第269話 『計画』
南ダニア軍が早朝の進軍を開始する数時間前。
深夜の広野を一台の馬車が走り抜けて行った。
「追手は?」
「来るだろうな」
アーシュラの問いにデイジーは即答した。
チャドが逃走用に用意していた二頭立ての馬車に揺られながら、一行は一路南へと向かっている。
御者台に座るチャドが馬に鞭を入れるのを横目に見ながらデイジーは言った。
「けど心配すんな。たった1人脱走したくらいで50人も100人も送り込んでくることはねえよ。せいぜい5、6人くらいだろう。グラディスは今、目の前の新都を攻めることで頭がいっぱいだ」
そう言うデイジーはチラリと後方を窺い見る。
幌付きの馬車の中にはジリアンとリビーが武器を手に座っていた。
2人ともデイジーよりも体が大きく、たくましい体つきをしている。
先ほどアーシュラから自分の護衛だと紹介されたばかりの2人にデイジーは声をかけた。
「今、ブリジットはどうしているんだ? 教えてくれよ」
ジリアンはチラリとリビーと目を合わせ、それから答えた。
「悪いが部外者には教えられねえよ。ワタシらはあんたを信用したわけじゃない」
そう言うジリアンらの顔に浮かぶのは敵意ではない。
冷静な警戒心だった。
そんな彼女たちを見てデイジーは内心で安堵した。
2人は護衛としての責任感を持って任務に当たっている。
クローディアはしっかりとした護衛をアーシュラに付けてくれたのだ。
この2人に守られているのならば、アーシュラは大丈夫だろうとデイジーは思うのだった。
「そりゃそうか。あんたらとは今日出会ったばかりだもんな。まあ、あらためてよろしく頼むぜ」
アッサリとしたデイジーの言葉に2人は頷いた。
一方、アーシュラは切羽詰まった表情を見せる。
「デイジー。あまり時間がないの。砂漠島から送られてくる軍勢は今どんな状況?」
「3日前に島を出たところだ」
その言葉にアーシュラは愕然とした。
島から大陸まではどんなに急いでも船で5日はかかる。
ということは大陸南岸の港に到着するのにあと2日。
そしてその港から新都まで進軍するのに最短でも3日はかかるだろう。
そうなると新都に辿り着くのはどんなに早くても5日後ということになる。
一方、今日にも南ダニア軍の新都への攻撃が始まるはずだ。
(5日間、持ちこたえられるだろうか? 間に合わないかもしれない。そもそも砂漠島からの軍勢をこちらの味方に引き入れるのも一朝一夕にはいかないかもしれないのに……)
暗澹たる表情を浮かべるアーシュラにデイジーは言った。
「そんな顔するな。今やれることをやるしかない。そもそも私らが駆け付ける前に統一ダニアがアメーリアやグラディスを蹴散らして、決着はついちまってるかもしれねえぞ。あんなに強いブリジットと同じくらい強いクローディアがいる軍が、そんな簡単に負けるわけがねえ」
それはアーシュラへの気休めなどではなかった。
デイジーはブリジットの強さを目の当たりにして、すっかりその虜になっていた。
「とにかく私らはクライド派の皆を説得してまとめ、一日も早く新都に連れて行くことだけを考えろ。焦っても上手くいかなくなるだけだ」
そう言うとデイジーはアーシュラの肩に手を置く。
その手の温もりとデイジーの穏やかな表情がアーシュラの焦る気持ちを落ち着かせてくれた。
それからデイジーは自身の計画の進捗状況を皆に説明する。
数隻の船で大陸に向かっている砂漠島の軍勢はおよそ1万人。
そのうちの約8割が旧クライド派であること。
残り2割ほどは単なる罪人たちであり、彼女たちは旧クライド派を見張る仕事をすることで見返りを得られることになっていた。
船には黒刃も同乗していて睨みを利かせている。
そして旧クライド派は全員、手枷と足枷をハメられていて、反乱は容易ではない状態だ。
「けど8千人が旧クライド派ってことは一度反乱のきっかけを与えられて暴れ出したら、罪人どもも黒刃も抑えられやしねえ」
デイジーは今、御者を務めるチャドを連絡役として、すでに砂漠島の旧知の仲間たちと連絡を取り合っているという。
「船に乗っている間は鳩便も届けられないから連絡は取れていねえが、南岸からの連絡によれば天候は大丈夫そうだ。船は予定通り到着するだろう。狙うはそこだ」
亡きクライドの直属の部下だったデイジーには、監獄に収監されていた同じ旧クライド派の親しい仲間が何人もいる。
彼女たちが砂漠島から出港する前に、デイジーの意向はギリギリに伝えることが出来たはずだ。
そして事前にその仲間たちが乗せられている船は特定してある。
まず最初に狙うのはその船だ。
「数隻の船から1万人もの人間を下ろすのは時間がかかる。その隙を狙って混乱を起こす。最初に狙った船に潜入し、枷をハメられた仲間たちを救い出すんだ。救えば救うほど仲間たちが増えていく。そうなればどんどんこちらに有利になるってわけだ」
そう言う彼女の話にアーシュラは一抹の不安を覚えた。
「……この人数で船に潜入するの?」
「そりゃあ少人数のほうが潜入しやすいからな。それに傭兵を雇おうにもダニアの女相手となれば誰もがビビッてやりたがらねえ」
デイジーは仕方ないというように肩をすくめる。
アーシュラはその胸に不安を募らせた。
だがデイジーが杜撰なわけではない。
計画に圧倒的に時間が足りなさ過ぎるのだ。
アーシュラは必死に頭の中で考えを捻り出そうとする。
(おそらくこのままでは計画は失敗する)
クローディアのために数々の裏工作を行ってきたアーシュラだからこそ分かる。
この計画は全てがうまく行けば成功する、という程度のものだ。
ということは9割方失敗するのだ。
数々の突発的な不運が重なっても成功への道筋を描ける計画だけが達成される。
アーシュラは懐に隠している母の形見の書物に手で触れた。
数々の薬や毒物の生成方法が書かれた秘伝の書だ。
もうその内容は全て覚えてしまっている。
亡き母からは覚えたら焼き捨てるように言われていたのだが、捨てられないままだった。
その内容を頭の中で思い返していく。
自分がこの計画に携わったことには意味がある。
そんな気がしていた。
これまで運命に翻弄される側だった自分が、今度は運命を動かす側にいる。
今回は任務に際して多くの道具を持ってきていた。
それを使ってやれるだけやるしかない。
この任務は命をかけてでも成功させなければならないのだから。
アーシュラは決意を込めた表情でデイジーに己の考えを告げた。
「この計画、早急な練り直しが必要。ワタシに任せて」
見たこともないほど決然とした幼馴染の顔に、デイジーは思わず気圧されて頷くのだった。




