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法失き世界の人の道  作者: 大洲やとこ
第一幕 凡人の歩幅で
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2-30.血濡れた手


「どうしてこんなことを……」


 野盗が残していった短剣がメッソの首に突き付けられている。

 イサヤは鼻血を流しながら曲がった足を抱えて転がっていた。片手で引きずられてきた跡が地面に。

 ひどい。


「あんたは……なんでこんなことができるんだよ! おかしいだろ!」


 十やそこらの痩せた子供に対する暴力。

 大人の力で思い切りぶん殴られれば、細っこいイサヤの鼻でも足でも折れてしまう。

 信じられない。


「逃げようとするからだよ」

「あた――」

「息子の為にあたしがしてやれることだよ! あんたにわかんのかい!?」

「な……なに言って……」


 息子の為?

 ババに子供がいるのか? どこに。

 魔獣ヘレボルゼが息子だとでも言うのか。その為に子供を生贄に?



 何か事情があるのかと考えてしまう。

 理由がなければこんな暴悪に及ぶはずがない。


 アユミチの常識ではそうだ。

 自分の常識外の行動を想像するのは難しい。

 凶悪な犯罪者の理由を聞いても、なんでそんな考えになるのかわからないことも多い。


 利益があるならわかる。

 けれど、捨て森で孤児を殺してもなんの利得もない。

 誰にも何ももたらさない行為だと思うのに、息子の為だと言われて意味を考えてしまった。



 温厚な村長のように思っていた。

 自分の子供を人質に取られてやむなくとか、そんな理由があるんじゃないか。


 理由があってほしい。

 何の意味もなく子供を殺したなんて、そんなひどい話であってほしくない。



「タッドはねぇ、ここで死んだんだよ。あんたは助けてくれなかったじゃないか」

「……」

「いい子だったのさ。ああ、世界でいっとういい子だったのにねぇ……」


 死んだ息子の話。

 いい子だった。世界で一番いい子だった。

 母親ならそう言って当然だ。理解できる。アユミチにも理解でき――



「あの子が寂しくないようにしてやるのが母親ってもんだろう?」

「っざけるなぁ!」


 そんな理屈があってたまるか。

 死んだ子供を、我が子と同じ墓に弔ってやるならわかる。

 けれど違う。

 生きている子供を、未来のある子供を、死んだ子供が寂しくないように殺すなんて。


「死んだ奴がなんだ! あんたの子供なんて知らない、メッソを離せ!」

「近づくんじゃあないよ」


 怒鳴り声とともに詰め寄ろうとしたアユミチに対して、刃を軽く首に滑らせて見せた。

 つう、と。

 赤い筋がメッソの首筋を走る。



 近づいたら殺す。

 そうでなくても殺すつもりのくせに。


 野盗の襲撃後、コーダの亡骸を虚穴に葬ったのはババがそう言ったからだ。

 他の遺体も含めて、この捨て森ではそう弔ってきたと言われて。

 そのまま放置すれば腐る。火葬するにも労力が大きい。

 土地の習わしだと言われて認めたが、この狂った老婆は子供をこの虚穴に放り込むことで自分を慰めていたのか。

 我が子を死なせた自分の罪悪感の穴埋めに、自分の為に。



「アユミチ兄ちゃん……」

「大丈夫だ、メッソ。俺が……」


 何ができる。どうすれば助けられる。

 迂闊に飛び込んでも駄目だ。ババは容赦なくメッソを殺すだろう。

 生かしているのはすぐ後ろの虚穴――霧の塊に放り込むため。



 その場所の周囲だけ、異様に濃い霧が立ち込めていた。小屋よりも広い範囲だと思うが奥が見通せなくてよくわからない。

 周りに霧が散らないのがおかしい。見たことのない現象。

 自然発生した霧ではなくて、例のヘレボルゼが作っているのだと思う。不自然な白い霧の空間。


 嘔息(くそく)ヘレボルゼについて、アユミチは植物系のモンスターだと推定していた。

 死肉を食らう。移動する様子がない。森全体のあちこちに虚穴と呼ばれるものを展開している。

 持ち出された先の町で大蛇のような姿だったとも聞いた。伸びた蔦や根などで説明がつく。


 動物的な意思のある魔獣ではなく、植物的に森に根差した魔獣。

 麻酔効果を含んだ霧は、動物を養分にするためのものだろう。



 ババに霧を吸い込ませることができれば、意識を混濁させられるのではないか。

 隙があれば。


「さあ、こっちに来るんだよ」

「あうっ! うぅぅ……」

「なぁんも怖いことないさねぇ。痛いのもすぐなくなるんだから」


 アユミチの思惑など見え見えだ。

 ババはメッソに短剣を当てたまま、転がっているイサヤの襟首を左手で掴んで後ずさる。

 霧の中心に向かってじりじりと。



「取引だ!」

「……なんだい?」

「あんたの息子が生き返れるよう女神様に頼んでやる。だから二人を離せ」


 霧の中がどうなっているのかわからない。

 濃い霧を吸い込んだ場合、ただちに意識を失うようでは助けるのも困難だ。ババだけ霧に突っ込んでくれればいいのだが。

 とにかくババの足を止められるように考える。


「生きかえ……そんなことができんのかい?」

「できる」


 知らない。

 けれど実例ならある。


「俺がそうだ。俺は一度死んでもう一度命をもらった」


 事実だ。

 本当のことを話すとき、人の顔にはその気配が浮かぶもの。

 長く生きてきたババ。多くの人の死に顔を見てきたババだからこそ、アユミチの表情に真実の色を見ただろう。


「生き返る……」


 たくさんのしわが刻まれた顔の小さな目を見開いてアユミチを見た。

 そうだ、アユミチが証拠だ。

 そこに嘘はない。



「あの子が……もう一度……?」

「二人を解放してくれ。タッドに会いたいんだろう」


 こんな口約束にどれだけ信憑性があるのか、冷静に考えればゼロに等しい。

 メッソとイサヤの安全さえ確保できれば、ババのことなどどうでもいいのだ。

 人質はババの生命線。


 けれど。

 我が子の為に殺人をするような不安定な精神状態で、冷静な判断ができるわけがない。

 人質を取った銀行強盗のようなもの。

 取引に応じれば希望を叶える。

 死んだ子供が生き返るチャンスがある。

 そう聞かされて迷わないはずがない。望まないはずがない。



「はっ」


 笑った。

 ババが笑った。


「そいつぁ泣けるねぇ……そんなんありゃしないよ」

「あんたの望みを叶える最後の機会だ。女神の名にかけてもいい」

「……あんたはほんとに、めでたい国で育ったんだねぇ」


 深く深く息を吐いて、二度頷いてみせる。

 馬鹿なアユミチを蔑むように、呆れるように。



「母親ってぇのが――」

「後ろだ!」


 叫んだ。

 本当のことを話すときには表情に出る。

 アユミチの絶叫も本当。


「は――?」


 ぐるりと、右肩越しに後ろを見たババの目にも映ったはず。

 薄緑の触手が霧の中から伸びてきたのが。


「ひぃぃっ!」

「くそっ!」


 駆けだすが間に合わない。

 濃い霧の中から迫ってきた。すでにババのすぐ背中に届く距離。


「ノクサ!」

『近すぎるわ!』


 一歩で爆発的な踏み込みをするには近すぎる。

 突っ込めば、ババたちもろとも霧の中に飛び込むだけ。

 他に何かないか考えても何も思い浮かばない。慌てて出てきて武器も持っていない。

 ババの手にする短剣くらいしか武器らしい武器はないのだ。



「タッド! やめとくれ!」


 ババが叫びながら右手の短剣を振り上げた。

 左手はイサヤの襟首を掴んだまま。


「あたしゃ死にたくないっ! あんたの友達ならまた――」


 振るった短剣が、伸びてきた触手を切った。

 緑色の汁が散る。


「また連れてきてあげるから」

「あぐぅぅ!」


 短剣から解放されたメッソが、ババの左手に噛みついた。

 怪我をしたイサヤを掴んで離さない手に、思い切り噛みついた。


「んぎぃぃっ!?」



 痛みには反射が返る。

 左腕を噛まれた鋭い痛みを振り払おうと、自由な右手を叩きつけた。

 短剣を握りしめた右手を、噛みついたメッソの首に振り下ろした。


「させるかぁ!」


 アユミチの突き出した右手がババの肩を押し返す。

 その体を霧の奥へと。


 切っ先が、メッソの首筋をぶつりと切る音が耳に届いた。



「あひっ!?」


 霧の中に消えるババの首に、また伸びてきた薄緑の触手が巻き付いた。


「たすけ――」


 ごきりと、言葉を遮るように首を曲げてババの体は霧に飲み込まれていった。




「メッソ!」

「あ、はっ……はふっ……」


 ぼたぼたぼたっと音を立てて血が流れる。

 メッソの小さな首から大量の血が、地面に血溜まりを作る。


「メッソ! 俺が……ノクサ! 何年分使ってもいい、ジルボンを呼んで――」

『アユミチ逃げて‼』


 メッソの傷に目を奪われて足が止まったアユミチに、ノクサの張り手が飛んだ。

 強い力ではないが、視線を上げさせるように。


 霧の奥からさらに伸びてきた薄緑の触手。

 血の匂いに惹かれたのか、メッソの首筋に向かって。



「め――!」


 手を掴んだ。

 右手で転がるイサヤを。

 左手で、血塗れのメッソの手を。


「――っそ」


 ぬるりと、抜けた。

 小さな体を掴み上げた触手がメッソを引っ張って、血塗れの手を掴んだアユミチから抜き取っていった。



「あ」

『ごめんね、アユミチ』


 引き戻そうとしたのだ。

 イサヤとメッソを掴んで、霧から離れようと踏ん張った。


 後で聞いた。

 願いの曲解だと。

 直前にノクサに頼みごとをしようとした。その言葉を捻じ曲げて願いを受けたように。


 霧から離れようと踏み込んだ足は、思い切り踏み込むような爆発力はなかったけれど。

 すっぽ抜けたメッソだけを置き去りに、イサヤとアユミチを触手から十数メートル逃がした。

 怪我をしているイサヤを抱きしめながら木にぶつかって止まるまで。


 血塗れのメッソは、泣き笑いみたいな顔で霧の奥へと消えていった。



  ◆   ◇   ◆


「母ちゃんっ!?」


 ああ、タッド許しておくれよ。

 あんたの手を離しちまうあたしを恨まないでおくれ。

 母ちゃんは一緒に行かないけど、あんたのことは忘れやしないからね。


「ひとりはっこわいやだぁぁ!」


 あぁ、そうかい。そうだろうねぇ。

 じゃあ母ちゃんがどうにかしてやるからいい子で待ってておくれ。

 けっして、母ちゃんのこと恨んだりしないでおくれよ。タッド。 


  ◆   ◇   ◆

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