第268話 『幼馴染の再会』
「あ~あ。やっちまったな。これで私は完全に反逆者だ。グラディスやアメーリアに知られたら命は無いぜ」
そう言いながらデイジーは黒刃の遺体を見下ろす。
憎らしい相手だが、殺した爽快感は無い。
それどころか妙に気持ちが冷静だった。
黒刃を殺したことで、もう後戻りの出来ない立場になったのだ。
それが彼女の覚悟を冷やし固めてくれた。
そんなデイジーに近付く者たちがいる。
彼女が顔を上げるとそこにはチャドが立っていた。
そしてその後ろには2人の赤毛の女が立ち、その2人の間にデイジーがよく顔を見知った少女の姿があった。
「……アーシュラ」
「デイジー……」
2人は互いに見つめ合い、そしてゆっくりと歩み寄るとその手を握り合った。
「デイジー。無事で良かった」
「アーシュラ。来てくれたんだな」
2人の胸に再会の喜びが湧き上がる。
だが、それをゆっくりと噛みしめている時間はない。
アーシュラは地面に転がる黒刃の遺体を見下ろした。
デイジーはそんな彼女に低く抑えた声で言った。
「こいつは黒刃だ。アメーリアの直轄部隊で、見張りのために各部隊に配属されている。こいつを殺したってことは私はもう立派な反逆者さ」
そう言って不敵に笑うデイジーにアーシュラは神妙な面持ちで問うた。
「聞かせて。デイジー。これは復讐のため?」
「いいや。クライドのオヤジが殺されたことは悔しいが、私は復讐のために反逆者になったわけじゃない。私は……」
そう言うとデイジーはその顔に万感の思いを滲ませて、己の思いを口にした。
「ロダンでブリジットの戦う姿を見たんだ。気高くて、何よりも強くて、ああいう女王に仕えたいと心の底から思った。ダニアの女に生まれたからには、尊敬できる主のために剣を振るいたい」
自分の胸に渦巻く燃えたぎる思いを吐き出したデイジーの顔は、自然と上気していた。
そんな彼女を見たアーシュラは、デイジーが言っていることは本当だと直感した。
もし彼女が自分たちを騙すためにアメーリアが放った二重の間者だとしたら、それは自分の直感が間違っていたことになる。
アーシュラは己の心の中の葛藤に目を向ける。
自分はクローディアの使いとして、統一ダニアの命運を握るかもしれない任務に就いている。
だとすれば全てに疑いの目を向けなければならない立場だ。
しかしデイジーが自分の命を賭して黒き魔女への反逆に蜂起しているとしたら、それを疑う自分に彼女の友である資格はない。
「デイジー。ワタシは立場上、あなたへの疑いを完全に捨てることは出来ない。あなたがアメーリアの放った二重の間者であることを常に頭の片隅に置いておかなければならないの。だから先に言っておく。あなたがワタシを裏切るなら、ワタシはあなたを殺す。だけどその疑いがワタシの間違いだったなら、この作戦が成功した後、この命はあなたの好きにしていい。それがあなたへの疑いを持つワタシへの罰」
アーシュラの話にデイジーは思わず表情を緩めた。
「おまえはクローディアから特務を命じられて動いているんだろ? ならその判断は当たり前だ。私がそれを悪く思うことなんてねえよ。おまえも私もあの頃のガキのままじゃねえんだから」
「デイジー……」
そう言うデイジーにアーシュラはわずかに安堵の表情を見せた。
そしてデイジーから受け取った手紙を懐から取り出して笑みを浮かべる。
「あなたの絵の下手さはあの頃のままだけれどね」
「この野郎。言うようになったじゃねえか」
笑い合う2人にチャドが咳払いをする。
彼は黒刃の遺体を担ぎ上げていた。
「再会の喜びを分かち合うのは後にしてくれ。こいつを片付けたらすぐに移動だ」
ジリアンとリビーもそれを手伝い、黒刃の遺体を草むらの中に隠した。
そしてデイジーを加えた一行はその場から速やかに移動して行った。
☆☆☆☆☆☆
朝が来た。
グラディス将軍率いる1万6千人の軍勢は朝食を終えて進軍を開始した。
いよいよ今日の昼には統一ダニアの新都に到達する。
全面戦争を目前に控えて南ダニア軍は殺気に満ちていた。
いきり立つ女たちは一様にギラギラとした目をしている。
そんな雰囲気を歓迎しつつ、グラディスは歓迎できない報告を部下から受けていた。
「第16連隊の中隊長が朝になっても戻りません。同中隊所属のデイジーという女も行方不明になっています」
そう報告する黒刃にグラディスは内心でため息をついた。
どんな軍勢にも必ず離脱者が出る。
脱走兵である場合もあれば、兵同士がつまらぬ喧嘩で命を落とすこともある。
中には進軍中に病気にかかって死ぬ者もいる。
そうした離脱者はその数が多くない限り、たいていの場合は捨て置かれる。
わずかな人数の離脱者を探すために大人数をかけることはない。
部隊を進軍させることが何よりも優先すべき事項であるからだ。
「デイジーというのは元々の出はどこだ?」
「……クライド派です」
黒刃の言葉にグラディスは顔をしかめる。
「チッ。やはり敵対していた奴らは信用できんな」
「いかがいたしましょうか?」
「捜索班から5名だけ編成して探させろ。見つけ次第殺せ。夜になるまで見つからなければ放っておいていい」
不明者を探すための専任部隊はあるが、大規模捜索になることはまずない。
このように少人数で捜索に当たり、短時間で見つけられなければ捜索は打ち切られる。
「旧クライド派の連中を厳しく見張るよう黒刃全員に通達せよ。反抗的な奴は見せしめに痛めつけてやれ」
そう言うとグラディスは目の前に迫る戦いを前に気合いを込めるように、自らの頬をバシッと両手で叩いた。
「これだけの戦を前に逃げ出すような奴はダニアの女失格だ。黒き魔女の軍勢にそんな腑抜けはいらん」
それから十数分の後に、南ダニア軍は駐留地を後にして、新都に向け出発した。
☆☆☆☆☆☆
夜の闇に紛れるようにして移動を続ける影があった。
統一ダニアの新都から西に2キロほど離れた場所だ。
「一通り調べてみたけど……見つからないか」
イーディスはそう言って一息つく。
単身で敵地を調べ続ける彼女は探していた。
あの新都に続く秘密の通路があるのではないかと疑って。
古今東西、ああした城塞都市には大抵の場合、街の中と外を繋ぐ連絡通路があるのだ。
王侯貴族の逃亡用。
秘密の商取引のため。
それが作られる理由は様々だった。
だが、今のところそれは見つかっていない。
自分だったら新都の中に忍び込みさえすれば、あれこれと引っかき回すことが出来る。
イーディスはそれを狙っていた。
(……ん?)
ふとその時、風に乗って何やら食べ物の匂いが漂ってきた。
イーディスは足音を一切立てず、匂いを辿って移動していく。
すると前方に焚火の灯かりが見えてきた。
相手に気付かれぬようしっかりと距離を取ってイーディスは観察した。
夜の闇の中でも見えるよう訓練された彼女の目はハッキリと捉えていた。
焚火を囲む数十人の赤毛の女たちと1人の老人男性。
そしてその背後には多くの物資を積んだ荷車が十数台。
(もしかしたら……)
それを見たイーディスはピンと来た。
彼女はその場から動かずに時間をかけて相手を観察する。
特に自分と背格好が似ている者に注目して。
観察者としてのその目が、遠くの焚火の灯かりを受けて、ギラギラと赤く燃えていた。




