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 モテ期ってあるもんだね。ほんとそう思う。32年、生きてきて、ようやく、「来たあっ」て感じ。


 今までつきあってきた女はいたけど、食事の約束するだけで、「お願いします、このとおりです」って頭下げてたほど。なんとかディナーをともにしてワインで乾杯したら、即『彼女』ってわけじゃないんだよね。さすがに嫌な相手とふたりで行かないだろうから、予選通過ってところかな。そのていどの男だったら、いくらでもいるわけで、選択の幅広げて一番優良な遺伝子をゲットする腹なんだ。


 このまえテレビの動物番組見てて、ほんと痛感した。カモシカの雄が求愛するシーンでさ、雌のほうは気のあるそぶりで、雄が近づくと逃げやがんの。追いかけては逃げるのくりかえしで、そのうち他の雄たちが、なにやってんだって集まりだし、一頭の雌をめぐって大乱闘だよ。角でぶつかりあい、うしろ足で蹴り上げ、まさに死闘だった。傷だらけになって争い、ついに体の大きな一頭が勝利した。雌のほうはというと、もちろん無傷で、交尾しながら、すました顔してやんの。


 人間も動物も、ひと皮むけば変わらないって、そう思ってた。それも彼女に出会うまでの話だ。彼女はだんぜん違う。ひょっとして人間じゃないかも。おれ、はじめて見かけたとき、天使が舞い降りてきたと思った。


 おまえの店に来たのは、その話をするためなんだ。ちょっとのろけるかもしれないから覚悟しろよ。それにしても日本刀なんてどこがいいんだろ。物騒なものばかり売りやがって。


 それで彼女の話なんだけど。勤め先のスーパーでの出来事なんだ。おれが売り場で牛乳を出していると、ふわりと柔らかい感触がうなじのあたりをかすめ、シャンプーの香りが鼻をくすぐった。彼女が足早にレジに向かうところだった。つややかな黒髪に天使の輪ができていた。あの髪が触れたんだと思うと、おれ、胸がどきどきしちゃった。


 彼女はレジ待ちの最後尾で立ち止まり、肩ごしにおれを振り返った。顔の片側にかかった髪がさらりと揺れ、瞳も揺れて、目が合った。その瞬間、なんていうのかな、びびっと雷に打たれた感じ。


 えっ。打たれたことあるのか? あるわけないじゃん。電撃くらったことあったら、おれ、いま生きてないって。


 それで彼女なんだけど、列に並んでいた、40歳前後の女性といっしょになり、なにやら話しかけられていた。母親なんじゃないかな。ふたりの横顔が見えていて、それがそっくりなんだよね。母親にあいづちうちながら、彼女の長い睫毛が、おれをうかがってんの。


 バカ、妄想なもんか。おれ、意識されてんの、ばっちり感じたもんね。彼女は間違いなく、おれに気がある。


 女子高生なんじゃないかって。母親と買い物に来てたから。それはないって。20歳ぐらいには見えた。なに。おれが、いくつかって。32じゃないか。おまえといっしょだろ。中学の同級なんだからさ。


 わかってるわかってる。12も年が離れてるって言いたいんだろ。いまは年の差婚がはやりなの。10以上離れてるぐらい、めずらしくもなんともない。えっ。切腹ものだって。上等だよ。あの娘とつきあえるんなら、立派に腹切ってみせるさ。妬くな妬くな。介錯してやる? よせやい。おまえ、刀剣商だろ。なんか冗談に聞こえないって。


 天野唯ちゃんと再会したのは一週間後だ。うん、唯ちゃん。いつのまに自己紹介しあったかって。いまからそれを話してやるから。


 唯ちゃんは、また母親らしき女性と買い物に来ていた。牛乳売場で、生クリームを手に、ふたりで話し合っていたんだ。おれ、思い切って話しかけてみた。


「ホイップをお探しですか」


 そう声をかけると、ふたりはちょっと驚いたようだ。唯ちゃんの手には二種類のホイップがあって、それを見くらべると、おれに可憐な眼差しを向けてきた。


「どうしてこのふたつ、こんなに値段が違うんですか」


 はじめて彼女の声を聞いて、おれ、ぞくぞくとしちゃったよ。


「安いほうは植物性油脂をつかっているんですよ」


 おれの答えに、えっ、と唯ちゃんが首をかしげてさ、髪が揺れて、すっきりした輪郭がのぞくんだ。はすに見上げる瞳が、なんともキュートだった。


「牛乳じゃないんですか」って彼女がたずねた。


「値段の高いほうには生乳が使われています。ちょっといいですか」


 おれは片方のパックの表示を確認してから、


「生乳40パーセントです。当然、生乳の多いほうが味もいいです。そのぶんお値段もはりますけどね。くずれやすいので、デコレーションに使うなら植物性のホイップがおすすめです」


「そうなんだあ」と唯ちゃんの瞳に、尊敬するような光が浮かんだ。


 おれは得意になって説明を続けた。


「市販のケーキに使われているのも、3分の2は植物性クリームを混ぜています。生乳百パーセントだとホイップしても固まらないんです。40パーセントあると少し柔らかいですが、くずれるほどではなく、舌の上でとろけるようで、とてもおいしいですよ」


 唯ちゃんは感心したような顔で聞いていた。クリスマスを来月にひかえ、おれ、本社で生クリームの研修を受けていたんだ。


「高いほうにしなさい」と母親が口をはさんだ。


 唯ちゃんがうなずき、生乳40パーセントのホイップを、カートの買い物カゴに入れた。ふたりはレジに歩きだしたんだけど、ふいに唯ちゃんが振り返ってさ、


「河合さん」


 いきなりおれの名前を呼ばれた。心臓が止まりそうになったよ。


「天野唯といいます。どうぞよろしくお願いします」


 彼女がぺこりと頭を下げ、恥ずかしげに背中を向けて、レジ待ちの列に戻っていった。母親にたしなめられているみたいだった。娘の大胆な行動に、親として黙っていられなかったんじゃないかな。


 おれの心臓は高鳴っていた。やはり彼女は人間じゃない。天使だ。おれの名前まで知っていた。ネームバッチを見たって。わかってるよ、そんなこと。天使の夢にひたっていたいんだからさ、黙ってろよな。


 ふたりが立ち去ったあと、おれはなかなか仕事が手につかなかった。またきっと会えると確信していた。ふらふらとレジ近くの雑誌コーナーに来ると、占い特集と書かれた一冊が目についた。おれはすぐさま自分の恋愛運をチェックした。


『運命の人と巡り合うでしょう』


 そう書かれていた。やっぱり、と思い、夢中で続きを読んだ。


『年の差に驚かないで。勇気をもって行動することが大切です。その人はあなたのアプローチを心待ちにしています。そろそろ結婚を考えてみたら』


 うひゃあ。おれはその場で飛び上がりそうになったよ。なに。占いなんて信じないって言ってた。おれが? いちいちうるさいね。占いなんてのは都合のいいとこだけ信じればいいの。


 幸せにひたっていると肩を叩かれた。売り場主任が立っていて、仕事中なにやってんだって叱られた。おれの顔、にやついてたみたいでさ、バックヤードで大目玉くらったよ。


 それから母娘はよく買い物に来るようになった。週に三日ほど、夕方の六時過ぎくらいかな。来れば、なにかしら言葉を交わした。訊いてみると、隣の女性はやっぱり母親で、あらためて似ているなあ、と思った。


 そんなある日、唯ちゃんがひとりで店にあらわれた。冷凍食品を売り場に並べおえたところで、声をかけられたんだ。おれは彼女の姿を見て、凍えきった体がじんわり暖かくなった。


「お父さんのクリスマスプレゼントを選んでもらいたいんです」


 唯ちゃんがそんなことを頼むんだ。


 大人の男性がどんなものを欲しがるか、知りたいんだって。おれはもちろんオーケーした。いっしょに選ぶとなれば、ふたりでショッピングをするわけで、これってデートじゃない。


 いいから、黙って聞けって。翌週、デートの約束をした。冷凍庫から出たばかりで、顔がかじかんでいなければ、表情がゆるんでいたところだ。


 なに? おっさんの意見を聞きたかっただけって、おれ、まだ32歳だぜ。唯ちゃんからすれば、おっさんだ。うるさいよ。おまえ、ほんっと乙女心がわからないやつだな。考えてもみろよ。売り場で見かけ、ほんの少し言葉を交わしただけの相手と買い物に行きたいって言うんだぜ。デートの口実に決まってんだろ。もっとも、おまえに乙女心って言っても無理か。刀剣ひとすじだからな。いまからその顛末を聞かせてやるよ。


 デート当日、おれは期待に胸をふくらませ、指定された駅の改札口で待っていた。そこはおれが通勤にも使う駅で、いつもは仕事でいやいや通る改札なんだけど、きょうは天国への扉のように感じられた。母娘がよく買い物に来ることから、唯ちゃんはこの街のどこかに住んでいるんだ、とそんな想像をしていた。


「河合さん。ごめんなさい。待ちました?」


 彼女だ。白いニット帽に白いコートを着て、マフラーにうずめた頬がほんのり上気している。息をきらしていて、時間に遅れないように走ってきたようだ。おれは、「ぜんぜん待たない」ってバカみたいに首を振っていた。


 ふたりで横断歩道を渡り、お目当てのデパートに向かった。街路樹に巻かれた電飾を見て、もうすぐクリスマスだなって、感慨にふけったもんだよ。


 十二月に入って、店内はひどく混雑していた。一階の催事場には、クリスマスツリーや飾り物のコーナーがもうけられていて、唯ちゃんと歩きながら、ふたりでイブを過ごせたら最高だなあ、と胸が躍ったよ。


 まずは紳士服のフロアに上がった。唯ちゃんはいろいろなブースをまわっては、あれこれ悩んでいた。感じがつかめないから、とおれの体に上着やチョッキをあてたり、着せたりした。店員は、お似合いですよ、とお愛想を言ったけど、別におれが着るわけじゃないんだよね。お父さんの服のわりには若やいだものを選んでいた。寸法だっておれと違うだろうに。唯ちゃんの父親といったら、いくつくらいなんだろと思った。


 おれがたずねると、唯ちゃんは困ったような顔で、


「はっきりとはわからない。でも、お母さんより若いよ。これなんか、どうかしら。着てみてくれません?」


 そう言って、ハンガーにかかったジャケットを差しだした。


 おれは試着した姿を鏡で見ながら、どうかしら、と訊かれても、正直、よくわからなかった。そもそもファッションにはまるで興味がない。


「お父さんの趣味はわからないからなあ」っておれが言うと、


「河合さんの好みでいいの。わたしのパパと体型がよく似ているから、河合さんに似合うものなら、パパにだってぴったりよ」


 そう言うんだ。おれはうすうすわかりはじめてきた。なにがって? おまえ、まだわかんないのかよ。お父さんのと言いながら、唯ちゃんは、おれへのプレゼントを選んでいたんだよ。試しに、


「腕時計のほうがいいんじゃないかな」


 なんて、おれの欲しいものを言ってみると、唯ちゃんは、「いいかも」って、あっさり紳士服フロアをあとにし、おれを時計売り場に引っぱっていくんだ。


 唯ちゃんは、時計のことはよくわからないようで、ガラスケースをのぞきこみながら、ずいぶん目移りしていたようだ。おれがわざと高級時計を見せてくれと言うと、唯ちゃんはちらりと値札を見て、困ったように眉をひそめるんだ。その表情の色っぽさといったら。もう、たまんなかったね。


 もちろん唯ちゃんに、そんな高級品が買えるわけがなく、おれは値ごろなやつを見立てておいた。お父さんへのプレゼントにしては、安っぽかったかもしれないけどね。彼女はその場では買わず、もう少し考えてみると言っていた。


 でさ、エスカレーターを降りながら、唯ちゃんがなんて言ったと思う? 真剣そうな表情で上目づかいにおれを見ると、


「十二月二十四日って空いてます?」


 そう訊くんだぜ。おれ、ステップから転がり落ちそうになったよ。


「イブは店が忙しいんだよねえ。パーティの準備とかでグループ客が多いから」


 おれはことさら、イブと言い、彼女の様子をうかがった。唯ちゃんは足もとを見ていて、表情はわからなかった。余裕じゃないかって。彼女の気持ちがわかりはじめていたからね。きっとおれにプレゼントを渡し、告白でもするつもりじゃ――。


「打ち明けたい話があるの」


 彼女が瞳を上げた。


 おれはエスカレーターの引き込み口に足をとられそうになった。かろうじて踏みとどまると、どうにか表情をとりつくろい、


「それでも夕方になると、お客さん、さあっといなくなるんだ。イブ、だからね。六時過ぎにはあがれるんじゃないかな」


 おれがそう答えると、唯ちゃんの表情が明るくなった。


「食事をしてもらってもいいですか」


 いいです、いいです。もちろんですとも。おれの余裕はくずれ、そくざに約束した。唯ちゃんは決めていたレストランがあるようで、詳しいことはあとで連絡するから、と携帯番号を交換しあった。


 やったあ。おれは心のなかでガッツポーズを決めた。


 となると、おれもプレゼントを用意する必要があるわけで、唯ちゃんはなにが欲しいのかな、そう思い、その品を頭のなかで探りはじめた。


 エスカレーターを挟んだ、催事場の反対が貴金属売り場になっていて、おれたちはその前を通って出入り口に向かっていた。唯ちゃんは、ガラスケースのひとつに気を奪われていて、おれがのぞきこむと、指輪が燦然と輝いていた。


 ははあ。おれはボーナスの額を胸算用した。さりげなく唯ちゃんの欲しい指輪と指のサイズを確認できないかな、と思い、妙案を思いついた。


「お母さんにプレゼントはいいの?」


 おれがたずねると、唯ちゃんはとまどったような顔で見返してきた。


「お父さんのだけだと不公平じゃないかな。お母さんの指には、どんなリングが似合うんだろ? 自分の好みでいいから、ちょっと選んでみてよ」


 唯ちゃんが、父親への紳士服のプレゼントにかこつけて、おれの好みを探っていたように、そうたずねてみた。


 唯ちゃんが指さしたのはルビーの指輪だった。彼女の好みにしたら大人っぽいなと思っているうちに、店員が素早くガラスケースを開け、指輪を取り出した。おれが口を開く間もなかった。唯ちゃんは、薬指にはめたリングをためつすがめつ、うっとりした表情で見つめていたっけ。


 いままでおれ、女がむやみに宝石を欲しがるのを、くだらないことだと思っていた。いまでは違う。自分の女を美しく着飾らせてやるのが、男にとってどんなに素晴らしいか、おれはよくわかったよ。


「サイズはそれでよろしいですか?」


「ええ、母とサイズはいっしょなんです」


 そんなやりとりを聞きながら、ボーナス併用で何回払いにしようかと考えていた。


 その場は冷やかすだけにし、おれたちは宝石店をあとにした。もちろんこっそり買っておいて、イブにプレゼントするんだ。彼女の驚く顔が目に浮かぶなあ。そして食事のあとは……。うふっ。おれの想像はもりもりふくらんだ。


 デパートを出ると、街路樹のイルミネーションがきらめいていた。昼過ぎに会う約束をしたのに、あっというまに暗くなっていた。このあとどうしようかと考えていると、唯ちゃんが、「タクシー」と手を上げ、止まった車に乗り込んだ。


「きょうはありがとうございました」


 にこやかな笑顔を向け、おれが誘うより速く、さあっとタクシーで走り去った。


 ――あれ?


 やっぱり、お父さんへのプレゼントだったって。そんなことあるもんか。もっとも、おまえにいくら言ったって、唯ちゃんの心模様なんてわかりっこないからな。いまからクリスマスイブが待ち遠しくてしかたないよ。あと一週間かあ。


 えっ、そのあと。唯ちゃんと会っているか? 店で会うよ。いつもどおり、お母さんと買い物に来るんだ。来れば、いつでも言葉を交わす。


 プライベートで? 会わない。携帯にかけたけど、いつも忙しいんだ。じらしているんだと思うな。ほんと、身をこがされる思いだよ。最高のイブを過ごしたらさ、またおまえに報告するから。じゃあな。ちょっと早いけど、メリークリスマス。



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