表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】婚約破棄されたので、全力でお迎えします!  作者: ましろゆきな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/15

第一章・前編 婚約者、一名確保しました

「ルカシュ・ヴォルコフ卿。貴方との婚約は、本日をもって破棄いたしますわ!」


 ミラーナ第一王女の声が広間に響く。よく通る、よく訓練された声だった。


「理由は、貴方の王家に対する不敬、並びに職務における不正行為。証拠は追って提出いたします」


(よくそんなことが言えたものね。自分でやった不正を、彼になすりつけるなんて)


 イリナ・ラズリエフはシャンパングラスをそっとテーブルに置いた。先日、元婚約者の身辺調査をした際に芋づる式に出てきた王女の不正が、今しがた読み上げられた罪状とほぼ一致している。つまりこれは、冤罪だ。


 周囲を見渡す。貴族たちは固唾を呑んでいた。誰も声を上げない。ルカシュの側には、誰も寄っていかない。孤立した青年は、ただ静かに、王女の言葉を受け止めていた。ヴォルコフ公爵家の三男。黒髪に赤い瞳という、この国では忌み嫌われる色を持つ青年の横顔が、諦めているように見えた。


(ずっと、こういう顔をしていたのかしら)


 胸の奥で、何かが動いた。


 怒り、だと思う。


 それと、もう一つ。


 打算、とも言う。


 イリナは一歩、前に踏み出した。


「――少々、よろしいでしょうか」


 凛とした声が、広間に響いた。


「イリナ・ラズリエフと申します、王女殿下。先ほどのご発言について、確認させていただきたいことがございまして」


 王女の視線が、鋭く向いた。


(睨まれてる。でも、知ってることは知ってる)


 イリナは微笑んだまま、一歩また踏み出した。しかしその足は、王女へではなく、ただ一人取り残された青年へと向かっていた。


「ヴォルコフ卿」


 呼びかけると、黒髪の青年がゆっくりとこちらを向いた。赤い瞳が、戸惑いをたたえてイリナを見る。


「突然で申し訳ありません。一つ、お聞きしてもよろしいですか」


 広間が静まり返っていた。王女の声が飛んでくる前に、イリナは続けた。


「わたくしと、婚約していただけませんか」


 誰かが息を呑む音がした。


 ルカシュの赤い瞳が、大きく見開かれた。


「……は?」


「ラズリエフ公爵家の一人娘として、婿養子をお迎えしたいと思っておりまして。ヴォルコフ卿であれば、願ってもないお相手かと」


(落ち着け私。声が震えてないかしら。震えてないわよね)


「ラズリエフ! 今、何を――」


 王女の声が飛んできた。イリナは初めて王女の方へ顔を向け、にっこりと微笑んだ。


「申し訳ありません、殿下。婚約破棄を宣言された以上、ヴォルコフ卿はもう殿下のご婚約者ではございませんでしょう? でしたら、わたくしがお声がけしても問題はないかと存じますが」


 そのまま視線をルカシュへ戻す。


「いかがでしょう、卿」


 広間が、しんと静まり返った。


 先ほどまでの喧騒が嘘のようだった。百を超える視線が、王女からイリナへ、そしてルカシュへと移っている。王女がその視線を手放したことに、まだ気づいていないようだった。


 ルカシュは、しばらく黙っていた。


 赤い瞳がイリナを見つめている。値踏みでも、警戒でもない。ただ、本当に意味がわからない、という顔だった。


「……ラズリエフ嬢は、正気ですか」


「いたって正気です」


「私は、ご覧の通りの人間ですが」


 黒髪に、赤い瞳。この国では悪魔に呪われた色と言われる。本人もそれを知っていて、だからこそそう言っているのだろう。


 イリナは首を傾げた。


「ご覧の通り、とは?」


「……見ればわかるでしょう」


「黒髪と赤い瞳のことでしたら、わたくしは気にしませんよ。迷信ですもの」


 また広間がざわめいた。イリナには聞こえていたが、どうでも良かった。


 ルカシュがまた黙った。今度は少し長かった。


 やがて、静かに口を開いた。


「……条件を、聞かせてもらえますか」


(あ、脈がある)


 イリナは内心で小さくガッツポーズをした。表情は、微笑んだままで。


「では、場所を変えましょうか。ここでは少々、聞き耳が多すぎますので」


 すっと手を差し伸べる。


 ルカシュは一瞬躊躇してから、その手を取った。


 広間を横切る二人の後ろで、王女が何か叫んでいた。しかしイリナはもう、振り返らなかった。



 ラズリエフ家の馬車は、静かだった。


 王宮の喧騒が遠ざかるにつれ、イリナはようやく自分の心臓が少し落ち着いてきたのを感じた。


(やった。やってしまった)


 向かいの席に座るルカシュが、窓の外を見ている。整った横顔。長い睫毛。燭台の光の中でも艶めく黒髪。


(……やっぱり好みだわ)


「あの」


 ルカシュが口を開いた。イリナは慌てて視線を窓の外に逃がした。


「突然、あんなことを言い出してごめんなさい」


 先に謝った方がいいと思った。


「……いえ」


「無理に、私の申し出を受けなくてもいいですよ? 私が元婚約者のことで頭にきていたというのもあって、つい」


「元婚約者、というのは」


「クラーニッツ侯爵子息です。先日、婚約を破棄されまして」


 言いながら、我ながらよくこんなにさらっと言えるものだと思った。ダメージがなかったわけではない。ただ、怒りの方が上回っていた。


「……それは」


「あ、でも賠償金はもらいましたので。それより」


 イリナは少し早口になっているのに気づきながら、続けた。


「婚約を申し出たのって、私の方に利があるからでもあります。ラズリエフ家は一人娘で跡取りがおりませんので、婿養子をお迎えしなくてはならなくて。条件の良い令息方はすでに婚約済みで、正直、婿探しに苦戦していたんです。なので、本当に、無理に受けなくていいんです」


 言い終えてから、少し恥ずかしくなった。打算をこんなに正直に言う必要があったか。


 しかしルカシュは、しばらくイリナを見てから、静かに言った。


「貴女、いい方ですね」


「え? どこが?」


「婚約が成立してから今の話をしてもよかったのに、その前にきっちりお話してくださった。だから、いい方です」


 イリナは少し面食らった。


(この人、こういう人なのね)


 虐げられて、諦めて、それでも他人の誠実さをちゃんと見ている人。


 胸の奥がじわりと温かくなった。


「……では、改めて。ヴォルコフ卿、わたくしと婚約していただけますか」


 ルカシュは窓の外に目をやった。流れていく夜の街並みを、しばらく眺めてから。


「……よろしくお願いします、ラズリエフ嬢」


 馬車の中に、小さな沈黙が落ちた。


 悪くない沈黙だった、とイリナは思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ