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 やあ、10日ぶりだな。イブの顛末はどうだったって。複雑な展開で、どう説明したらいいか、実はおれも迷っているんだ。おまえが混乱するといけないから、最初から順をおって話すよ。


 イブの日、おれは仕事もそこそこに店を出て、30分も早く、唯ちゃんと待ち合わせた駅に着いた。駅前広場に飾られた巨大ツリーを眺めながら、凍えそうになって彼女を待ったよ。


 約束の時間になり、クリスマスツリーの向こうから唯ちゃんが現われた。


 小走りに近づいてきて、「待ったあ」と白い息をはずませるんだ。おれは「いま来たところ」と言ったとたん、大きなくしゃみをし、彼女の笑みがこぼれた。レストランは予約してあると言うけど、どことは教えてくれなかった。


「河合さんにプレゼントがあるの」


 唯ちゃんが笑顔を向けてそう言った。


 実はおれも用意してあるんだと伝えると、彼女は手を叩いて喜んだ。思い切って指輪を購入してよかったと、そのときは胸がおどった。あとでローンを思い出したけどね。プレゼント交換は席についてからにした。


 駅から10分ほど歩き、案内されたレストランはホテルのなかにあった。おれの期待はいやがうえにも高まったよ。


 店内に入ると、予想以上に高級そうで、おれはそうとうびびった。サービスマンにコートを預けながら、よくこんな店を予約したなと驚き、その代金は自分が払うんだと気づいて、もっと驚いた。出費を計算しようとして、あきらめた。おれの想像をはるかに超えていた。


 サービスマンの親玉みたいなのが現われ、慇懃に挨拶した。おれたちを席に案内しながら、「お連れさんがお待ちです」と柔らかな表情を向けた。


 お連れさん? おれは意味がわからなかった。


 奥まったテーブル席の横には、見覚えのある女性が立っていた。黒いドレスに赤い首飾りが映え、唯ちゃんそっくりの笑顔で頭を下げるんだ。


 おれはわけもわからず、自分の席についた。さしむかいには、唯ちゃんとその20年後と見まごうばかりの女性が座っていた。彼女のお母さんだよ。


「裕子の母で、天野唯といいます」


 母親のほうがそう自己紹介するんだ。


「えっ」とおれは、唯ちゃんだとずっと思い込んでいた相手に視線を向けた。


「娘の裕子です」と彼女が頭を下げた。


 そのときはじめて自分の勘違いに気づいた。唯というのは母親の名前で、娘の本当の名前は裕子なんだ。


 おれは、店で最初に唯ちゃんの名前を聞いたときのことを思いだした。あのとき彼女は「天野唯といいます」とお母さんの紹介をしていたんだ。母親にたしなめられていたのは、娘のそんな勝手な行為に対してだったと、ようやくわかった。


 えっ。いままで彼女を、「唯ちゃん」って呼んでたんじゃないかって。バカ。いくら年下だからって、会って間もないのに、そんな気安く呼べるかよ。ふだんは天野さん、河合さんだ。


「先日はありがとうございました」


 裕子ちゃんが言葉を続けた。「河合さんになにを贈ったらいいか、お母さんが迷っていたので、お父さんのプレゼントと言って、本人に選んでもらいました。本当はうち、母子家庭なんです。お母さん、ほら」


 裕子ちゃんが、母親の腕に触れてうながした。


「つまらないものですが」


 唯さんが細長い包みをテーブルに滑らせた。


「河合さんが欲しがっていた腕時計です」


 裕子ちゃんが口を挟み、また母親にたしなめられていた。おれはそんな様子を黙って眺めているしかなかった。唯さんから、おれへのクリスマスプレゼントだ。


「河合さんもお母さんにプレゼントがあるって、言ってましたよね」


 裕子ちゃんの言葉にわれに返った。おれは思わず、上着のポケットに手を入れた。こんどは唯さんはたしなめなかった。二対のそっくり同じ眼差しが、じいっと向けられてきた。とても自分の誤解を説明できる雰囲気じゃなかった。


 そっと指輪の入った包みをテーブルに乗せた。


「メリークリスマス」


 つぶやきながら、おれ、どんな顔してたんだろ。


 なに笑ってんだよ。唯ちゃんはおれに気があるって。よせやい。相手は42歳のおばさんだぜ。ちゃんづけなんてするなよ。おれの天使だ? バカ。アラフォーの天使なんているもんか。だいたい一回りも離れたおばさんが、おれに色目をつかうなんて気持ち悪いんだよ。


 おれも? 年が10以上離れた娘に手を出そうとしてるって。男と女の年齢をいっしょにするなよ。おれはいいんだ。


 それからどうしたって? 3人で食事をした。とちゅうで抜け出そうかと思ったけど、裕子ちゃんが、ちらちら見張っているんだよね。けっこう豪華なディナーだったけど、おれ、ちっとも味がわからなかった。


 コーヒーを飲み終えると、「これからどうします」なんて唯さんが訊くんだ。ここはホテルだったのを思い出した。おれは立ち上がり、「明日は仕事が早いんです」と早々に退散した。


 誰が食事代を払った? ありがたくおごってもらったよ。指輪の代金を考えたら、割に合わないって。おれも腕時計をもらったけどさ、あれは1万円そこそこの代物だぜ。


 とにかくおれは、ぜったい裕子ちゃんをあきらめないぜ。唯さんがおれに気があるなら、それを利用するだけだ。お母さんだけが、おれと裕子ちゃんをつなぐ絆だもんな。妄想でふくらんだバブルを破裂させたままでおくものか。指輪のローンだってまだ残ってるんだぜ。


                  *


 明けまして、だな。今年もよろしく。いま、いいか? これから岐阜に刀の買い付け旅行に出かけるんだ。2ヵ月も回るのか。しばらく会えそうにないから、いま聞いてもらいたいんだ。おれ、もうどうしたらいいか、わからなくなっちゃった。


 きのうのことなんだ。きょうが1月9日だから、おまえと会ってから2週間たつんだな。


 夕方6時過ぎに、唯さんがひとりで店を訪れた。きょうは買い物じゃないようで、おれと目が合うと、さえない表情で会釈した。娘のことで相談があるそうで、このあと空いているかって。裕子ちゃんの話なら、おれのほうが聞いてもらいたいくらいだよ。仕事のあと居酒屋で会う約束をした。


 案内されたのは、駅前ビルの地下にある店だった。全体的に薄暗く、ちいさなお座敷でいくつにも仕切られていた。唯さんと、掘りごたつを挟んで座わり、とりあえず生ビールを注文した。母娘と3人で食事をする機会はあったけど、お母さんとふたりきりで会うのは初めてで、少し気まずかった。


 唯さんは体にぴったりした黒いスーツにタイトスカートで、仕事帰りだったんじゃないかな。左の薬指に、おれがあげたルビーのリングが光っていた。なんだかおれの左手が気になるようで、しきりに目を向けてくるんだ。クリスマスのときもらった腕時計だと気づいたよ。包装も解かず、引き出しに放り込んだまま、すっかり忘れていた。


 唯さんは鞄からケータイを取り出し、ディスプレイをいじくりだした。店内が薄暗いせいか、うつむきかげんの唯さんは、裕子ちゃんそっくりなんだ。もっともお母さんのほうは髪が短くうなじまでしかない。赤いイヤリングとルージュが合っていて、化粧が手慣れているぶん、成熟した色気があった。


 なに感じてるんだ? そんなんじゃないって。相手はおばさんじゃないか。


「まだ裕子と連絡がとれないんです」


 唯さんがケータイを置いて、口を開いた。


 それはおれにとっても問題だ。「娘さんはいまどこに……」


 お待たせしました、と店員が座敷に上がり込み、生ビールを並べだした。おれたちはメニューを見て、適当に何品か注文した。店員が去ると、唯さんはジョッキをとりあげ、一息に飲みほした。おれは意外の感にうたれた。酒豪だったりして。飲んだあとの濡れた唇が少し色っぽかった。


「このところ娘の帰りが遅いんです。帰らない日もあって」


 それは大問題だ。おれはとたんに身を乗り出した。


 裕子ちゃんは短大の2年生で、卒業後は家事手伝いが決まっているそうだ。


 唯さんは憂い顔で続けた。


「わたし、仕事でよくうちをあけるんです。大学が冬休みに入り、裕子には家の仕事を手伝ってもらっていました。それが最近、家事をおろそかにし、外出ばかりするようになったんです」


 悪い虫でもついたか、とおれは父親みたいなことを考えた。


「あさっては成人式です」と唯さんがため息をつく。


「それは危険だ」


 おれ、思わず立ち上がろうとして、掘りごたつのへりがつかえ、うしろにつんのめるように、また座った。唯さんが驚いたような目を向けてくるから、なんだか照れくさくなって、ちょっと座りが悪かったふりでごまかした。


「危険でしょうか」唯さんの表情が真剣なものに変わっていた。


「成人式なんて合コンみたいなものです。晴れ着を着られるのでしょう? 自分では着れませんよね。しっかり着つけ、ほどけないくらい帯で縛りつけてください」


 おれはそう口走っていた。


「わたしがついて行ければいいんですけど、保険の外交をしていて、日曜祭日は関係ないんです。成人式の日は遅くなりそうで、どうしたらいいんでしょうか」


 唯さんが店員を呼び止め、冷酒を注文した。おれもその日は仕事だけど、場合によっては、インフルエンザにかかる必要がありそうだ。


 唯さんがまたケータイを確認している。おれはいま現在、裕子ちゃんが行方不明だったのを思い出した。


「娘さんから連絡は?」


 唯さんが、心配そうな顔で首を振った。


 おれもケータイを取り出した。7時53分。まだ早いかと思ったけど、裕子ちゃんにダイアルしてみた。二回呼び出しただけで留守電に変わり、おれの不安はいっそう高まった。


 冷酒が届いたんで、おれも少しもらい、ぐいっとあおった。


「こんなとき父親がいてくれたら」


 唯さんがつぶやき、冷酒を自分のコップについだ。おちょこが来ているのに、コップ酒だ。ぐいっとあおると、


「夫は箸の持ち方もへたなくせに、女には器用でした。浮気されているのに少しも気づかず、相手の女がうちに乗り込んできて、わかったくらいなんです。ばれると開き直って、女のマンションに行ってしまいました」


 そう話し、唯さんが冷酒を三本追加した。


「ひどい男ですねえ」


 おれはコップを口に運びながら、腹をたてて見せた。


「相手は10歳以上も年下の女で」


 おれは酒を噴き出していた。むせてしまい、咳き込んだのをいいことに、唯さんから顔をそむけた。おれが裕子ちゃんを狙っていると気づいた唯さんが、それを非難しているように聞こえたんだ。


「大丈夫ですか」と唯さんがおてふきを取って、濡れた袖口をふいてくれた。開襟シャツの胸もとが近づき、豊満な谷間がおれの目に飛び込んできて、どぎまぎしちゃった。


「本当に大丈夫ですか」


 唯さんが見上げてくるから、おれ、慌てて目をそらし、


「そんな野郎は切腹ものですね。友人に刀剣商を営んでいるのがいるから、よかったら介錯をたのみましょうか」と冗談でごまかした。


「十年も昔の話です。離婚して、いまはどこに住んでいるのかもわかりません」


「そうですか」とおれはコップを置き、互いに酒をつぎあった。


「裕子に父親がいれば、こんなに心配しないですんだのに」


 唯さんの濡れた瞳が見つめてきた。さっきからずいぶん早いペースで飲んでいるのに、顔は白いまま、コップを持った手の甲に片頬をあずけ、表情だけとろんとしていた。


「もっと飲みましょうよ」そう言う彼女の声も、どこかうるんでいた。


「明日は仕事があるので」


 メールの受信音がした。唯さんが気だるげにケータイを確認しだした。


「裕子から。『友達んちに泊まるから、先に寝てていいよ』って。友達って男かしら。わたし、もう裕子がなにを考えているんだか、わからない」


「飲みましょう」


 おれは、とっくりを取り上げていた。


 それから唯さんと差しつ差されつ、何本もお銚子を空けた。たのんだつまみはほとんど手つかずのまま、酒ばかり飲んだ。飲まずにいられなかった。


 店を出たのは、10時近くだった。おれたちは完全にできあがり、つないだ両手を振り振り、あぶなげな足取りでタクシー乗り場に向かった。おれは唯さんを後部座席に入れながら、母娘の自宅を知るチャンスだと思った。


「送っていきますよ」と言って、おれもタクシーに乗り込んだ。


 唯さんは行先を告げると、シートに頭をもたれて目をつぶった。おれも頭がぐらぐらして気分が悪かった。冷酒が効いてきたみたいだ。


「着きましたよ」と不機嫌そうな運転手の声で目を覚ました。


 タクシーが止まっていたのはマンションの前だった。唯さんはシートにもたれ、顔を半ば髪で隠すようにして、静かに寝息をたてていた。肩を揺すってみたけど、生返事が返ってくるばかりで、なかなか起きようとしないんだ。


 ふいに吐き気がこみあげてきた。おれが身をかがめると、「お客さん」とルームミラーのなかで、運転手が目を怒らせやがった。


 目を覚ました唯さんに肩を貸し、おれたちはタクシーを降りた。トイレを借りようと思ったんだ。オートロックを開けてもらい、ホールに入ってエレベーターに乗った。箱が上昇すると、浮遊感に、ますます気持ちが悪くなった。


 住まいは508号室だった。玄関に入ると、唯さんはおれの肩に片手をかけ、もう一方の手でヒールを脱ぎ捨てた。おれたちはもつれるように短い廊下を進んだ。ドアの向こうはリビングで、唯さんをソファに座らせた。左手がおれの袖をつかんでいて、見つめる瞳がすわっていた。薬指のルビーが怪しい光を放っていた。


「トレイを借ります」


 おれは、唯さんの手を払いのけるように踵を返し、廊下に戻った。


 バスルームに飛び込んだとたん、吐き気が最高潮に達した。洗面台に顔をつっこみ、盛大に吐いた。こんな悪酔いは、ほんとひさしぶりだったよ。


 口のなかが酸っぱく、うがいをして廊下に出た。薄暗がりに、唯さんが立っていた。上着を脱ぎ、胸もとのボタンが外され、どこかしどけなかった。まだ酔っているのか、足もとが不安定に揺れているみたいだった。


「洗面台を汚して……」


 おれが言いかけて、唯さんがぶつかってきた。その勢いで廊下の壁に押しつけられた。濡れた瞳が、おれを射すくめるんだ。


「唯さん」


「まだ汚れている」


 唯さんの指が伸び、おれの唇をなぞった。


 ふいに彼女の顔が近づいてきた。甘い香りが鼻をおおい、おれは唇を奪われた。暗がりで瞳を閉じる表情に、裕子ちゃんとしているかと錯覚した。


 違う。そのお母さんだ。おれは反射的に相手をつきのけていた。


 唯さんは反対側の壁に頭を打ちつけ、ずいぶん大きな音が響いた。彼女は背中ですべって廊下にへたりこみ、がくんと首をうなだれた。思いがけず力が入ったようなんだ。おれは自分の行為に怯え、狭い廊下を挟んで壁にへばりついた。


「なに、やってんだよ。裕子ちゃん……娘さんが心配じゃないのかよ」


 おれの言葉に、唯さんが瞳を上げた。


「おれは心配だ。成人するったって、まだ子供じゃないか。そんな娘が夜遊びしたり、外泊したりしてるってのに、色目なんかつかいやがって。少しは自分の年を考えろよ」


 おれは玄関に急いだ。激しく鼓動していた。慌てて靴をはこうとして、パンプスを蹴飛ばした。ドアに手をつき、振り返ると、暗い廊下にうずくまる女がいた。


「今夜の出来事は忘れる。だからあんたも忘れてくれ。裕子ちゃん……娘さんには、ぜったい言わないでくれよな」


 おれはドアを叩きつけた。


 マンションの外に出たとたん、北風に身を震わせた。酔いはすっかり醒めていた。窓を見上げたけど、どれが母娘の部屋かはわからなかった。


 なんだよ、おまえ、その目は。おれを非難してるみたいじゃないか。裕子ちゃんの父親みたいに言った? 本気で心配してんだよ。どこかで見知らぬ男に抱かれるのを? うるせえ。人のことは言えない。なにが? 唯さんを非難した。おれだって裕子ちゃんに色目をつかってる。自分の年を考えろ。


 うるさいんだよ。おまえ、どっちの味方なんだ。なに。おれが、唯さんを傷つけた? もっとやりようがあっただろって。相手は四十女だぜ。あのていどで傷ついてたら、40年も女やってられっかよ。しょせん、おばさんじゃないか。くそっ、おまえなんかに相談するんじゃなかったよ。さっさと飛騨の山奥でも銀河の果てでも行っちまえ。



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