第281話 『各々の戦況』
硬い樫の木と金具で組み立てられた新型の投石機が燃え落ちた。
その様子を見てブリジットは唇を噛む。
「ようやく3台か」
トバイアス軍の所有する投石機は全部で18台。
そしてすでにその半数に火がついて燃えている。
だが、この投石機の厄介なところは、火が全体に回るまで時間がかかるというところだった。
おそらく樹脂などの難燃剤が表面に塗られているのだろう。
そのせいで火の回りが遅いため、多少ならば火のついた状態でも使えるのだ。
ブリジットはここまで100本以上の焙烙火矢を放ったが、その間にそれ以上の敵の綿玉を新都内に撃ち込まれてしまった。
見たところトバイアス軍の投石機は1分間隔で射出が可能であり、すでに300個以上の綿玉を撃ち出している。
そしてその投石機の後ろにはまだその倍以上の綿玉が用意されていて、女兵士たちがそれをせっせと投石機の受皿に乗せていた。
綿玉は見た目ほど軽くはないようで、女たちが4人がかりで持ち上げている。
(あれは何なんだ。毒物の類か?)
敵の意図が分からなかったが、新都に災いするものだということは分かる。
そして当初は一撃離脱のはずだったブリジットの部隊は、この場に残ったことで被害が徐々に拡大していた。
2000人の部隊のうちすでに100名以上の戦死者を出している。
敵軍も同じダニアの屈強な女たちなので、こうした損失が出るのは当然のことだった。
それでもブリジットはあの投石機を全て破壊すべく、わずかに疲労の滲む顔で矢を放ち続けるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「トバイアス殿。このままでは新型投石機が全て失われます。残存している物だけでも後方へ一度下げるべきでは?」
参謀役の黒刃の女はトバイアスにそう進言する。
すでに18台の投石機のうち3台が焼け崩れて使用不能となり、さらに6台がブリジットの火矢を受けて燃えている。
このままではそう時間が経たぬうちに全機が破壊されるだろう。
だが、トバイアスは首を横に振った。
「だめだ。全ての死兵を投入するまで粘れ。一度に全勢力を投じてこそ、この作戦の効果を最大限発揮できる。たとえ全機破壊されても構わない。ここで新都に決定的なダメージを与えるんだ。どうせこの新型でも死兵より重い巨岩はあの新都までは届かせられん。この投石機だけが残っても無用の長物だ。ここで使い潰すつもりでやれ」
トバイアスの言葉に黒刃の女は無言で頷き、従った。
それを彼女の主であるアメーリアが望むからだ。
一方のトバイアスは頭の中で冷静な算段を続けていた。
(統一ダニアは東側の防衛戦力を増やすことはあっても減らすことはない。ということは街中は戦力が薄いはずだ。それならばアメーリアたちと多数の死兵がいれば敵は手を焼くだろう)
トバイアスは新都を5日で落とすつもりだった。
兵糧攻めなどで時間と金と労力を費やす気は一切ない。
電光石火でこの新都を制圧し、女王2人の身柄あるいは首を引っ提げて、意気揚々と公国首都へ凱旋するのだ。
今頃は彼の父親であるビンガム将軍が王国の王都に向けて進軍しているだろう。
だが事前に時間をかけて入念に調査してきた結果、ビンガムは王国相手に苦戦を免れないというのがトバイアスの見立てだった。
トバイアスは戦勝軍として公国首都に戻った後、大公の許可を得て父の援軍として王国へ向かうつもりだ。
もちろん父を助けるつもりなど毛頭ない。
老いた父は長男次男と共に戦火のどさくさに紛れて暗殺する。
そうなれば王国との戦の勝敗がどうなろうと、大公は一縷の望みをかけてトバイアスに将軍の座を任命するだろう。
そうしてトバイアスの大願は成就する。
(憎きビンガムの血筋を根絶やしにし、この俺がその栄光の椅子を奪ってやる。そして父上。あなたが築き上げたものを全てブチ壊してやろう。軍も、民も……国すらも)
ビンガムが作り上げてきた公国の秩序の破壊。
そのためならば公国を崩壊に追い込むことすら厭わない。
それこそが彼の復讐劇だった。
自分と母を日陰に追いやり、己だけが陽の当たる道を歩もうとした父への恨みの晴らし方なのだ。
トバイアスは歪な笑みを隠そうともせず、その顔を見た黒刃の女は不気味なものを見たかのように目を背けるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「敵襲ぅぅぅ! 黒い敵をブチのめせ!」
新都の北地区を中心に漆黒の鎧を着た不気味な兵団が暴れ回っている。
壁上通路から降りてきた女兵士たちがその漆黒鎧の兵士らを相手に奮闘しているが、数的不利に追い込まれていた。
不気味な黒い兵士たちは信じられないことに、空を飛んでこの新都に侵入してきたのだ。
大きな綿の球体は今も空から降ってきて地面に落下すると、綿を裂いて中から黒い兵士が湧き出してくる。
かなりの高度からかなりの速度で落ちてきたというのに、彼らは平然と綿の中から現れてダニアの女兵士たちに攻撃を加え始めたのだ。
東地区に多くの人員を割いている都合上、それ以外の地域には人が少なく、予想もつかない方法で進入してきた敵兵を相手に赤毛の女たちは後手に回らざるを得ない。
漆黒の兵士は次々と増えていき、その数はあっという間に数百人……いや、すでに千人以上に膨れ上がっていた。
それを300に満たない赤毛の女たちが必死に迎え撃つが、多勢に無勢で次々と倒れていく。
「無理をするな! 南地区からブライズ様の部隊が向かって下さっている! 防衛ラインを少しずつ下げながら防御に徹しろ!」
そう叫ぶのは北側の部隊長セレストだ。
かつての十血会評議員にして今は紅刃血盟会の評議員だった。
彼女はまだ未成熟のこの街が攻められたことを苦々しく思う。
新都は十分な広さがあるが、この人数で守るのにはそれが仇になるのだ。
特に今は東に多くの人員を向かわせている以上、その他の地域の人手が足らず手薄になるのは仕方のないことだった。
そのための城壁なのだが、まさか敵が空から降ってくるなどと誰が思うだろうか。
セレストは心に誓った。
この戦に勝ち残ることが出来たら、城壁を完成させるのはもちろんのこと、より磨きをかけて強固な都市を作ってみせると。
人を増やし、数世代先には難攻不落の城塞都市にするため今、力を尽くしたい。
その思いが燃えるように腹の底で渦巻き、それを吐き出すかのようにセレストは叫んだ。
「こんなところで死ぬわけにはいかんぞ! 全員、歯を食いしばれ!」
☆☆☆☆☆☆
「頃合いだな」
トバイアスはそう言うと参謀役の黒刃の女に目を向ける。
ブリジットの鬼気迫る射撃によって新型投石機18台のうち10台がすでに焼け落ち、残っている8台のうち火がついていないのは3台だけだ。
全機破壊はもう時間の問題だった。
だが死兵2000人のうち1500人以上はすでに新都に送り込む事が出来た。
作戦は8割方成功と言っていいだろう。
トバイアスは淡々と黒刃の女に告げる。
「撤退準備をする。200人の死兵は綿から出して我々が撤退する間の時間稼ぎに使え」
そう言うとトバイアスは東側への撤退およびグラディスとの合流を黒刃に命じ、黒刃の女は粛々とその命令に従うのだった。




