一休和尚、屏風の虎を退治する話 (十一).
お師匠さまの答えに、わたくしはますます困惑いたしました。
これまで見てきたことの中に、そんなことを匂わすものなど何ひとつございませんでしたから。
「どういうことなのです? いったい、誰の不義密通なのです?」
「誰ができるかを考えれば、おのずと知れよう。あの屋敷の奥方様じゃ」
わたくしは、奥方様の美しい顔を思い出していました。思えば、ただ美しいだけでなく、どこか妖艶さも感じさせる、女性の魅力にあふれた方でした。
「虎の姿が消えたのは、あの屋敷の主人である殿様が不在のときじゃった。そのことは屋敷の下男下女、寺の者たちとの話をすり合わせて確かめた。当然、殿様にはできないわけじゃ。そして、虎だけ消えた絵の屏風を拵えるなど、下男や下女にできるものではない。あの奥方様だけなのじゃ、できるのは」
「し、しかし、あの屏風は周文様の作。あれほどの絵は簡単に真似できるものなのですか?」
わたくしは慌てて否定にかかりましたが、それを口にしたとたん、わたくしの頭に閃くものがありました。
「あ、あの画僧ですか!」
今朝、寺の前で別れた若い画僧の顔が浮かんだのです。
お師匠さまは強くうなずかれました。
「あの者は周文殿から手ほどきを受け、さらに独学で周文殿の画法を会得しようとしていた。あの者であれば、周文殿の絵に似せて、あの屏風絵を描くことができよう。ただし、虎を除いてな」
そういわれて思い出しました。
あの若い画僧は、山水など自然の景色はどうにか真似られるが、ひとや動物などはまったくできないと話していました。いかにもざわめきが聞こえそうな竹林は再現できても、まるで生きているような虎までを描くことはできなかったのでしょう。
わたくしが自分の考えを申してみると、お師匠さまは「その通りだ」とお答えになりました。
「おそらく、かの僧は、お屋敷に周文殿の屏風絵があることに気づいて、それを描き写させてもらおうと申し出たのじゃろう。案外、それが僧と奥方様との馴れ初めだったのかもしれぬな。僧は竹林までは精巧に描き写すことができた。しかし、虎だけはできなかったのじゃ」
「それで、虎のいない竹林の絵ができた……」
「奥方様は、それを屏風に仕立てることを思いついた。そのころにはすでに恋仲となっていた僧に、屋敷へ忍んで参らせるために」
「それがわかりませぬ。どうして、虎のいない屏風で男を招くことができるのです?」
「ふたりだけの合図とするためじゃ。あの屏風は、常に庭へ向けられて立っていた。つまり、寺の回廊から見ることができた」
そのことは自分自身の目で見ているので間違いございません。
「屋敷に殿様がいると、さすがに男を招き寄せることはできぬでな。そこで、屏風を使って屋敷の様子を伝えることにしたのじゃ。
屏風の絵に虎がいれば、屋敷に殿様がいる。虎が消えておれば、殿様は不在。殿様は昔ながらの『方違え』の風習を守るお方じゃ。殿様が外出すれば、その日は帰ってこぬことは間違いないからの。安心して密通に及ぶことができるわけじゃ。
ほかの者に見られる心配は、あまりしていなかったであろう。
修行僧は早寝であるし、万一、夜中に起き出すことがあっても、僧籍にある者がお屋敷をのぞき見るなど、まるで考えられんしな」
「一昨日、殿様は連歌の集まりで不在でした。だから……」
「屏風の絵から虎が消えた、というわけじゃ」
わたくしは河原に手をついたまま、呆然とお師匠さまの顔を見つめていました。
お師匠さまは、まるで初めから知っていたかのように真相を語られました。もちろん、そんなはずはないので、お師匠さまはわたくしと同じ光景を見ていただけで、この真相を見抜いたことになるのです。
「……お師匠さまは、どのあたりでこの真相を見抜かれましたか?」
わたくしのまったく知らないところで手がかりを得たのであれば、わたくしも少し安心できます。そうでなければ、わたくしはとんだ間抜けだということになります。
わたくしは、それを否定したいがために、そんな質問をしてしまったのでした。
お師匠さまはわたくしの真意を見抜いていたようですが、それを咎めることも揶揄することもなさいませんでした。
いつものように、ご自身の顎をじゃりじゃりと音を立てて撫でながら、
「虎が消えた屏風を間近で見たときじゃ」
と、お答えくださいました。
わたくしは、あのときの光景を思い出してみました。
お師匠さまは屏風から虎の姿が消えていたことを目にすると、隣家のそばに、つまり、あの屏風に近寄って、屏風絵を観察されていました。
「あれだけで、あの若い画僧の仕業だとわかったのですか?」
「遠目では、あの絵の筆の癖などはわからなかった。そこで、わしはお屋敷そばまで近づいて、あの絵をじっくりと検めたのじゃ。すると、昼に見た絵とは墨の濃淡や流れが違うではないか。それで、わしはあの屏風は別にもう一隻あるとわかったのじゃ」
道理で、あの夜から冷静だと思いました。お師匠さまはあの時点で真相を見抜いておられたのです。
「そこで、あの屏風は何かの合図に使うため、すげ替えられたと考えた。同時に、僧堂を出る前にあたりを見渡したとき、あの画僧の姿が見えなかったことに気づいていた。その二つより、事情を察したのじゃ」
「どうして、そのときお教えいただけなかったのですか?」
「お前に男女の秘め事を話してどうする。今このときだって、お前に話さなくてもよいのじゃぞ。ただ、あれだけの騒ぎになった張本人に隠し続けるのもどうかと思って話したまでじゃ」
「騒ぎって……。屏風を燃やさせる騒ぎを起こしたのはお師匠さまで……。そうだ。では、なぜ、お師匠さまはあの屏風を燃やさせる狂言を始めたのですか?
殿様とお会いしたときに、真相を話してしまえばよかったじゃないですか」
「お前は急に頭が悪くなるのう」
お師匠さまは本気で呆れられたようでした。
「もし、この真相を詳らかにすればどうなる?」
わたくしは少し考え込みました。
「あれがお武家様のお屋敷で起こったのであれば、愛人の画僧は首をはねられ、奥方様も同様か、あるいは屋敷から追放されるでしょう。ですが、あの殿様はお武家様ではございません。
画僧は打擲のすえに追放、奥方様もせいぜい離縁される程度で済むのでないかと……」
「最近は高貴な家柄でも厳格な対応をするようじゃぞ。そうしなければ自らの威厳は傷つけられ、家格も落ちかねん」
わたくしはびっくりしてお師匠さまの顔を見つめました。お師匠さまが「権威」というものを毛嫌いされているのは周知のことです。
「では、お師匠さまは、あの殿様が威厳を傷つけずに済むよう、あんな狂言を仕組んだのですか?」
「バカ者、違うわい」
お師匠さまはわたくしの考えを簡単に一蹴されました。
「わしは、あの殿様に問うてみた。
『わしにあの虎を捕らえさせて、結局どうされたい?
皮でも剥いでもらいたいのか?』と」
その場にわたくしも同席していたのでよく覚えています。わたくしは無言でうなずきました。
「その問いに殿様は答えられた。
『殺生を望んでいない。ただ、あの屋敷で妻と穏やかに暮らしたいだけ』だと」
……殺生を望んでいない……。それではもしかして……。
「お師匠さま。あの殿様は事の真相に気づいていらっしゃったのですか?」
「間違いなく、な。あの殿様は、わしが虎の騒ぎに動じる様子を見せないので、わしも事の真相に気づいているとわかったようじゃ。そこで、殿様はわしに頼み込んできたのじゃ。
『誰も傷つけることなく、妻に男を招き寄せるのを止めさせたい』とな」
あのやりとりに、そんな意味が含まれていたとは思いませんでした。
「殿様の威厳だの、立場だの、わしの知ったことではない。じゃが、あの殿様は愛人さえも傷つけることなく穏便に解決することを望んだ。妻と離縁しない方法を望んだ。あの殿様は思いのほか情の深いお方じゃ。
わしは、殿様の殺生を望まぬ気持ちを汲んで、腰を上げることにしたのじゃ。もし、わしが動かねば、お前が考えたような結末になっていたかもしれぬでな」
「では、あの屏風の前で演じた狂言は……」
「理由も明らかにせず屏風を処分しては、周囲に変な疑いを招くでな。
いかにも、わしの風狂につきあわされた形で屏風が燃やされたとあれば、その真意まで掘り下げようとする酔狂は……、まぁ、お前以外におるまいよ」
お師匠さまは苦笑いを浮かべながら答えられました。
『少しお節介なTips集』
もう一隻 … 「隻」は屏風を数えるときの単位 (犬や猫を「匹」、車を「台」と数えることと同じ)。ただし、屏風は状態によって数え方が変わり、構成する1枚を一扇と数え、二扇、あるいは四扇でひとまとまりになったものを一隻と数える。さらに、二隻で一対となるものは一双と呼んだ。屏風は二つで一組とされているので、このように細かく表した。




