第295話 『雲に霞む星空』
激戦の続く新都の東側では開戦2日目の攻防が終わった。
日が完全に暮れ落ちる前にグラディス将軍は兵を引かせていた。
薄暗くなってからでは敵の放つ巨大矢などの飛び道具を避けることが難しいからだ。
この日の戦死者は1000人を超え、グラディスの部隊はついに15000人を切った。
対して敵である統一ダニア軍の死者は100人にも満たない。
思うように戦果を上げられないことに兵たちは苛立っている。
だがグラディスは冷静だった。
敵の巨大矢の攻撃に対して自軍の兵たちが徐々に慣れつつあるからだ。
(戦の中で学ぶのがダニアの女だからな。明日はもっと戦死者を減らし、逆に敵を殺す戦果を今日よりも上げられるはずだ)
坂の下から平原まで後退した部隊は再び夜営の準備を始める。
そんな部隊内を回り、グラディスは兵たちの士気が落ちないよう声をかけて引き締めていった。
何日も続く戦は砂漠島でも行ってきており、慣れたものだ。
(必ず奴らの防御網を突破して、あの街を食い荒らしてやる)
グラディスは自分があの坂を登り切って新都に突撃する明確なイメージを頭の中に描き、明日からの戦いに臨むべく体を休めるのだった。
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開戦して2日目の夜は空に薄く雲がかかり、星明かりを霞ませていた。
そんな新都上空の夜空に無数の夜鷹が舞っている。
そのうちの一羽が鳴き声を上げながら降下してきた。
それは新都の中心部にある仮庁舎のすぐ裏に建てられた高い物見櫓に向かっていく。
岩山の上に建てられたこの新都は仮庁舎のある中心部がやや隆起している地形であり、鉄と樫の木で作られた背の高いこの櫓の上が、この新都で最も高い場所に位置する。
そこに立つと新都の全域とその周辺地域をグルリと見渡すことが出来るのだ。
今、その場所に鳶隊のアデラが立っている。
「よしよし。ご苦労さま」
アデラはそう言いながら、腕に巻いた革の防護手甲に止まった夜鷹に干し肉の欠片を与える。
昨日、戦が始まってから彼女はほとんどこの場所で周囲の戦況を窺っては下の作戦本部に報告を下ろしていた。
要するに彼女は昨日からの戦の一部始終を見続けていたのだ。
だがその表情は沈鬱で重苦しく陰っていた。
(この状況は……良くない)
彼女は作戦本部への報告はひたすらに今起きている事実だけを伝え、そこに自身の心情は挟まないように努めていた。
そうしなければ自分が感じている不安が余計な尾ひれとなって報告に混じってしまいそうだからだ。
アデラは戦況の厳しさを感じ取っていた。
特に東の攻防が不安でたまらない。
今日一日は統一ダニア軍が巨大弓砲や弓兵部隊の気迫の込められた射撃によって、敵軍を寄せ付けない戦いを見せた。
だがアデラのいるこの物見櫓からだと、敵である南ダニア軍の層の厚さがよく分かるのだ。
統一ダニア軍が撃退したのはその層の一番先頭にあたる一部分のみであり、その後方にはまだ何倍もの兵力が残されている。
その兵力が荒波となって押し寄せれば、統一ダニア軍は砂浜に建つ砂の城のように脆く崩れ去ってしまうかもしれない。
そのことが容易に想像出来るため、アデラは恐ろしかった。
それに彼女は知っている。
敵を押し返す原動力となっている巨大矢が、確実にその数を減らしていることを。
おそらく今日だけで全数の3分の1ほどは撃ったはずだ。
それでも敵兵力の厚さは大きく目減りしてはいない。
これでは巨大矢を全て撃ち尽くしても、その時点で敵軍は数多く残されているだろう。
(このままじゃ……負ける)
絶対に口に出せないことだったが、アデラは一番高い場所からこの戦を見ていた者として、それを肌で感じていた。
敵は数が多いだけじゃない。
やはり生まれた場所は違えど同じダニアの女である。
南ダニア軍の兵士たちは精神的にも強く、戦のやり方をよく知っている。
そんな者たちを相手にして数的不利な状況で戦い続けることが、どれだけ厳しいことなのかアデラはよく分かっていた。
彼女は思わず不安になって南の方角を見やる。
数日前にアーシュラが出かけて行った先だ。
彼女が援軍を連れて戻ることを期待せずにはいられなかった。
アーシュラには何としても無事に戻ってきてもらいたい。
それがこの劣勢を跳ね返す切り札になり得るかもしれない。
「アーシュラ……」
祈る思いを込めてアデラは同胞の名を不安げに呟くが、その声は夜の闇の中に消えていくのだった。
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「さて、元気も出たみたいだし、皆で夜のお散歩にしゃれ込むわよ」
そう言うとイーディスは漆黒の鎧を身に纏う死兵たちを先導して、夜の闇の中を進み出した。
つい先ほど彼女は液状にした堕獄を化粧用の噴霧式容器に入れて、それを死兵たちの兜の下から口と鼻に向けて噴霧した。
すると彫像のように立ち尽くしたまま身動きしなかった死兵たちが、途端に動き出したのだ。
堕獄の効果だった。
死兵たちは自分たちの活力となるそれを与えてくれるイーディスを主と認識し、彼女に導かれるまま平原を進んで行った。
昨晩に比べると空が曇っているため星明かりも弱く、闇は深い。
その中を漆黒の死兵たちが影のように進んでいく様は、遠くからでは見分けることは出来ないだろう。
イーディスはそのまま意気揚々と彼らを引き連れて例の地下通路へと向かって行く。
夜の闇の中でも彼女の方向感覚は冴え渡り、迷いなくその足は進むのだった。
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「ほら。ドローレス。そろそろ起きなさい」
そう言ってアメーリアに起こされたドローレスは、眠そうに目を擦りながら顔を上げた。
その顔がギョッと引きつり、その目が大きく見開かれる。
なぜなら黒髪だったアメーリアが真っ赤な赤毛に変わっていたからだ。
一瞬、距離を取って唸り声を上げようとするドローレスだが、そうなる前にアメーリアが彼女を捕まえて抱き寄せる。
「そんなに驚かないで。ワタクシだってこんな髪の色は不本意なんだから」
イーディスが用意していた紅花の塗料と櫛で髪を赤く染め、その際に汚れてしまった黒衣を脱ぎ捨て、アメーリアは茶色い上着と革鎧を身に着けていた。
そして顔などの肌が露出した部分は褐色の化粧を施したのだ。
そこにはご丁寧に二枚の姿見も用意されており、アメーリアはそれを合わせ鏡にして首の後ろなどもきちんと褐色に塗り、一見してダニアの女に化けていた。
全てはアメーリアがダニアの女に変装できるよう、イーディスが事前に用意していたものだ。
そのためドローレスは戸惑ったのだが、アメーリアの声を聞くと本人だと理解したらしく落ち着きを取り戻した。
「よしよし。いい子ねドローレス。今からワタクシとお出かけするわよ。寝てばかりで退屈してたでしょう? 少し運動しましょうね」
そう言うとアメーリアは興奮剤入りの干し肉をドローレスに与え、自分は身を隠す様に大きめの外套をスッポリと頭から被る。
「イーディスの書いた台本が面白い結果をもたらしてくれることを祈るとするかしらね」
そう言うと2人は瓦礫で隠された地下室から出て行くのだった。




