正しい裁定と違和感
すべてが、整いすぎていた。
神殿の裁定室は静かだった。
石造りの高い天井の下、左右には証人席が整然と並ぶ。
正面の壇上にはエルヴスの裁定官が三人、微動だにせず座っている。
長い耳に整った所作、そして感情を一切表に出さない目が、ただ静かに場を見下ろしていた。
シュレム・グランベルは壇の前に立ち、その静けさの中で、じわじわと追い詰められていた。
(おかしい)
頭の中で、同じ言葉が何度も回っていた。
(おかしいだろ……これは)
だが、何がどうおかしいのかが、うまく言葉にならない。
証言は出たし、証拠も揃っている。ヴェリタスの瞳によって真実性も確認された。
すべての流れは完璧で、秩序だっていて、整っていた。
だからこそ、おかしい。
間違いが入り込む余地がない。なのに、違和感だけが残る。
「証人、カイル・アンリの証言を確認する」
抑揚のない正確な声とともに、裁定官の一人が羊皮紙を広げた。
「シュレム・グランベルが禁術を行使した事実。これに間違いはないか?」
「……ない」
シュレムはそう答えた。
禁術を使ったのは事実であり、認めるしかなかった。
「ナタリア・コレットの死については、自死と判定する。複数の証言、および物証、すべてが一致している」
また羊皮紙をめくる音がした。
「ラルフ・エインズへの嫌疑については、証拠不十分につき棄却。無罪とする」
傍聴席がわずかにざわついたが、すぐに静かになった。
エルヴスの裁定官が視線を上げただけで、空気が固まった。
シュレムは正面を見ていた。
すべてが整っている。証言も、証拠も、判定も、何一つ矛盾がない。
ヴェリタスの瞳は嘘を見抜く魔道具だ。あの光の前に立たされた証人は、例外なく真実しか語れない。それは、わかっている。
なのに、どうして、こんなに——
「シュレム・グランベル」
裁定官の目が、まっすぐ向いた。
「禁術の行使により有罪と認定する。そして、お前は禁術の代償として死の呪いを受けた。その呪いが命を燃やし尽くすまで、大神殿地下への幽閉とする」
「そんな、ばかな!」
シュレムは叫んだ。
静寂が割れ、傍聴席がどよめいた。
衛士が静止しようとするが、しかしシュレムは止まれなかった。
「ナタリアは自分で死んだんじゃない! あいつはそういう奴じゃなかった! おかしいだろ、全部! 整いすぎてるんだよ! こんなにきれいにまとまる話があるか!」
「静粛に」
「証言が全部真実ってどういうことだ! ヴェリタスの瞳の判定はわかってる! じゃあなんであいつはあの時、なんであんな目をしてたんだ! あれはナタリアの目じゃなかった! 俺は知ってる、あいつのことを俺は——」
衛士が二人がかりでシュレムの口を押さえ拘束した。
裁定官は表情一つ変えず、シュレムを見ていた。
「感情は、判定を変えない」
それだけ言った。
シュレムは引きずられながら、裁定室を出た。
夜だった。
シュレムは塀の上から飛び降り、石畳を蹴って路地を走りだした。
後ろから衛士の声が追いかけてくるが、距離はまだある。
それでも息は切れ始めていた。
くそ、と思った。逃げながら考えをまとめる。
まず神殿を出て、街を出て、それから——それから何だ、何ができる?
そうだ、真実を暴く。
言葉にすると馬鹿みたいだが、それ以外にない。
ナタリアに何が起きたのか。あの整いすぎた裁定の裏に何があったのか。
全部ひっくり返してやる。それだけだ。
「絶対に暴いてやる……!」
走りながら、誰に言うでもなくそう呟いた。
その時、ふいに足が止まった。
止めようとしたわけじゃないし、止まろうと思ったわけでもない。それなのに足は止まり、膝が固まったように動かない。
意思とは関係なく、体のどこかが何かに引っかかったような、そんな感覚だけが残っていた。
「っ……!」
体に熱が、走った。
腕の中から、胸の奥から、火が噴き出すような感覚がシュレムを襲う。
精霊との接続が、勝手に開いたように感じた。いや、開いたんじゃなく、暴れている。
ゼリニシアへの接続詠唱を行ったわけでもないのに。
そのとき、頭の中で声がした。それは、ナタリアの声だった。
『——ねえ、シュレム。わたし、ずっと——』
意味がわからなかった。脈絡がなく、続きも来ない。ただそれだけが、頭の奥に響いて、消えた。
シュレムは歯を食いしばって、それを押さえ込んだ。
十秒か、それとも二十秒か。体の中で何かが暴れ、収まり、また揺れ、ようやく静かになった。
シュレムは壁に手をついて、荒い呼吸を整えた。
また、か。
あの禁術に手を出した後から、これが続いていた。突然体が止まり、精霊接続が暴走する。
神殿の裁定官はこう言った。「禁術に手を出した代償の呪いだ。その呪いは命を燃やす。いずれ尽きる」と。
だからこその幽閉だった。処刑より残酷な、ただ待つだけの判決。
そして頭に響くナタリアの声。これも呪いの一部なのかもしれない。
後ろで足音が増えた。
「……この呪いをなんとかしないと」
呪いを抱えたまま逃げ続けるのは不可能だ。真実にたどり着く前に、捕らえられるのが先か、命が尽きるのが先か。
シュレムは地面を蹴って、また走り出した。
同じ夜の別の場所。
走る足音とは無縁のその場所で、空気は止まっていた。
簡単な家具だけが置かれた、質素で小さな部屋。
精霊灯はなく、ロウソクの炎だけがゆらゆらと揺れている。その光が、壁に薄く残る古い染みを照らしている。
静まり返ったその部屋で、サリエナ・ローレンスはベッドの傍らに座っていた。
何も言わず、父の手を両手で包んでいる。
父の呼吸は弱々しく、間隔が少しずつ長くなっていく。そんな父の姿を、サリエナはじっと見つめていた。
やがて父が、うっすらと目を開けた。
「……サリエナ」
「うん」
「お母さんのこと……許してやってくれ」
その言葉が、幼い日の記憶に触れた。
母が帰ってきたあの日。
満面の笑みでただいまを言う母。
駆け寄り、母に飛びついた。
母は柔らかく、温かく抱きしめてくれた。
その夜。
暗闇の中、母の姿を探した。
母の研究室の扉の隙間から、光が漏れていた。
近づき、そっと中を覗き込むと、母の背中が見えた。
「……まま」
呼びかけると、母が振り返った。
「サリエナ! いけない!」
その先は、うまく思い出せない。
光に包まれ、何かに触れられたような感覚があった。
「あなたは、わたくしを受け入れますか?」
声が、頭の奥に直接流れ込んできた。
音なのかどうか、わからなかった。意味だけが、はっきりとわかった。
答えたのかどうかも、覚えていない。
気がつくと、母が泣いていた。
それから、日々の暮らしは変わってしまった。
「サリエナ、どうしてなの」
母からいろんな魔法を試された。
そのたびに母は首を横に振り、涙をこぼした。
母の顔が、少しずつ変わっていった。
研究室にこもる時間が増え、食事の時間も、眠る時間も、背中しか見えなくなった。
そして——母はいなくなった。
記憶の断片が薄れ、部屋へと意識が戻ってきた。
父の手が、わずかに動く。
「もし……母さんに会えたら……」
声は細く、遠かった。
「愛していたと、伝えてくれ……」
その言葉のあと、父の手から力が抜けた。
サリエナは、そのまま動かなかった。
しばらくして、ゆっくりと立ち上がった。
父の形見になるものは何もいらない。全部、頭の中にある。
「……父さん、わたしも、いくね」
小さくそれだけつぶやく。
サリエナは窓の外を見た。月明かりの夜だった。
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※作者のひとことまとめ
1.シュレムは禁術の使用により幽閉を言い渡されたが脱走
2.裁定では、ナタリア・コレットは自死
3.父の死をみとどけたサリエナが旅を決意




