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3 最終回

 やあ、また来たよ。ずいぶん久しぶりだな。刀の買い付けに2ヵ月以上も出かけていたんだ。父親の実家が飛騨高山で、そこに泊ったのか。いい掘り出し物は見つかったかよ。あったんだ。いいよ、出さなくても。刀を見に来たわけじゃないから。おれで、切れ味を試したい。よせやい。


 えっ、このマスク? 違う違う。インフルエンザじゃないって。


 それよりあの母娘の話を聞いてもらいたいんだ。成人式の日のことだから、おまえが旅立った翌日だな。ほんと、いろんな出来事があって、なにから話していいか迷っているんだ。いつもどおり順をおって聞かせるよ。


 おれ、裕子ちゃんの成人式を見張るため、昼前に仮病で発熱する予定だった。それが出勤してみると、なんと4人がインフルエンザで休みやがって、とても早退できる雰囲気じゃない。軽く咳をしてみたら、主任に睨まれた。雑誌占いの立ち読みを見つかってからずっと目をつけられてんだ。


 5時前に仕事を切り上げると、裕子ちゃんに電話した。彼女は電波の届かないところにいるらしかった。おれは無駄だと知りながらも、成人式会場の公会堂に行ってみた。式はとっくに終わっていて、会場にも駐車場にも新成人は残っていなかった。久しぶりに会った仲間と旧交をあたためようと、どこかに出かけたんだろうな。裕子ちゃんも誰かに誘われたんじゃないかと思い、おとといの夜、彼女が外泊した先の友人が気になった。


 おれは、がっくりと公会堂の門を出た。駅への道を歩きながら、裕子ちゃんの晴れ着姿を思い浮かべたよ。実は正月にあの母娘と初詣に行ったんだ。最寄駅で待ち合わせ、三人で仲見世通りを歩いた。裕子ちゃんは振袖で、しゃなりしゃなりと歩くんだ。思わず見とれちゃった。


 お母さんはどうだった? 唯さんもたしかにきれいだったよ。裕子ちゃんを産んだだけはある。黒い紬の着物に道行きコートをはおり、高そうな西陣織らしき帯をしめていた。おれが贈った指輪をつけていて、それが着物に似合っていなかった。


 この腕時計? そう、クリスマスに唯さんからもらったやつ。前に使っていたのは壊れちゃってさ、しまいっぱなしだった時計を思い出したんだ。1万円そこそこの品だけど、前のよりは高いからな。商品の納品時間とか値引きの時間を確認するのに、時計がないと不便なんだ。


 話の続きなんだけど、裕子ちゃんが誰かといっしょにいると想像するだけでたまらなくなり、もう一度、彼女に電話をかけてみた。あまり期待していなかったから、最初のコールで出たときは驚いたよ。


「いま、電話しようとしていたところなんです」


 裕子ちゃんの言葉に、おれは飛び上がりそうになった。電話の向こうが騒がしく、彼女がなにを言っているのか聞き取りにくかった。おれに打ち明けたい話があるそうで、駅前のファミレスにいるって言うんだ。おれは喜び勇んで歩きだした。


 ファミレスの階段を上がり、店内に入ったのは6時過ぎだった。ずいぶん混んでいて、晴れ着姿の客が多かった。裕子ちゃんが窓際の席で立ち上がり、振袖を大きく振っていた。想像していたとおり、あまりの可憐さに心臓が止まりそうになったよ。あれ、髪を切ったんだって驚いた。きれいな顔立ちなので、輪郭をはっきり出した、ベリーショートはなおさら素敵だった。


 おれは差向いに座ろうとして、彼女の側のソファに男物のコートが丸められているのに気づいた。テーブルには、ドリンクバーを頼んだらしく、二人分のコップが並んでいた。誰といっしょなんだ、とおれは不安になった。


「おっさん。そこ、おれの席だから」


 背後から軽薄な声がして、


「まいったよ。トイレ、並んじゃってさ。大のほうまでうまってるんだぜ」


 若い男が立っていた。さらりとした茶髪をえりあしまで伸ばし、切れ長の目に、とがったあごをしている。おれよりイケメンだった。痩せがたの長身に、黒いスーツが似合っていた。裕子ちゃんと成人式に出席していたようなんだ。


「達也はこっちでいいでしょ」


 裕子ちゃんが言い、男は彼女と並んで座った。おれも向かい側にかけた。裕子ちゃんは少し迷っていたようだけど、やおら口を開くと、


「わたしたち、おつきあいしているんです」


 そんな衝撃の告白をするんだ。おれ、達也とかいう男をまじまじと見た。ちゃらそうなこの男が唯さんの心配の種だったんだ。おとといの夜、こいつの部屋に裕子ちゃんが泊まったんじゃないかと疑い、頭がくらくらとなったよ。


「達也とはつきあいだしたばかりで、お母さんにはまだ打ち明けていません。紹介しようとは思うんだけど、なかなか言い出せなくて。それで、まずは河合さんに会ってもらったんです」


 なんで? おれは裕子ちゃんの真意がわからなかった。


「河合さんの口から、お母さんの耳に入れてもらえないかなって」


「っていうかさ」と達也が口を挟んだ。「この、おっさん、だれ?」


「わたしのパパになるかもしれない人」


 裕子ちゃんの言葉は、おれの頭をがつんと打ちのめした。スーパーで会ったとき、彼女に意識されていると感じてはいたけど、それは彼氏としてではなく、父親としてだったんだ。うすうす気づいてはいたけどね。それでも彼女の口からはっきり言われると、やっぱりショックだった。


「まじかよ。このおっさんがおれのパパになるの」


 達也のやろう、不満げに言いやがった。おれだって、おまえみたいに軽そうな男は願い下げだ。裕子ちゃんとの交際なんて、ぜったい認めないからな。おれが彼女の本当の父親だったら、ぶん殴っていたところだよ。


「お願い」裕子ちゃんが上目使いに両手を合わせた。


 お願い、と達也もまねしやがった。


「そろそろ時間じゃない」


 裕子ちゃんがケータイを見て言い、ふたりは立ち上がった。


 これから同級生どうし集まって飲み会をするんだって。達也のやろう、裕子ちゃんの手をとり、颯爽と店内を横切っていった。知り合いがいたようで、あちこちからひやかしの声や口笛があがった。


 おれは椅子に座ったまま、いま起きた出来事を理解しようと努めた。パパになるかもしれない人か。そんなふうにしか見ていなかったんだと、へこんだよ。そのときふと、テーブルに残された伝票に気づいた。おれに払わせようたって、そうはさせるもんか。無性に腹がたってきた。


 おれはソファーの側にまわり、窓から外をのぞいた。ちょうどふたりが外階段を下りきるタイミングだと思ったんだ。見なきゃよかったよ。裕子ちゃんと達也のやろう、熱烈なキスしてやがった。おれは窓ガラスにへばりつき、ふたりが視界の外に消えるまで、茫然と眺めていたよ。


 それからヤケ酒飲んだ。適当につまみをとり、最初はグラスワインで、ついにはボトル一本空けた。酔った頭で考えていたのは、達也のことだ。おれはあんなちゃらい男、ぜったい認めない。唯さんだって、あいつを見れば反対するはずだ。裕子ちゃんも、そう思うから、母親に内緒でつきあっていたんじゃないか。それでおれに、うまくとりなしてもらおうと――。


 そこまで考えて、唯さんに報告しようと思いついた。母親の口から、ふたりの交際を禁止してもらうんだ。おれはそう決めて席を立った。


 母娘の住むマンションに着いたのは、夜の8時半くらいだったかな。エントランスで部屋番号を押したけど、ふたりとも帰っていなかった。おれは近くのコンビニで缶ビールを仕入れ、それを飲みながら唯さんの帰りを待った。


 缶ビールを三本空けたところで、唯さんが現われた。おれがマンションの花壇に座っているのを見て、ずいぶん驚いたようだ。街灯の光のなかに彼女が入ってきたとたん、おれの心臓は止まりそうになった。髪を切った裕子ちゃんそっくりに映ったんだ。


 唯さんは、おれに近づくのをためらっているようだった。きっと、あの晩の出来事を思い出していたんじゃないかな。


「娘さんの夜遊びの原因がわかったから、それを伝えに来ました」


 おれは言い、唯さんが静かにうなずいた。


 リビングのスイッチが入り、窓際に置かれた応接セットが照らし出された。おれはなかに入ろうとして少しふらついた。だいぶ酔いがまわっていたんだ。


 唯さんに、「お茶を入れましょうか」って聞かれたけど、おれは黙って首を振った。頭のなかで、裕子ちゃんと達也のキスシーンがちらついていた。こめかみがずきずきと痛み、目がまわるようだった。彼女はおれを気遣い、そっと腕に指をそえ、応接セットまで導いてくれた。


 ここからがうまく説明できないんだ。


 おれはテーブルマットにつまずき、唯さんがとっさに支えようとした。ところが支えきれず、おれたちは抱き合う恰好で、ソファに倒れた。目の前に、濡れた赤い唇が迫り、おれは吸い寄せられるように、キスしていた。彼女はあらがったけど、おれが少し力を入れると、すぐに体の力を抜いた。


 それからは夢中だった。おれは、彼女のジャケットの前を開き、ブラウスのボタンを引きちぎるように外した。ブラジャーを押し上げると、しっとりした乳房がこぼれた。おれは片方の胸をわしづかみにし、もう一方の乳首にむしゃぶりついた。


 どういうつもりで唯さんを抱いたのかなんて聞くなよな。自分でもよくわからないんだからさ。男と女って、そういうもんだろ。


 唯さんの上で果てると、おれはその耳もとに顔をうずめた。何気なく、「唯ちゃん」って囁いたとたん、彼女の体が硬直した。唯さんはおれを思いきりはねのけ、おれはローテーブルにいやというほど背中をぶつけ、フローリングに転がった。


 ふいの出来事に、なにが起きたかわからなかった。打ちつけた背中を押さえ、体を起こすと、こうこうとした光のなか、ソファに起き上がった唯さんが、ジャケットで胸を隠していた。


「見ないで」彼女が悲鳴のような声をあげた。


 おれはまだわけがわからず、ぼんやり目を向けていた。


「見ないで」こんどはか細く、「お願い。部屋の明かりを消して」


 唯さんは泣いていた。自分の体を守るように抱きしめ、ぶるぶる震えていたんだ。


 おれはそうっと立ち上がり、リビングの出入り口まであとずさった。照明を消すと、カーテンのすきまからこぼれる月明かりだけになった。ソファで身を縮める唯さんは、いっそう黒い影となった。室内は静まり返り、彼女のすすり泣きだけが聞こえていた。なんだかいたたまれなくなって、身支度も早々に、逃げるように部屋をあとにした。


 マンションの花壇には、おれが飲んだビール缶が乗せられたままになっていた。おれはそこに座り、がっくりとうなだれた。腕時計は10時12分で止まっていた。唯さんに突き飛ばされたとき、左手に衝撃があったから、テーブルかどこかにぶつけて、それで前の時計は壊れたんだろうな。


 なんだよ、その目は。裕子ちゃんの代わりにお母さんを抱いたって。違うよ。あのときおれ、そんなこと少しも考えなかった。ただ夢中だったんだ。えっ。どうして、唯さんをちゃんづけで呼んだのか? わかんないよ、そんなの。おれ、最初、娘さんが唯ちゃんだって思っていて、おまえに話すときずっとそう呼んでいたから、つい口走っちゃったんじゃないかな。


 お母さんと娘を取り違えたって。違うって言ってんだろ。唯さんは、裕子ちゃんの代わりなんかじゃない。おまえがそう思う気持ちはわかるよ。唯さんだって、自分の娘に対する、おれの気持ちに気づいていたはずだから、そう感じたんじゃないかな。それで娘の若い体と自分のをくらべ、年相応のくずれに羞恥心を覚えたのかもしれない。だけど違うんだ。とにかく続きを聞けよ。


 マンションの少し先で、タクシーが止まった。なかから出てきたのは裕子ちゃんで、いったん車内に引き戻され、それを振り払うように道路に立った。追いかけるように達也が降り、裕子ちゃんの肩に手をかけて、ふたりの動きが止まった。走り去るタクシーのライトに、おれの姿が浮かび上がったんだ。


 おれはゆっくり立ち上がり、達也に近づいていった。まだ少し足がふらついていた。体中が熱く、胸が鼓動していたのは、酔いが残っていたからじゃない。


「なに、してるんだ」


 おれの声は低く街路に響いた。


「彼女をホテルに誘おうとしたんだけどさ、わめきたてるもんだから、こうしてマンションまで送って来たんですよ。お義父さん」


 達也は、しれっとして言いやがった。


「離してよ」裕子ちゃんが、達也の手を払った。


「いいじゃねえかよ。こうしてお義父さんにも紹介されたんだし」


 おれは頭に血が上り、むやみに腹がたった。いっきにつめよると、彼女の背後から抱きつこうとした達也を、力まかせに引き離していた。


「なんだよ、おっさん」達也の目が鋭くなった。


「おれは裕子のパパだ。父親として、おまえとの交際を禁止する」


 そう言って、渾身のストレートを、達也のあごに決めてやった。


 つもりだったんだけどさ、あいつ、倒れもせず、きょとんとした顔で、おれを見やがんの。とつぜんキレだして、「おっさん、意気がるんじゃねえよ」って、やつのこぶしがおれの鼻をとらえた。おれはもんどりうって、ふっとんだよ。一発でノックアウトされた。


 そのやられかたがあまりに見事だったみたいで、逆にあいつびびっちゃってさ、「先に殴ったのは、おっさんのほうだぜ」って逃げだしたそうなんだ。


 これはあとで裕子ちゃんから聞いた話なんだけどさ。彼女、マンションから唯さんを連れて来ると、ふたりでおれを部屋まで運んでくれたんだって。ほんと、かっこ悪いよなあ。


 このマスク? そう、風邪でも、花粉でも、その予防でもなくて、鼻が折れたんだ。達也のやろうだよ。まだあとが残っているから隠してんの。


 裕子ちゃん、あれから達也と別れたよ。おれも彼女をあきらめる決意をした。そうそう、裕子ちゃんの外泊先の相手なんだけど、本当に彼女の女友達だった。その友達の母親に電話で確かめたから、間違いない。もっとも最初から信じていたけどね。自分の娘を信じられないようじゃ、父親として失格だもんな。


 おまえいま変な顔しただろ。実はさ、きょうはそれを報告しにきたんだ。おれ、ほんとうに裕子ちゃんのパパになる。このまえ唯さんと入籍した。近いうちに披露宴をやる予定なんだ。


 驚いたみたいだな。えっ。おれのどこがよかった? そんなの聞かれたって、おれにわかるもんか。なに。彼女の前の夫が女に器用な男だったから、逆を選んだって、おれが不器用みたいじゃないか。前のだんなより若い色男がよかったんじゃないか。気持ちも若返るってもんだろ。妬くな妬くな。


 もうひとつ報告があった。おまえ前にさ、十以上も年下の相手とつきあうのは切腹ものだって言っただろ。唯のやつ、腹を切ることになるかもしれない。年齢的に自然分娩は危険だからって、帝王切開を勧められたんだ。妊娠2ヵ月だって。


 えっ。介錯してやる。よせやい。その顔、冗談言ってるみたいに見えないって。おまえもそろそろ結婚しろよな。もう32歳なんだからさ。刀を振りまわしてばかりいるから、お嫁にいけないんだぜ。


 バカ。そんなもの抜くなよ。商売品だろ。じゃあな。おれ、もう行くから。あとで招待状を送るよ。おまえをもらってやれなくて、ごめんな。



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