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THEヘンダーワールド ―ちょっと奇妙な日常譚―  作者: muta


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第5話:人生100年時代 

2025年の日本人の平均寿命は、男性が81.35年、女性が87.33年。国際比較では、女性は41年連続で世界1位を維持している。

近未来の日本。少子高齢化はさらに進み、六十五歳以上の人口は四割を超えた。生産年齢人口は、とうに半数を割っている。


 介護施設の人手不足は慢性化を通り越し、もはや構造そのものになっていた。そこで政府が導入したのが「国民介護参加制度」だった。十八歳以上で一定期間就労していない成人には、介護施設や高齢者支援施設での勤務が義務づけられる。制度名に「国民」とついているだけで、実際に呼び出されるのは、いつも決まって同じような立場の人間だった。


 浅野涼あさのりょう、三十二歳。長年勤めた会社を辞め、少し休んでから次の仕事を探そうと思っていた。退職からわずか三週間後、スマートフォンに通知が届く。


 《あなたは国民介護参加制度の対象となりました》


 涼は画面を二度見した。


「いや、俺、介護なんてやったことないんだけど」


 声に出してみても、通知は消えない。制度概要を読み進めるうちに、拒否した場合の文言に目が止まる。失業給付の減額。行政サービスの一部制限。すべて「不利益」という言葉で丁寧に包まれていたが、要するに脅しだった。


 仕方なく、涼は施設へ向かった。


                  ♢


 研修は一日しかなかった。食事介助、移動介助、清掃、見守り。最低限だけ教え込まれ、あとは現場という戦場に放り込まれる。うまくいくはずがなかった。


 車椅子の向きを間違えて利用者に怒鳴られ、職員には手順の遅さを注意され、慣れない中腰姿勢で腰が悲鳴をあげる。涼は何度も同じ言葉を飲み込んだ。


(こんなの、専門職がやる仕事だろう)


 口に出したこともある。施設の職員は、疲れた顔で笑うだけだった。


「専門職だけじゃ、もう回らないんですよ。医療、福祉の分野はもう疲弊しているんです」


 その言葉に嘘はなさそうだった。施設には涼と似たような人間が何人もいた。会社を辞めた人。就職活動中の若者。子育てが一段落した人。定年前に早期退職した人。誰もが同じ台詞を口にしながら働いていた。


「まあ、仕方ないよな」


                  ♢


 最初は苦痛でしかなかった介護の仕事にも、涼は少しずつ慣れていった。声のかけ方、体の支え方、間の取り方。覚えるほどに、利用者との間に小さなやり取りが生まれるようになる。


「まあ、今日も来てくれたのね」


 と、車椅子の利用者の女性ーサチコさんーが微笑んだ日があった。


「君がいると、話し相手がいて助かるよ」


 と、別の男性利用者に言われた日もあった。悪い気はしなかった。むしろ、会社員時代には感じたことのない種類の実感があった。


 その一方で、制度そのものへの違和感は消えなかった。テレビをつければ、


 《介護人材不足、大幅改善》  《国民参加型福祉制度、海外からも注目》


 という見出しが流れてくる。涼はそのたびに小さくつぶやいた。


「人が足りなくなったんじゃなくて、無理やり突っ込んだだけじゃん」


                 ♢


 ある日、施設に新しいシステムが導入された。提供元は、涼が聞いたこともない企業だった。


 HENDER LIFE SUPPORT。


 介護記録、勤務管理、利用者の感情や満足度分析、職員の疲労度までを一括管理するという触れ込みだった。職員が涼に専用端末を手渡しながら言う。


「国の補助金で入ったらしいですよ」


 端末の画面には、毎日決まった項目が表示された。《本日の社会貢献度》《介護参加ポイント》《利用者満足度》。涼は最初、それをゲームのステータス画面のように眺めていた。


 だが、その中に一つだけ、意味の分からない項目があった。


 《受容値》


「これ、何すか」


「さあ。ストレス測定か何かじゃないですか」


 職員も詳しくは知らないようだった。涼もそれ以上は気にしなかった。


                 ♢


 制度は静かに、しかし着実に拡大していった。義務勤務期間の延長。対象年齢の引き下げ。失業給付の一部を介護参加ポイントに連動させる新ルール。ニュースは相変わらず、この制度を「社会全体で高齢者を支える、新しい日本型モデル」と紹介し続けていた。


 涼は友人に愚痴をこぼした。


「なんか、条件がどんどん変わってないか」


「まあ、高齢者増えてるしな。仕方ないだろ」


 施設でも同じ言葉が繰り返された。


「人手ないから、仕方ない」 「税金足りないから、仕方ない」 「自分もいずれ世話になるんだから、仕方ない」


 誰一人として、心から納得しているようには見えなかった。それでも全員が、同じ言葉を口にしながら働き続けていた。


 そのたびに、涼の端末の中で《受容値》が少しずつ上がっていった。誰も、それに気づかなかった。


                  ♢


 ある日、涼は利用者の移乗介助中に腰を痛めた。医師からは、しばらく安静にするよう告げられる。涼は診断書を施設に提出した。


 翌日、行政から通知が届く。


 《介護参加時間が基準を下回っています》


 涼はすぐに電話をかけた。


「怪我してるんですけど」


「制度上、軽作業であれば参加可能とされています」


「休めないんですか」


「社会保障制度を維持するため、ご理解いただけますと」


 涼は苛立ちを抑えられなかった。


「なんで俺がそこまでしなきゃいけないんですか」


「皆さん、ご協力いただいておりますので」


 言葉が返せなくなった。腰の痛みより、その一言の重さのほうが応えた。長い沈黙のあと、涼は自分でも意外なほど、あっさりとその言葉を口にしてしまう。


「……まあ、仕方ないか」


 その瞬間、端末の画面が一瞬だけ切り替わった。


 《受容値 100%》  


「?????」 


涼は眉をひそめる。だが画面はすぐに通常表示へと戻り、何事もなかったように《本日の社会貢献度》が表示されるだけだった。見間違いだと思うことにした。


                   ♢


 数日後。テレビで政府の広報CMが流れる。涼は腰にサポーターを巻いたまま、休憩室でそれを見ていた。


 「人生100年時代。支えることも、生きること」


 柔らかいナレーションのあと、明るい声で数字が読み上げられる。


 「国民介護参加制度、参加率98パーセント達成。介護人材不足は大幅に改善されました」


 テーブルを挟んだ向かいで、同じ制度の対象者として働く同僚が、資料を回覧しながらぼそりとつぶやいた。


「参加率は上がってるらしいけどさ。これ見ると、なんか違う気もするんだよな」


 差し出された紙には、施設内で共有されている業務資料の一部があった。専門職員一人あたりの残業時間は、制度導入前より一割以上増えている。素人への指導や尻拭いに時間を取られているからだ。制度対象者の早期離脱率は、依然として三割を超えたままだった。怪我や体調不良を理由にした離脱も少なくない。利用者アンケートの満足度は、横ばい、というよりわずかに下がっていた。


 涼はその数字をしばらく黙って見つめた。参加率という一つの数字だけが独り歩きして、現場の中身は、何一つ良くなっていない。


「……なんか、変わってなくないか、これ」


 小さくこぼした言葉に、同僚は資料を畳みながら苦笑いを返しただけだった。


「まあ、そうだよな」


 それ以上、誰も何も言わなかった。答えなど、最初から用意されていないかのように。


 テレビの中では、CMの最後にいつもの小さな文字が流れていた。


 「システム提供:HENDER LIFE SUPPORT」


 涼は一瞬だけ、その文字に目を止めた。この名前、前にも見た気がする。どこでだったか、思い出せない。腰の痛みと、積み重なった疲労が、それ以上の思考を押し流していく。涼はすぐに視線をそらし、また端末を手に取って、次の業務を確認した。



「今日もサチコさんが俺を待ってる」



                  ♢


 制度対象者・平均就労継続期間:7.2ヶ月


 専門職員一人あたり平均残業時間:前年比プラス25パーセント


 利用者満足度指数:前年比-10%


 国民介護参加率:98パーセント。



                  終


 2040年には日本の総人口の約25%が75歳以上になる。あなたの望んだ未来はそこにあるのだろうか。

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