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少女は闇を照らす光となりて




 アリアが王都ディヴァンに辿り着いたのは、ルキスの街を出発した翌日の朝だった。

 手続きを終えて街門を潜り、馬車から降り立ったアリアは、王都の街並みをしばし見渡す。

 街には冒険者然とした風貌の人々が多く行き交っていた。

 騎士の国であると同時に武力が誉れとされるこの都には、ヴァリスティア王国の各地から冒険者や軍人など、武の道を志す者が集う。

 他にも医者や学者らしき姿の者も見かける。おそらくは王女治療のために駆けつけた人々だろう。


 姫君の命が脅かされているという、国の今後を左右する一大事。それを救ったとあれば報酬も名誉も凄まじいものとなるはずだ。

 さらに王命により身分を問わず人が招かれているとなれば、噂を聞いた人々が国中から集まることに何ら不思議はない。

 そのため、現在の王都ディヴァンは各地から集ったであろう人々の活気と欲望に溢れていた。

 名を上げるために治療の腕前を披露しようとする者、この騒動に便乗して稼ごうと商売に励む者。

 理由も思惑も多種多様だが、周囲から感じ取れる人々の感情の数々は、アリアにとって心地よいものであった。

 自身の積み重ねてきた知恵と能力で、望むものを手に入れるために挑む。

 それは、アリアがずっとそうありたいと願ってきた生き方だったから。


「クリュ……よ、ようやく着いたクリュ……」


 弱々しい声が足元から聞こえる。アリアと行動を共にしている、カーバンクルのクルトのものだ。

 馬車の揺れが堪えたらしく、ふらふらと身体が揺れている。クルトが気分が悪くなったことを訴えてからはこまめに魔法で回復を施していたのだが、長時間の馬車の旅で疲労が蓄積しているようだった。

 傍目には、弱りきった黒猫にしか見えなかった。その額に輝く赤い宝石が存在せずに、人の言葉を話していなければ、普通の黒猫と見分けはつかないだろう。

 そっとクルトを抱き上げたアリアは、肩にクルトを乗せた。


「これで少しは休めるかな?」


「あ、ありがとクリュ……」


 クルトがしっかりと乗れていることを確かめたアリアは、王城へ向けて歩き出す。

 初めて訪れた王都ディヴァンだが、王城は遠くにはっきりと見えている。

 距離こそあるものの、石畳の道を真っ直ぐに歩いていけば問題なく辿り着けるだろう。

 人々で混雑した大通りを少しずつ進んでいく。

 その途中、道の端にあるベンチで泣いている子供が視界に入った。傍らには子供の両親と思われる若夫婦が付き添っている。


「うぅ、痛い、痛いよぉ……」


「大丈夫よ、ほら。痛いのとんでけー」


「軽い擦り傷だし、汚れは洗い落とした。あとは時間が経てばちゃんと治るよ」


 どうやら何かの拍子に転んだのか、子供は膝に擦り傷を負っている。両親は泣きじゃくる子供をなんとかあやそうとしているようだった。

 しばし思案したアリアは、人混みを掻き分けて子供に歩み寄ると“ヒール”の魔法を唱える。

 淡い光が子供を包んだかと思うと、その膝からは傷跡が綺麗に消え去っていた。


「……わあ、痛くない!」


 魔法がしっかりと作用したことを確かめたアリアは、子供に微笑みかけてその場を去ろうとする。


「あ、待って! 魔法使いのおねーさん!」


 しかし子供の呼び声に足を止めて振り返る。

 まだ幼いその少女はアリアをきらきらした瞳で見上げながら、ポケットから取り出した花飾りを差し出した。


「これ、お礼! 初めて自分で作った宝物だけど、おねーさんにあげる!」


 少々歪な形をしているのは、子供の手作りの品だからだったようだ。

 形こそ不揃いではあるものの、一生懸命作ったことが感じられる。

 受け取っていいものか迷ったアリアだったが、高価なものではないようだし問題はないだろうと判断して少女から花飾りを受け取ることにする。

 所謂造花であり手触りは硬い。素材も安物だと思われる。

 しかしアリアは、少女が思いを込めて作ったであろうその花飾りが気に入った。

 さっそく髪に付ける。手鏡を取り出して確認すると、ピンクの薔薇ローズを模した花飾りはアリアの輝かしい黄金の髪に優しい印象を加えてくれていた。


「素敵な宝物をありがとう、お嬢さん」


「えへへ。ミルクの宝物、大切にしてね!」


 ミルク、というのは少女の名前であるらしかった。

 少女は無邪気な笑顔を浮かべてアリアに夢中で話しかけてくる。

 後ろで両親が申し訳なさそうにしていたが、アリアがそちらへも微笑みかけると、安心した様子でほっと胸を撫で下ろしていた。


「ええとね、魔法使いさんのお名前は?」


「アリアって言うんだ。縁があったらまた会おうね、ミルクちゃん」


「うん! またね、アリアおねーさん!」


 今が潮時だろうと立ち上がったアリアは、少女に背を向けて王城へと歩き出す。

 一度だけ振り返ると、少女は小さな手を力いっぱいに振ってアリアを見送っていた。



   〇



 王城の前に辿り着くと、幾人もの人々が行列を成していた。

 そこに並ばなければいけないのかと思うと少々気が滅入る思いだったアリアだが、彼女の耳に兵士の声が響く。


「紹介状の類をお持ちの方はこちらへ! それ以外の方はあちらへお並びください!」


 どうやら伝手を持つ者とそうでない者で扱いに差があるようだった。

 逆に言えばそれは王族に伝手を持たないものでも、並びさえすれば入城できるということである。

 実力がありながらも在野に埋もれている者にとってこれは、本来なら有り得ない好機であると言えるだろう。

 無論、どれほど時間を掛けて並んだところで実力が伴わなければ王女の治療は出来ないのだが。


 アリアは行列から外れて、紹介状を手に兵士へと近づいた。王族への伝手を持つ者は数少ないのか、アリアは順番を待つ必要なく兵士の元に辿り着く。

 封書を差し出すと、兵士は中身を改め始める。文面を目で追っていく兵士はやがて驚いた表情を浮かべたものの慌てた様子を押し隠して、アリアに向けて敬礼を行った。


「お待たせいたしました、どうぞお通りください!」


 兵士が脇に避けて道を開ける。そして合図になっているのか門に向けて笛を鳴らすと、城門が開かれた。

 行列を待っていた人々の視線を感じるが、アリアは兵士に促されるままに歩みを進める。

 門を潜り終えると、背後でゆっくりと門が閉められた。すると門の傍で待機していた兵士の一人が歩み寄り、アリアに声を掛けてくる。

 

「紹介状をお持ちの方ですか? お手数ですが、もう一度提示をお願いします」


 さすがに王城に入るとなるとチェックも念入りに行う必要があるのだろう。そう納得したアリアは再びバウムからの紹介状を手渡す。

 先程と同じく兵士が中身を改めて、二度目の確認が終わる。兵士は「ご案内します」と告げて先へと歩き始めた。

 兵士の後ろについてアリアは歩き出す。城門の先は王城の扉まで一直線の石畳が敷かれて、その周囲には絢爛な赤薔薇の園が広がっていた。

 腕の良い庭師が手入れをしているのか、レイス王子の婚約者として招かれたメギストス王城の庭園に劣らない程の美麗な光景に、思わず感心する。

 薔薇園を横目に鑑賞しながら歩みを進めていると、やがて王城の扉の前に辿り着いた。

 兵士の手で扉が開かれる。先へ行く兵士に続いてアリアも扉の先へと踏み出す。

 王城のエントランスホールは、床には赤絨毯が敷かれていた。その赤絨毯が示す道の先には階段があり、左右に騎士甲冑が均等に飾られている。

 壁には歴代の王族の肖像画の他にも、剣や盾がいくつか飾られていた。武を誇る騎士の国らしい内装だ。


 いくつかの階段と廊下を越えていくと、周囲の内装がより壮麗な物へと変わっていく。

 やがて、一際立派な扉の前で兵士は歩みを止めた。

 扉の左右には見張りの兵士が立ち、目を光らせている。ここまで案内してくれた兵士と見張りの二人が一言、二言を交わすと、扉が音を立てて開かれた。

 案内されるままに足を踏み入れる。そこは謁見の間だった。周囲は幾人もの騎士達が控えている。

 そして騎士達が立ち並ぶ先の玉座に、憂いを帯びた表情を隠せずにいる男性が鎮座している。

 その男性こそが、ヴァリスティア王国の現国王・ウィリアムに他ならない。

 アリアは王族相手への礼節として跪き頭を垂れる。「面を上げよ」と、王の言葉が聞こえるまでに然程時間は掛からなかった。

 案内役を務めた兵士が、アリアが預けていた紹介状を王の下へと届ける。中身に目を通した国王は、驚いた様子で声を漏らした。


「バウムの紹介状か……あやつが認めた術士となれば、あるいは……!」


 国王ウィリアムは一瞬表情を綻ばせるが、すぐに気を引き締めなおす。

 彼はアリアを真正面から見据え、言葉を紡いだ。 


「アリアと申したな。我が古き友であるバウムより信頼を受けしお主の手腕、期待させてもらう」


「全力を尽くさせていただきます」


 国王の視線から目を逸らさずにアリアが返答すると、ウィリアム国王はすっと右手を上げた。

 それが合図となっていたのか、一人の兵士がアリアの元に歩み寄ってくる。


「王女様の寝室へご案内させていただきます」


 兵士の言葉に従い、アリアは案内されるままに謁見の間より退出した。




   〇



「新しい治癒術士の方ですね? どうぞ、よろしくお願いします」


 案内された部屋に待機していた、騎士鎧に身を包んだ青年がアリアに声を掛ける。

 見た目麗しいその青年は、凛々しい顔でアリアを見つめている。

 柔らかな物腰で対応しながらも、彼にはまるで隙が見当たらないことをアリアは感じ取った。

 王女殿下の護衛を任されていることもあり、相当の実力者であると察せられる。

 その青年の背後には別の騎士が立ち、アリアに鋭い視線を向けていた。怪しい動きをしないか見張っているらしい。

 アリアは挨拶も手短に、ベットで深い眠りについている王女殿下の下に近づく。

 王女の顔は青ざめており、苦悶の表情を浮かべながらも、彼女は目覚める様子が見られない。


「……事前にお聞きいただいていたでしょうか。

 王女殿下はここ数日、意識が戻ることなく悪夢に捕らわれておられます」


 騎士の青年の言葉に、アリアは頷きながらも王女の様子を観察する。

 まだ幼い少女の身体は痩せ細り、美しい顔にも影が見える。

 意識が戻らず、まともに食事を取ることができていないのだろう。

 

「魔術の使用許可を願います」


「騎士レオンの名において許可いたします」


 しかし、アリアは慌てることなく治療へと取り掛かる。

 王女の症状は、コルット村の住人達が襲われていたものと同一と見てよいものだ。

 瘴気による衰弱。王城の者達が魔法を唱えても快復しないのは、瘴気を取り除けていないことが原因に違いない。

 故にアリアが行うのはまず、瘴気の排除だ。王女の手に自身の掌を重ねて、悪夢の内に沈んでいる少女の身体から瘴気を吸い出していく。

 吸い出された瘴気は、アリアの肉体へと吸い込まれていく。コルット村の住人達を治療した時と同じ処置だった。

 

 そして、吸い出された瘴気から読み取れる魔術の痕跡もまた、コルット村で使われていたものと類似していた。

 つまり、コルット村で盗賊達に瘴気を放つ水晶玉を渡したという魔族と、王女に瘴気を憑りつかせた犯人とは同一人物である可能性が高い。

 そこまでは推測できても、現時点ではこれ以上のことは分かりそうにない。

 アリアはひとまず犯人についての考察は中断して、王女に向けて回復魔法を唱えることにした。



  〇




 少女の意識は、深い闇の海の底を漂っていた。

 ヴァリスティア王国の王女として惜しみない愛を与えられてきた少女も、悪夢の中ではただの無力で孤独な子供に過ぎない。

 どこまで続くのか分からない闇の世界に恐怖して、けれども叫ぶことすらできなくて。

 時間の感覚もあやふやだ。この悪夢に捕らわれてから、最早どれだけの時間が過ぎたのかも分からない。

 このまま、もう二度と目覚めることができずに、永遠に闇の中で眠り続けることになのだろうか。そう思うと、少女は怖くて心が壊れそうだった。

 会いたい。厳しくも見守ってくれる父親に、優しく抱きとめてくれる母親に、困った時に助けてくれる家臣達に、もう一度会いたい。

 その願いを口にすることすらできずに、王女エルメス・ヴァリスティアは宵闇の中で軋む心を懸命に繋ぎ止めていた。

 意識を手放して諦めてしまえば、闇の中へ心が溶け出して、自分が消えてしまいそうに思えてならなかったのだ。


(……っ? まぶ、しい……?)


 ぼんやりとした意識の中で、王女エルメスは眩い光を感じた。

 無限に広がる闇を引き裂いて、その明光は少女を照らし出す。

 磨耗していた心を必死に奮い立たせて、光に向かって少女はその小さな手を伸ばした。

 ここにいる。自分はここにいる、誰か助けて。そんな願いを込めて、残された力を振り絞った。

 その思いが誰かの心に通じたのか、王女エルメスには理解できない。

 しかし意識が光に包まれる瞬間、誰かの手が自分を掴み取ってくれたような気がして、王女エルメスの心に安堵が満ちた。



  〇



 王女の瞳が、ゆっくりと開かれていく。

 憔悴しきった様子ではあるものの、彼女の目には確かな意思の光が宿っていた。

 背後で騎士達が驚愕する様子を感じたアリアだったが、そちらには意識を向けずまっすぐに王女エルメスを見守る。

 王女エルメスは、夢の余韻に浸っているのか、ぼんやりとした様子でアリアを見つめ返していた。


「……天使、様?」


 少女は何を思ったのか、アリアに問いかけるように呟く。

 コルット村でもそんなことを言われたな、と思い返しながら、アリアは首を横に振る。


「私は天の使いではありませんし、ここは天国でもありません。

 ……おはようございます、王女殿下」


 アリアがそう答えて微笑みかけると、王女エルメスは安心したように、弱々しくも柔らかい笑顔を浮かべた。

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