2-19.涙声
「トバが、逃げろって……知らない男が何人もいて」
「他の連中は? トバの奴は?」
「一人はトバがやっつけてくれた。斧で……」
メッソから話を聞こうとするが、泣いてしまってなかなか進まない。
安堵して気が緩んだ。状況から考えて仕方がないが。
ムンジィは子供の相手など苦手だし、泣きじゃくるメッソはひどく混乱している。
「北西に進めって……北は沼があるから。森を出たら右に逃げろって言って……」
トバは捨て森西部に詳しい。
逃げる方角を指示して、その後は北回りに迂回するよう伝えた。運がよければ戻ってくるアユミチに行き当たるように。
会えなくとも、病気が治った今となっては森に戻らなくてもいい。
どこかで生き延びればいいと考えたのだろう。
「矢が刺さって、でも僕らには逃げろって……」
「ああ、トバは大した野郎だ。おめえもウジウジ泣いてばっかいられねえだろ。男だろメッソ」
ムンジィが聞き出したい情報とメッソの話の順序が合わない。
思い出したことを順番に口にしているのだろうが、要点を知りたい。
命の危険から逃げてきたばかりの子供に求めるのは難しいが、ムンジィも焦っている。
「敵は何人だった?」
「う……っく、たぶん三人……ううん、集落も襲われてるって言ってた、から……」
トバが引きつけたのが三人だとして、集落を襲っているのはもっと多いはずだ。
実際のところアユミチのことはあまり心配していない。彼は王蠍とバズモズを倒した腕前だ。見かけと実力がかけ離れている。
ただ集落の方は……病気が治って間もない連中ばかり。武器を持った集団相手に戦えるとは思えない。
「他の、カヨウたちはどうしたか知らねえのか? メッソ」
「僕たちが逃げてたら、別の奴が追ってきて……ババ様もカヨウも、わかんない……」
「くそっ」
トバが相手をしたのとは別に、さらに追っ手がいた。
一緒にいたはずのカヨウたちとメッソははぐれて、メッソだけがここに辿り着いた。
捕まったか殺されたか、森で迷ったか。
子供とババ様で敵を返り討ちにできるはずもない。
「ごめ、ひっく……ごめんなさい……僕、ごめ……」
「あぁー違う違うって。おめえを怒ったわけじゃねえ。おめえはよくやった、アユミチの旦那にちゃんと伝えたんだ」
ムンジィの悪態にまた泣き出すメッソに慌てて言い訳しながら、実際にガキがよく頑張ったものだと内心でも認める。
おそらくこの子は方向感覚が優れているのだ。
トバに言われたことを愚直に、ただ必死に走り続けた。
見ればあちこち擦りむいている。転んだり引っかかったりしながら。
「おめえは頑張った。大した男の子だぜ、メッソ」
「ん……う、うあぁぁぁ」
「あー、あぁそうだな。泣いとけ。あとは旦那に任せりゃいい、大丈夫だ」
俺に任せろと言えないのが情けない。
泣いていないだけでガキと大差ない自分に、なんだかムンジィまで泣きたくなってしまった。
◆ ◇ ◆
「斑徂症の血だ! はっ、ははっ……」
最後に大きく声を上げてから、死んだノッドの血溜まり倒れた。
トバの最期。
できるかぎりのことをやった男の死にざまに強く唇を結ぶ。今のファニアには言葉をかけられる余裕もない。
「う」
「治ってただろ……だよなぁ?」
「薬が……治せる薬師がいるはずだぜ」
首の筋を引きちぎられたノッドが吹き上げた血しぶきは、すぐ近くにいたファニアの周囲まで飛び散っている。
治っていたはず。
けれど、罹患していたことも知っている。
野盗どもの足がすくんだ。
アユミチの薬で治ると聞いていても、長い間死病として恐れられてきた病だ。進んで試したいわけもない。
「お前らを治す道理があるか、クズが」
どんな生き方をしてきたらこうも都合のいい考え方ができるのか。
実際に、アユミチが残していった薬はある。だが、こんな連中を生かすくらいなら捨てた方がマシだ。
足元に広がる血が混じった土を蹴り上げると、慌てて飛び退く野盗ども。羽虫のような鬱陶しさ。
「治してもらうお願いの為に人質にすりゃいいんだ。その女もな」
「エギル……」
「そうだぜ……おお、ノッドの馬鹿も治ってたんだ。エギルの言う通りだ」
今度は、斑徂症から回復した事実を思い出して意気が上がる。
ここで引き下がるわけもない。
だが少しだけ時間を稼げた。敵の数、武装はだいたい把握できた。
野盗のリーダーはエギルという男。武術の腕も頭の回転も他の連中より上だ。最初に始末したい。
「小屋ん中に本命のガキもいるだろうし、他は殺しても構わねえ。ま、捕まえりゃお楽しみだ」
「……」
さらに士気を上げる為か、ファニアの心を乱す為か。
男どもの視線がファニアの体に向けられ、左腕の怪我から滴る血にも目が光る。
いやらしい目。
それ自体は国軍にいた頃にも経験があるからなんともないが、男どものやる気は増した。
「捕まえたやつが一番だよなぁ!」
「うへぇっ!」
考えるより欲望が先。だから野盗などやっているのだ。
手にした得物でファニアを殴りつけようと、真っ先に襲ってきた二人を、
「ふっ」
得意ではない、慣れていない曲刀で、振り上げた脇から二の腕を切り上げる。
敵が振り上げてから下ろすまでの間に、瞬く間に。
ごり、と。切れ味の悪い刃に骨を削る感触が伝わってきた。
「ァ?」
「んっ」
痛みより疑念の声を上げた一人目に続けてその右の二人目。上げた曲刀を斬り下ろす。
今度は首筋を。左頬から入ってそのまま喉笛まで刃で撫でた。
「ぶふゅ、へ……」
「ぐぁぁぁっ」
喉を切られた二人目は血泡を吹いて横に転がり、脇の腱を切られた一人目は武器を落として腕を抱え喚く。
「黙れ」
再び返した刃で無防備な首を切り裂き、左手で突き飛ばした。
続けて襲い掛かろうとしていた野盗たちが、ファニアの剣の冴えを見て足を止める。
一流の戦士であるファニアと野盗ごときでは実力が違う。不用意に近づけば死ぬ。
「死ぬ順番でかかってくるんだな」
怯んだ相手に時間はやらない。
時間をかければやはり数の多い敵が有利だ。できればもう何人か、あるいはリーダーのエギルを殺しておきたい。
足を止めた敵に踏み込んだファニアの判断は、間違いではなかったはず。
「いち、ばんに……ひひぃ」
「っ!」
集落の裏切り者の一人。ファニアにみぞおちを突かれて悶絶していた男が、四つん這いで這い寄り手を伸ばした。
ファニアの右足首に。
「くっ」
「ぐひゃぁっ!」
掴まれる前にその手を切ったが、気が逸れた。
ファニアの顔付近に投げつけられたナイフが、ファニアの鮮やかな橙色の髪を数本散らした。
エギルの投げナイフ。態勢が崩れる。続けて剣が振れない。
「ひゃあ!」
「いまだ」
一斉に群がる男どもから離れようとしたが、腕を掴まれた。
最初に矢が掠って皮を削がれた左腕に、汚らしい男の汚らわしい指がかかった。
「くぅっ!?」
ごつごつした男の指がファニアの傷口を無遠慮に掴む。
痛みが目の奥まで貫いた。
全身の筋が痙攣し、体が強張る。鋭い痛みに対する反応はどうしようもない。
どうしようもない体の反応に、女の悲鳴。男たちの獣欲は昂った。
「いい声だぁ!」
「おらぁ俺が先だぜぇ!」
「や――」
やみくもに振ろうとした右手も掴まれ、左腕の傷はぎゅうっと強く握りしめられて。
次々に伸びてくる手が、ファニアの胸の皮鎧を強引に剥ぎ取り、胸を隠す下着も一緒に引き裂いた。
「いやっ――」
嫌がるから余計に興奮するのだ。この手の男どもは。
けれど、恐怖はファニアに声を我慢することを許してくれなかった。
「やめ、て……っ!」
◆ ◇ ◆




