↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】婚約破棄されたので、全力でお迎えします!  作者: ましろゆきな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/15

――番外編・新婚旅行編(5/5・完) また、来たいですね

 夕食を終え、領主館の一室で、ようやく本当の意味で二人きりになった。


 窓の外はすっかり暗く、遠くに港の灯りがぽつぽつと見える。ルカシュは寝椅子の隣に腰掛け、私が渡した貝殻を、まだ大切そうに手のひらの上で転がしていた。


「……ルカシュ」


「はい」


「一つ、言っておきたいことがあります」


「何でしょう」


「昼間のことです」


 私は、あえて何気ない口調を装いながら切り出した。


「村長のお屋敷で、あなたが」


「ああ」


 彼は、すぐに思い当たったようだった。悪びれる様子もなく。


「『当然です』の件ですか」


「……自覚はあったんですね」


「事実を答えただけです。何か問題が?」


「問題しかありません」


 私は思わず声を強めた。


「ああいうことを、あの流れで、一切の迷いもなく即答するのは、反則です」


「反則、ですか」


「そうです。心の準備というものがあるでしょう、普通は」


 ルカシュは、少しの間、私の言葉を検討するように黙っていた。それから、静かに言った。


「事実を、事実として言っただけです。それの、どこがいけないのでしょう」


「……そういうところです」


 私は、深く息を吐いた。


「あなたは、自分の言葉がどれだけの威力を持っているか、もう少し自覚した方がいいと思います」


「威力、ですか」


「あります。かなり」


「……よくわかりませんが」


 彼は本気で困惑した顔をしていた。演技でも謙遜でもなく、本当にわかっていない。それが、余計に始末が悪い。


 私は、思わず小さく噴き出した。


「イリナ嬢?」


「イリナ、です。もう」


「……イリナ」


 その響きに、まだ少し慣れていないような、小さな間があった。私は、それが嫌いではなかった。


「今日は、疲れましたね」


 私は話題を変えるように言った。視察に、村での応対に、それから――色々な意味で、長い一日だった。


「そうですね」


 彼は頷いてから、少し考えるように付け加えた。


「けれど、楽しかったです」


 私は、その一言に、思わず彼の顔を見た。


「……楽しかった?」


「はい」


 迷いのない答えだった。


「これまでの視察は、いつも仕事でした。数字を合わせ、書類を整え、失礼のないように振る舞う。それだけでした」


 彼は、手の中の貝殻に視線を落とした。


「けれど、今回の旅は違いました。誰かに名前を呼ばれて、誰かに褒められて、誰かに――探し物を頼まれて」


 彼は、そこで小さく笑った。


「私はどうやら、あなたの故郷が、気に入ったようです」


「……ルカシュ」


「また、来たいですね」


 その一言に、私は思わず言葉を失った。


 たったそれだけの言葉が、これほどの重みを持つとは、彼は気づいていないのだろう。「また来たい場所」ができるということが、彼にとってどれほど遠いものだったか。


「笑っていません」


「え?」


「今、笑いましたか」


「……笑っていません」


 私は咄嗟にそう返したが、頬が緩んでいるのは、自分でもわかっていた。


「笑いました」


 ルカシュは、確信を持ってそう言った。以前にも、こんなやり取りをした覚えがある。あの夜――彼が初めて、私の前で心を許した夜のことを思い出す。


「……少し」


 私は、観念して認めた。


 ルカシュは、それを聞いて、今度こそ本当に、迷いなく笑った。作られたものでも、礼儀のためのものでもない、ただ嬉しいから浮かんだ笑みだった。


 窓の外では、波の音が静かに続いている。


「あなたは、もう少し自覚してください」


 私は、あらためて言った。


「何をですか」


「……そういうところです」


 彼にはまだ、伝わっていないようだった。けれど、それでいいと思った。


 この人が、ゆっくりとでも、自分が愛されて当然の存在なのだと信じられるようになるまで、私は何度でも、同じ言葉を繰り返すつもりだった。


 会話が途切れた後も、ルカシュはしばらく黙っていた。手の中の貝殻を、何度も、確かめるように裏返している。


「……市場で、子供に言われました」


 やがて、独り言のように、彼が呟いた。


「宝石みたい、と」


「ええ」


「グリゴリー殿にも、言われました。今、何をしようとしているか、それだけを見ると」


 彼は、貝殻を見つめたまま、続けた。


「私はずっと、色や血筋で判断される側でした。何を積み上げても、そこに戻ってしまう。……そういうものだと、思っていました」


 私は、黙って続きを待った。


「けれど、この三日間で、誰も一度も、そのことを口にしませんでした。代わりに、名前を呼ばれて、期待されて、宝石みたいだと言われて」


 彼は、少し困ったように眉を寄せた。


「そして、私は『また来たい』と言いました。……自分でも、驚いています」


「驚くようなことですか?」


「はい」


 迷いのない即答だった。


「私にとって、『また来たい場所』ができるというのは、これまで一度もなかったことなので」


 私は、何と返せばいいのかわからなかった。ただ、胸の奥が、じわりと熱くなるのを感じていた。


 ルカシュは、手の中の貝殻を、もう一度そっと握り込んだ。


「……これは」


「はい」


「初めて、誰かが私のために拾ってくれたものなのですね」


 その声は、確認というより、ようやく実感が追いついたような響きだった。


 私は、しばらく彼の横顔を見つめてから、静かに言った。


「あなたは、自分がどれだけ嬉しいことを言っているか、まったくわかっていませんね」


「……そうでしょうか」


「ええ。まったく」


 私は小さく笑った。それは、からかいでも、呆れでもなく、ただ、この人の隣にいられることが嬉しいだけの笑みだった。


「今日は、もう休みましょう」


「そうですね」


 ルカシュは頷きながら、貝殻を枕元にそっと置いた。それから、少し考えて、結局は手放さず、もう一度、そっと握り直した。


 その様子を見て、私はまた、笑いをこらえるのに苦労した。


(この人が、こんな小さなものを、宝物にする日が来るなんて)


 数ヶ月前までの彼は、自分の感情をどこに置けばいいのかさえ、うまくわかっていないような人だった。それが今、浜辺で拾った貝殻ひとつを、こんなにも大切そうに握っている。


 私は、ふと気づく。


 私が彼を救ったのだと、どこかでそう思っていたのかもしれない。けれど、違う。私はただ、隣を歩いていただけだ。ここまで歩いてきたのは、他の誰でもない、彼自身だった。


 貝殻を握りしめたまま眠りに落ちたルカシュの寝顔を見ながら、私は、これから先も続くであろう、この不器用で、けれど確かな幸福について、そっと思いを馳せていた。


(次は、どこに行きましょうか)


 まだ視察は、あと二箇所残っている。


 けれど今は、それすらも、悪くない旅程に思えた。


最後までお読み頂きありがとうございました。


イリナとルカシュの新婚旅行いかがでしたでしょうか?


セルゲイの計らいにより視察メインとなってしまいましたが、二人らしい門出になってと思っています。


結婚式から、新婚旅行へ彼らを連れて行くことが出来て楽しかったです。


それでは、いずれまた、どこかでお会いできましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。