持つ年若い男。その美貌も相俟ってどこか冷たい印象を受ける。あのラダンの弟子だというからどんな厳つい奴かと思っていたのに。兵士らに奇異の目を向けられてもまるで動じず、最も近くにいたリックを見下ろしてくる。
「お前がこの石を?」
「え……ああ、はい」
「そうか、感謝する。……部隊長は?」
問われ、曹長の元へと案内する。周囲で囁かれる声にも魔法師は全く反応を示さなかった。薄暗い森に対する恐怖も好奇もないらしい。
「ジジイがいつも世話になっている」
曹長と会うなり青年は淡々と言った。ジジイ、というのが大魔法師ラダンのことだと理解するのには時間がかかった。
「あれが遠征でどう振る舞っているかは知らないが。討伐自体には手を出しても?」
今度はあれ呼ばわりである。だが魔法師の言葉に指揮官は苛立ったようだ。身分は遥かに異なるにしても戦場でお坊ちゃん扱いをしてやることなど出来やしない。本職はこちらなのだ、首を突っ込んでこられた挙げ句に命の危険に晒されては堪らない。
「ご自由に。邪魔にならなきゃなんでもいいさ」
「了解した」
魔法師のみで構成された遊撃隊である《緑の雄牛》所属ならまだしも、この細身の魔法師が何かの役に立つとはリックにも思われなかった。そういえば《緑の雄牛》には『戦女神』と称される魔法師が居ると聞くが、生憎とまだ一緒に仕事をしたことはない。
別段気分を害した風もなく、青年はおもむろに白銀の外套を脱いだ。守護が込められていると聞いたことがあるが。
「『リリィ』、見張っておけ」
明後日の方向へ謎めいた声をかければ、何もない空間から霧で出来たような――いや、『本当に』霧の体を持つ犬が飛び出してくる。見たことのない獣の姿に何人かの同僚がじりじりと後退したが、襲ってくるような様子はない。
「気にしないでくれ、悪さはしない。単なる魔法だ」
雑にその辺りの荷物へ置いた上着を前に、犬は従順にも伏せた姿勢で黙している。主人の側は相変わらずの無表情で続けた。
「今回は合同任務でもないし着ている必要もないだろう。動きにくいんだ」
確かに部門を跨ぐ任務の場合は正装でいるのが慣習だが、そんな理由で守護を捨てる魔法師が存在するとは。出会って間もないが、涼やかな表情と裏腹に戦う気満々の青年は、これまでに見たどんな魔法師とも異なる存在だということだけは早々に理解できた。
湿った空気が満ちた森を進む。流れでしんがりを務めることとなったリックの隣、魔法師は何も言わず大人しく着いてきていた。師弟と言う割にラダンとは正反対だ。善人であるにしろ圧が強くてあれはあれでリックは苦手だったのだが、気さくで豪快な大魔法師は特に年上の兵士達と仲が良さそうだった。
「お前は戦わないのか」
急に話し掛けられて飛び上がる。魔法師の金色の視線は確かにリックを捉えていたから慌てて両手を振り。
「オレ……わ、私は伝令なので」
「畏まらなくて良い。この場で優先されるべきはお前達だろう」
ますます奇妙な男だった。魔法師が兵士に対し敬意を示すなどそうないことだ。見栄か自尊心か前線に出ようとして返り討ちに遭いかけ、庇うために苦労したと先輩から愚痴を聞いたのは一度や二度ではない。逆にこれだけで信用に足るのだろうとすら思う。
しかしどうして非戦闘員だと? 質問しようか迷っているうちに先頭集団が騒がしくなる。
「標的を確認! 各員配置へつけ!」
さざ波のように指示が伝播する。
「魔法師様、こっちへ!」
慌てて袖を引いて退避する。試料採取は討伐後にゆっくりやってもらえれば良い。今は高貴な身を傷付けさせないことがリックにとっての最重要任務だった。
魔獣というのは通常の獣と違い異様なまでの巨体を持つのも特徴だ。兵士ら五、六人が相手取っているのは見上げるほど大きな蜥蜴。斑模様の赤黒い体は一目で害為す存在と見え、凶暴な牙まで覗いている。
「俺に構う必要はない」
戦いを目の前にして不思議なほど冷静な魔法師が言う。リックは震える己を恥じたが、彼はやけに場馴れした様子で続ける。
「生きたいと望むから恐怖するんだろう。……この部隊はなかなか連携が取れていると思うが」
「――そっちへ行ったぞ!」
刹那、顔を上げた彼らが見たのは振り下ろされる太い尻尾。軌道は魔法師の直上だ。身を呈して庇わなければという義務感と恐怖が葛藤するうちにもはや間に合わない距離まで迫る。訓練された兵士でも避けるのは難しい、どうか骨折程度で済んでくれと祈る前で。
「……え?」
羽根でも生えているかのように、魔法師は軽々と跳び上がり打撃を避ける。かと思えば地面に当たり打ち上がった尾を信じられないことに空中にて――殴ったのだ。
人間の素手で、魔獣を。拳は赤黒い皮膚へとめり込み巨体を吹き飛ばした。兵士達が巻き込まれなかったのは幸いだ。樹木を数本薙ぎ倒し、蜥蜴は怒りの咆哮を上げる。
「剣を寄越せ!」
魔法師が僅か振り返り叫ぶ。それが自分へ向けられたものだと気付きリックは慌ててベルトから鞘ごと剣を抜いた。あまりの気迫に混乱しつつ思わずぶん投げてしまったのだが、魔法師は違いなく受け取ると再び地を蹴る。その姿が消えた一瞬の後には蜥蜴の頭上へ。大魔法師もたまに見せた瞬間移動は転移魔法の一種らしい。それが証拠に、彼が蹴った地にも現れた先にも青い魔力光の残滓が見られる。
ただの兵士には不可能な動きだがそれだけに頼っているのではないだろう。剣を逆手に構え、躊躇いなく脳天へと突き刺す動作には無駄がない。返り血にも表情一つ変えない様子はとても魔法師には見えなかった。
どうと倒れた巨体から剣を引き抜き、またしても一瞬で彼はリックの傍へ転移し戻ってきた。鱗粉のように舞う幻想的な魔力光とは裏腹の生臭さに、顔をしかめかけ、どうにか堪える。
「ああ……ジジイに怒られるかもしれないな。手出しし過ぎた」
ぼやくものの悪びれた様子もない。剣についた血を軽く振り払い、これまた頓着なく服で拭うと鞘に納めて返してくる。
「後で手入れしてくれ。放っておけば錆びるぞ」
「え、ああ、ありがとうございます……」
「使い込まれていなくて良かった。お前、肉刺もそこまでではないし、鞘に傷もなかったから」
ふっと口元だけで笑われ赤面する。普段使っていないことを見越してわざわざリックの剣を指名したと悟ったからだ。あの短時間でそれらを観察していたことにも驚く。
余力を振り絞っていた魔獣が息絶えるのは時間の問題だった。兵士らに攻撃され動くことも儘ならなくなった巨体へと魔法師は再び歩み寄る。周囲が恐る恐る見守る中で血塗れのまま膝を着き、シュウシュウと息を漏らす顔に手を添える。
「……森へ還るといい」
獣の体が炎に包まれる。今更ながら魔法師は一度も詠唱しなかったことに気付く。一気に燃え上がった橙色は灰すら遺さず、やがて煙と微かな煤が風に吹かれて消えた。
嵐のような魔法師の所業に述べる言葉を持つ者はなかった。だが当初のように揶揄する空気もない。リックは受け取った鞘を抱き締めながら長身を見上げる。彼は来た時と同様、特段の感情も見せないまま転移のための魔方陣を生み出す。試料採取はどうしたのだろう。
「先に戻らせてもらう。邪魔して悪かった」
「いや……あんた、見かけに依らず血の気が多いんだな。《白の鷲》にこんな魔法師様が居たとは」
曹長が進み出て片手を差し出した。微かに驚いた風の魔法師はその手を握り返す。
「……よく言われる」
「休んでいかなくて大丈夫か?」
「ああ。明日、朝から約束があるんだ。家庭教師の」
その場の誰もが唖然とする。気付いたかどうか、「ではまた機会があれば」と言い残して魔法師は青い光と共に姿を消した。
「家庭教師……?」
誰かが呟く。魔法師様ならそんなことをしなくても食べていけるだろうに。だが部隊の誰しもが、あの魔法師が再び帯同した時に歓迎するのは違いなかった。
「戻ったぞ、ジジイ」
「おー……ってどうしたんだ坊主?!」
素っ頓狂な声を出したラダンに対してもアーレインは顔色を変えないまま。無視して家の中へと上がる。
「俺のじゃない、魔獣の血だ」
「どんな魔法を使えばそんな血だらけになるんだよ……」
「剣を使った」
「はあ?」
頭の天辺から身体中に黒い液体を纏わりつかせながら、腰の皮袋から赤黒い鱗を取り出しラダンへ渡す。殴り付けた時に何枚か失敬したのだ。これで仕事は果たした。何事か言いたげな表情は無視する。
「お前さん、剣も使えるのか?」
「まあ、人並みには」
「並みの奴は使えねえんだよ。……まあいいや、怪我してねえなら何よりだ。さっさと体洗ってこい。服は……捨てるしかなさそうだな」
浴室へと向かう姿に疲労の色はない。他に候補も居らず試みに遠征させたまでは良かったが、ややこしいことをしてくれた可能性に大魔法師は頭を抱えた。今更アーレインに魔法師の『普通』を説いても無意味だろうが。
「ああそうだ、あの上着。後で『犬』が持ってくる。汚してないから安心しろ」
「そりゃどうも。しかしお前なあ、《緑の雄牛》に引き抜かれたらどうするんだ? オレは困るぞ」
浴室からの声に返せば少しの間があって。
「……《緑の雄牛》は魔法師の軍だろう? 俺には家庭教師の任務があるからな、頻繁な遠征は御免だ」
「ったく……」
悩ましいのか微笑ましいのか。不器用な若者の珍しい本音の片鱗に、大魔法師はそれ以上を返さず頬を掻くと、労いにでもと酒を取りに台所へと向かうのだった。




