第273話 『両軍の思惑』
「イーディスの情報通りね。あの子、ちゃんと仕事してるじゃない。感心」
アメーリアはそう言うと、すぐ隣に座り込んでいるドローレスの頭を撫でた。
ドローレスは気持ち良さそうに目を細め、アメーリアの足に頭をこすりつけて甘えている。
トバイアスの陣取る北側から移動し、今アメーリアは新都の西側に到着していた。
事前にこの新都を調査していたイーディスからの鳩便の報告によれば、新都西側は岩山が段々の急斜面となっており、足場に出来そうな箇所が多数ある。
とはいえ常人ならばそこを登っていくのは困難を極めるだろう。
しかし今この場に常人はいない。
アメーリアとドローレス以外には人の姿はなかった。
「ドローレス。長旅は退屈だったでしょ」
檻に入れられたままこの戦場まで運ばれてきたドローレスは、数日ぶりの自由を満喫するように土を掘り返して遊んでいる。
そんな彼女を見て目を細めると、アメーリアは背負っていた袋の中から鉄製の装具を取り出す。
それは黒光りする手甲であり、手のひら側に鋭く尖った金属製の突起がいくつも作られた物だ。
壁を登る際に壁面に引っ掛けて使う。
そして今、アメーリアが履いている靴も爪先に細かい金属の突起が付いた特別製だった。
「ドローレス。いい子にしていてね」
そう言うとアメーリアはドローレスの両手にも同じ装具を付ける。
ドローレスは不思議そうにアメーリアを見上げているが、嫌がるそぶりは見せない。
彼女が懐いているのはアメーリアだけだった。
その他の人間がこんなに近付けば、とっくに噛み殺されているだろう。
ドローレスは砂漠島で黒熊狼に育てられた女だった。
森の奥に仲間の黒熊狼たちと住んでいた彼女は時折、人里に出てきて畑の作物や家畜を食い荒らすので、島の人々から忌み嫌われていた。
だが、獣のような凶暴さと敏捷性を併せ持つ彼女を、誰も捕えたり殺すことは出来なかった。
その話を聞きつけたアメーリアが興味を持ち、彼女を捕まえたのだ。
必死に抵抗するドローレスを力づくで押さえつけたアメーリアは、驚くことに彼女と同じ檻の中で過ごすようになった。
当然ドローレスは何度も飛びかかったが、その度にアメーリアに組み伏せられた。
やがて力では敵わないことや、アメーリアが自分に危害を加えないことなどが分かると、次第にドローレスは彼女になつくようになっていった。
そしてアメーリアは彼女を餌付けし、自分の配下に加えたのだった。
島では狼女と呼ばれていたが、その時にアメーリアは彼女にドローレスという名を与えている。
「出来た。壁を登り切ったら外してもいいから、それまで我慢しなさいな」
装具をつけ終わるとアメーリアはそう言ってドローレスの頭を撫でる。
言葉を理解できないドローレスだが、アメーリアの意思は何となく感じ取っているようだった。
そんなドローレスにアメーリアは懐から取り出した干し肉を与える。
「はい。ご褒美よ」
ドローレスは喜んでそれを咥え、美味そうに咀嚼する。
その様子を見ながらアメーリアは干し肉に練り込んだ、ある薬の分量を思い返す。
(効果が出るのは20分後くらいかしらね)
ドローレスがその干し肉を食べ終わるのを見届けると、アメーリアは彼女の首輪を外した。
これでドローレスは完全に自由の身だ。
だが逃げ出す様子もなくアメーリアに付き従っている。
「食べた後は運動するわよ。ドローレス。ついて来なさい」
そう言うとアメーリアは岩山に向かって走り出した。
新都までは1キロほどの距離があるが、檻の中で数日を過ごしてきたドローレスの体をほぐすために準備運動が必要だった。
そんなアメーリアの考えなど知るわけもなく、彼女の後を嬉しそうにドローレスも四足歩行で駆け出すのだった。
☆☆☆☆☆☆
統一ダニアの新都に敵襲を告げる鐘が鳴ってから2時間が経過していた。
南側から迫り来る大軍は王国領・南都ロダンを制圧・駐留していた南ダニア軍1万6千人。
そして同時に北側にも公国首都から出撃してきたトバイアス軍4千人が陣取っている。
南からの軍勢は当初の予想通り東側へ回り込むよう進路を変えつつあった。
新都の東側にはまだ城壁が未完成の地区があり、そこを狙っているのだろう。
「敵軍も当然、この新都を偵察済みというわけか」
仮庁舎前の広場に設けられた軍の作戦本部では、ブリジット、クローディア、そしてオーレリアとウィレミナの4人が大きな机を囲んで話し合っていた。
机の上に広げられたこの新都と周辺1キロを記した地図を見ながら、ブリジットは唸るように言う。
「敵軍は東に攻撃を集中させるだろうが、南にも牽制のためにある程度の兵を残しておくだろう。ゆえに南側の城壁も防御態勢を緩めるわけにはいかん」
敵軍は総勢2万人。
対する統一ダニアの戦力は、本家と分家を合わせても1万人と少しだ。
2倍の戦力差がある。
ただ、こちらは高く固い城壁で守られている。
この戦力差がすぐに戦況を左右するということはないだろう。
「北のトバイアスを先に蹴散らしておくか。どうせアメーリアも一緒にいるだろうし、一気に片付けてやる」
ブリジットの提案にクローディアはわずかに考え込む。
確かに城壁のない東側の一部に攻撃を受けながら、北からも同時に攻撃を浴びたら、防衛戦力を割かなければならない。
東の攻撃は間違いなく苛烈なものになるだろう。
だが、そこでウィレミナが提案する。
「出来ればブリジットには一撃離脱で戻ってきていただきたいと思っています」
彼女の言葉にその場の皆が注目した。
しかしウィレミナは臆することなく言葉を続ける。
「トバイアスらの4千人を蹴散らそうと思ったら、同規模の兵力が必要になります。するとこちらの残りの兵力はおよそ6割となってしまい、東からの攻撃を凌ぐためには心許なくなってしまいます。ですのでブリジットには2千人の兵のみで敵陣を斬り裂いて、そのまま深追いせずに戻ってきてほしいのです」
ウィレミナの話にフムと頷くと、ブリジットは彼女に問う。
「アメーリアはどうする?」
「まずは戦闘は避けて下さい。ブリジットには奇襲攻撃の先頭を務めていただかなければならないので」
その話にクローディアとオーレリアは互いに顔を見合わせて頷いた。
「それでいきましょう。ブリジット。先は長いわ」
「分かった。じゃあ、まずはトバイアスの鼻面に強烈な一撃を食らわせてやるか。クローディア。留守を任せた」
そう言うとブリジットは剣を手に出陣していく。
ブリジットが直轄する本家の部隊はすでに出撃準備は整っており、いつでも出られる状態だ。
彼女は作戦本部の外で待っていたベラとソニアに告げる。
「2千人の兵と共に出陣だ。おまえたちもアタシと一緒に突撃するぞ」
2人は戦意に昂ぶった顔で頷く。
2人の標的はグラディスであり、トバイアスの元に彼女はいないが、それでもブリジットと共に戦えることは2人にとって至上の喜びだった。
「グラディスをやる前に、アタシらでトバイアスを討ち取ってやるぜ」
意気込んでそう言うベラにソニアも頷く。
いよいよ新都を巡る戦の最初の激突が始まろうとしていた。




