第45話 明蘭皇帝記
第五十代皇帝・明蘭が即位して五年が経った。
女性であり、史上初の龍聖の皇帝だった。
皇位継承まで平民として過ごした彼女の治世は今までの皇帝とは異なり、様々な改革をもたらした。
既存権益からの反発もあり、平坦な道ではなかったが兄皇子・泰誠と弟皇子・頼誠の助けもあり着実に成果をあげていっていた。
泰誠は宰相として彼女を支え、頼誠は将軍となり軍部から彼女の治世を支えた。
強大な龍華帝国は周辺国からの脅威はなく、軍事力の強化は必要なかったため、国内の治安維持を中心に軍の形態を組みなおし、地方でもある一定の安全が保たれるように改革されていった。
桂申はあの後より、その物怖じしない性格と頭の回転の速さや機転が利くことを評価され、泰誠の下で働くこととなっていた。二十四歳となった現在、人懐っこさとコミュニケーション能力の高さを生かして、各部署間の調整役として重宝され、泰誠の側近の一人として皇宮で活躍していた。
「おうじー。あの治水関係の書類、この机の上に置いときますんで、あとで絶対見といてくださいよ。期限明日までなんで。」
泰誠は頷きながらぼやいた。
「この申め。その間延びしたうっとおしいしゃべり方をどうにかしろ。イラついてかなわん。」
桂申は二カッと笑った。
「大丈夫ですよ。他の人がいるところではちゃんと話してますんで。」
「ちゃんと話せるなら私の前でもちゃんと話せ。」
「ずっとキチンとモードだと疲れるじゃないですかー。勘弁してくださいよ。あ、俺今日はあのお茶会の日なんで早くあがりますんで。」
何度繰り返したかわからない会話だ。
こんな口調でもクビにならないのは、彼の能力の高さと人徳の現れである。
一見無礼な態度に見えてもするりと人の懐に入って、気難しい人物でも味方につけてしまう。
泰誠がずっと扱いに難儀していたある高位の老貴族と皇宮の廊下で楽しそうに談笑しているのを見た時は、愕然としたものだ。
かくゆう泰誠も気を使わなくてよいこの部下のことを、内心けっこう気に入っていた。
父上が那雉と同調していた時、彼のことを初めてできた気のおけない友人のようだとおっしゃっていたな。そんなことを懐かしく思い出しながら泰誠はクスリと小さく笑った。
※
狼牙は暗殺未遂事件の直後、毒見役をしていたこともあり皇太子である明蘭にべったりだった。しかし天狼族出身と聞いた頼誠に「なに!天狼族?幻の戦闘民族じゃないか。鍛えがいがありそうだ。」と言われ、皇帝即位後は有無を言わさず軍に引き取られた。
初めは泣きごとばかり言っていたが、その潜在能力は流石というか年齢が上がると共に身体がどんどん大きくなり、同時に実力もメキメキ上がっていった。現在まだ十三歳だが、将来を嘱望されている。
主を決めると命がけで守るという天狼族の性かもしれないが、狼牙の中ではもっと実力をつけ、将来は皇帝・明蘭を守る近衛隊の隊長になることが今の目標となっている。
「あれ?お前、また背が伸びたか?ちょっと伸びすぎじゃないか?」
午後の訓練が終わったころ、軍の訓練所に桂申が現れた。
昔、背負ってもらったり、肩ぐるままでしてもらった桂申と十三歳にしてほぼ同じくらいの身長になった。
ちなみに桂申の身長は帝国男性の平均くらいで特別小さいわけではない。
「桂申。」
狼牙は嬉しそうに駆け寄った。
戦闘中の獰猛さと凄まじい破壊力から「鋼の狼」という別名を持つ狼牙も桂申や明蘭の前では、主人の前で喜ぶ犬のようである。
その姿を初めて見た軍人はそのギャップにギョっと目を見開き驚いている。
「遅いから迎えに来てやったぞ。あいつもきっと待ってるぞ。」
「うん。」
二人は並んで訓練場を後にした。
「桂申、狼牙。いらっしゃい。あれ、狼牙また背が伸びた?」
二人が明蘭の部屋を訪れた時、桂申と同じことを聞いてきた。
「だろー。こいつ背が伸びすぎだよな。いったい何尺になるつもりだよ。このペースだと将来七尺いくんじゃないか?」
桂申は酒瓶を持っていない方の手で狼牙の肩をパンパンと叩いた。
三~六か月に一回程度の頻度で、三人はこうして無礼講の会合を続けていた。誰かが忙しく、会が延期されることも度々あったが、細々とでも中止となることはなかった。
普段皇宮では皇帝と家臣という各自の立場もあり、それぞれの地位に見合った態度で振舞っていたが、この時ばかりは三人で旅をしていた時に戻って敬語も抜きで話している。
各々お互いの近況報告や、自分の任務で仕入れた情報で明蘭に伝えた方がよいと思われるものを伝えたりしていた。
明蘭と桂申は酒で狼牙は果実水で乾杯をした後、会が始まった。
「そういえば、桂申。この前言ってた例の彼女とはどうなったの?」
明蘭に聞かれ、桂申は指でポリポリと頬をかいた。
「あー、いや。今日その報告もしようと思ってたんだけど、先日、結婚を申し込んでー。」
「申し込んで・・・?」
二人は息を飲んだ。
「OKもらった!」
「「おめでとう!」」
二人にもみくちゃにされながら、桂申は嬉しそうだった。
桂申は貴族の身分こそないものの、能力が高く、宰相である泰誠皇子の覚えもめでたい上に、西永で侍従に選ばれたことからもわかるように整った顔をしていたので、皇宮の女性の中で人気が高かった。
「相手は皇宮の女官なんだけど、貴族の子で一人娘だし父親が始め少し渋ったんだ。けど、泰誠様が自分の側近が気に入らないのか?と一言裏でおっしゃってくださったみたいで、あっさり認めてくれたよ。俺が婿養子に入ることになるんだ。」
明蘭は相手のことも良く知ってるが、狼牙には全然話していなかったので事情を伝えた。
「そうなんだ。良かったね。」
「俺、来月から獣人国へ外交にいくだろ。半年はあっちに滞在する予定だから、帰ってきてから式を挙げて結婚するつもりなんだ。」
「そんなに具体的に話が進んでいるのね!」
ニコニコ自分のことのように喜ぶ明蘭に桂申はしみじみと言った。
「平民で孤児だった俺が皇都の貴族サマだよ。西永のババアも潰せて小鈴の仇もとれたし、メイには本当に感謝してるよ。これからも死ぬまでお前を全力で支えるつもりだ。」
隣で「僕も、僕も。」と狼牙が主張している。
「ありがとう。期待してるわ。」
微笑む明蘭に今度は桂申が尋ねた。
「メイは誰かいい人いないのか?」
その質問に明蘭は口に含んでいた酒を吹きそうになったが、どうにかくいとどまり慌ててそれを飲み込んだ。
「いや、今は仕事で精一杯でそんなことを考える余裕はないかな。」
「ふーん。」
狼牙が少し嬉しそうに言い、桂申はやれやれと苦笑した。
「まあ、メイはゆっくりでいいんじゃないか。たっぷり時間もあることだし。」
桂申の言葉に明蘭は頷いた。
明蘭は誤魔化すように酒瓶を手に取り注ごうとしたが、瓶の中は空だった。
「あ、飲み物がもう無いね。暑いからかいつもより減りが早いな。追加を頼んでくるわね。」
そう言って明蘭は部屋を出て行った。
狼牙と桂申の二人きりになったところで、桂申が先に口を開いた。
「もう少し大きくなったらメイに告白とかするつもりはあるのか?」
「ううん。僕じゃ釣り合わないし、ずっとメイと添い遂げられるわけじゃない。生きてる間、側で守れたらそれでいいんだ。」
言葉の内容とは裏腹に少し寂しそうに狼牙が言った。
「それなら、お前もだれかいい人を探せよ。皇帝の覚えもめでたい軍の有望株なんだし、引く手あまただろ。」
「うーん・・・。僕は一生結婚はしないと思う。」
「はあ?若いのに何言ってんだ。これから先なんてわかんねーじゃん。」
「前に受けた軍の検診で医師に言われたんだ。子供は一生望めないって。おそらく小さい頃に央斎のところで盛られた毒の副作用だろうって言われた。」
「なっ」
狼牙の予想外の告白に桂申が言葉を詰まらせた。
「それに僕は獣人だから、この国の女性には忌避感があるだろうし・・・。桂申、そんな顔しないで。幸せを諦めているわけじゃないんだ。僕はメイがこの世界で一番好きで大事だから、ずっと彼女の傍で彼女を守って彼女の役に立てることが幸せなんだ。幸せの形は人それぞれだよ。」
「ろうが・・・。」
バタンッ
明蘭が酒や飲み物の瓶を両手で抱えながら部屋に戻ってきた。
「お待たせ。追加でもらってきたよ。あとで、料理長がおつまみも持ってきてくれるって。・・・私がいない間、何の話をしてたの?」
桂申が狼牙の方をチラっと見ると、ニッコリ笑い返された。
そして明蘭の問いには桂申が答えた。
「いや、狼牙はチビの頃メイにべったりだったなあっていう思い出話だよ。」
「本当にあの頃のこと考えたら、身体も中身も立派になったねえ。」
しみじみと明蘭が同意した。
「なんかお前、狼牙の母親みたいだな。」
「うーん。お母さんというかお姉さんというか、まあそんな感じかもしれないね。こんなに大きくなったけど、私の中ではあの頃の可愛い狼牙と変わらない感じかな。」
その言葉に狼牙も桂申も苦笑いした。
桂申が狼牙の肩に腕をかけた。
「さあさあ、新しい酒がきたことだし、どんどん飲もうや。」
こうして三人の夜はふけていったのだった。
※
明蘭から晶岳で孤児に文字を教えるよう頼まれてから20年後、大志は晶岳の改革に寄与した人物として竜安で叙勲されることとなる。
彼は晶岳の教師として孤児の教育に励むと同時に、衛生面の整備・治安の改善など様々な改革に取り組んだ。晶岳が学業都市として名を馳せるまで成長したのは彼の業績が大きく、やがて彼は学問の父と呼ばれるようになる。
50歳で教師を引退した後、歴史学者となり明蘭皇帝の治世についての研究に没頭した。
二百年余に及ぶ明蘭皇帝の治世をまとめた数十巻の歴史書”明蘭皇帝記”は彼が書き始めたものだ。彼が皇帝就任直後の時代を書き、その後を彼の弟子、そしてその弟子・・・という風に書き継がれていった。
彼が書いた第一巻の特筆すべき点は、明蘭が皇太子となる前のことが書かれていることだ。
赤い巾着財布の章は、学問の父を生んだエピソードとして庶民に人気があった。
そして後に贈呈された本を読んだ明蘭が、あまりに神格化された内容にのけぞり、”あの財布、置き忘れただけなのに・・・”とつぶやくのもまだまだ先の話である。




