四、容疑者確定!
「参ったなあ、そんな風にとらえられていたなんて。あとで謝っておかないといけないや……」
温泉旅行から帰った悠一さんは、血色のよい顔に少し困った表情を交え、頭を掻く。どうやら、昨日沢渡さんが言っていた「お小言」というのは、本人の受け取り方の差異か、彼特有のちょっとオーバーな物言いの産物の様だった。
「それより、長いこと留守にしていて申し訳ありませんでした。そんなに大きな事件になるとは僕も予想できなくて、留守を任せた沢渡くんあたりでなんとか出来そうだと思っていたんですが……。――かなり難物だったようだねえ、猫目」
一転、座った目を向けられ、猫目さんは小さく悲鳴を上げる。そういえば、この一週間、全くと言っていいほど猫目さんとは顔を合わせていない。おおかた、社内のどこかで油を売っていたのだろう。
「さぞかし囲碁の腕も上がったことだろう。そのうち手合わせ願おうかな?」
「な、なんのことです。僕ァ、部下の行動は逸脱しない限り静観する主義でしてね……ハハハ」
鬼の居ぬ間の洗濯を見透かされ、とぼけた目を天井へ向ける猫目さんを悠一さんはしばらく眺めていたが、これ以上の追及は無駄だろう、と早々見切りをつけ、
「いちおう、事件の方は、僕はあくまでもアドバイザーの立ち位置で関わることになりましたから、沢渡くんたちにはしっかり、最後まで事件に挑んでもらいますよ」
「なんだあ、じゃあ、三課ンやつらとはしばらく縁が切れねえのかア」
一緒に来ていた佐竹は、天下の山藤悠一に全部委任されると思っていたらしく、シケた表情を浮かべる。
「まあまあ、そう仰らず。名誉のために言えば、彼らはきちんと、核心には近づいていたんですよ。ほんのちょっと、視点がズレていただけでしてね……」
と、悠一さんの上品な笑顔に、佐竹が首を傾げたまま視点? と聞き返していたところへ、けたたましい足音が三つ、ノックもなしに応接間の中へ飛び込んできた。
「探偵長、ビンゴでした。怪しい奴が一人、見つかりました――」
僕らのいるのを気に留めず、沢渡さんは一冊の資料を悠一さんと猫目さんの手元へ滑り込ませ、遅れて僕らにドモ……と会釈をする。
「――なあるほど、こりゃあ嫌疑十分だ。あとは奴さんの動向を追ってごらん。もし、第四の犯行に及ぼうとしているなら、準備を始めてるんじゃないかな」
「抜かりなく、ウチのに尾行させてます。逐次、報告が来るはずです」
「了解ッ。じゃ、あとは任せたよ」
悠一さんの満足そうな顔を見届けると、沢渡さんたちは一礼してから、部屋を出て行った。どうやら犯人らしい人間にたどり着いたらしいことは、このわずかな間で容易に知れたが、なんとなく聞くのもはばかられて、その日はそのまま、出されたショートケーキだけつまんで探偵社を出た。
「さすが山藤悠一だなあ。あっという間に解決しちまったぜ。こりゃあ、そのうち新聞に犯人のツラが載るだろうぜ……」
ネオンサインの明りを浴びて笑う佐竹の満足そうな顔に、そうだねえ、と適当に相槌を返す。
「でも、どうして見当がついたんだろう。直接の手掛かりになりそうなものはなにもなかったのに……」
「そういやあ、そうだなあ。――聞くのはちょっとマズい気がして、さっきは聞けなかったんだよなア。高津ゥ、ちょっと頼めないか」
「よせよ、オレだって気まずくて聞けなかったんだから……」
と、そのまま目線を互いの顔に集中させたまま横断歩道へさしかかり、赤になっていたのを気づかずにタクシーからクラクションを浴びせられると、僕と佐竹はすっかり冷や水をかけられたようにおとなしくなってしまい、そのまま解散するまで一言も口を利かなかった。
それ以降、佐竹や立花とは学校の中でちょっと顔を合わせる程度で、向こうから何かしら連絡があった、とか、僕の方からもこんなことがあった、と伝えるようなこともなく、とうとう一週間たってしまった。
「――さすがに、アテが外れたのかなあ」
家に帰り、テーブルの上に置かれた「温めて食べてくれ」という、父さんが朝のうちに支度しておいてくれた夕飯のハンバーグを電子レンジにかけていると、めったになることのない居間の固定電話がけたたましくなりだした。
「はい、高津ですが――」
背後でレンジのベルが鳴ったのを聞いてから受話器を取ると、女性の声でこちら、銀座のさつき探偵社でございます、という丁寧な文言が耳へ飛び込んできた。
「本人です、つないでください」
おおかた悠一さんか、出なければ沢渡さんだろうとアタリをつけて取り次いでもらうと、コール音のあとに出てきたのは猫目さんだった。
「や、こんばんは。携帯電話の方にかけてみたんだが、電池切れなのか反応がなかったもんで……」
「あ、ごめんなさい。調子が悪くて修理に出してあるんですよ……どうかしたんですか?」
よく考えてみれば、猫目さんから電話がかかってくるというのもそもそも珍しい。それもあって、ほんの好奇心から聞き返すと、意外な答えが返ってきた。
「――とうとう今夜、白塗り男の大捕物だぜ。決定打が固まって、現行犯ンとこをふんじばろうってことになったんだが、被害者たちがそろって、その様子を見届けたいと言い出してねえ。で、高津さんにもお誘いをかけにきた、というわけ」
「ってことは、立花さんや佐竹も……?」
佐竹の名前が出ると、電話越しに猫目さんが忌々しげに舌を鳴らす。
「どうも、お宅の佐竹くんが今度の件のヒキガネらしくってねえ。被害者たちンとこに回って、焚きつけたらしいんだよ。迷惑な話だぜ……」
「あいつ、そんなことしてたんですか。この頃ロクに話してなかったから……。僕の監督不行き届きです、申し訳ありません」
受話器を持ったまま頭を下げると、なアに、良いってことよ、と猫目さんはいつもの調子でカラカラ笑って、
「じゃ、さっそくお迎えに上がります。近くの支局から車を出させるので、六時ごろにはお伺いできると思います。一度銀座へ集まってから、また詳しい連絡をします。じゃあ……」
せわしなく電話を切ると、僕は受話器を収めて、ダイニングの方へ戻った。そして、いったんレンジからハンバーグを出してしばらく湯気を眺めていたが、
「……帰ってきてからのほうがいいかもしれないなあ」
早食いが得意な方でもないから、仕方なくおかずはそのままに、戸棚に入っていたあんパンと冷蔵庫の牛乳を胃に落とし、迎えの来るのを待った。
探偵社の本郷支局から迎えが来たのは、六時きっかりだった。開け放たれた黒塗いクルーの右ドアから乗り込もうとすると、助手席からは沢渡さんが、そして後部座席では佐竹が待ち構えていてギョッとなった。
「佐竹、ちょっと気が早すぎやしないか」
「しょうがねえだろ、家が同じ本郷なんだからよ……ま、食いな」
ブレザーの胸ポケットから出した、カルミンの包みを手のひらへポンと投げると、佐竹はそれきり、口の中でカルミンを転がしながら、天井の室内灯をじっと見つめている。
「沢渡さんすいません、佐竹の奴が焚きつけたみたいで……」
仏頂面の佐竹をほったらかし、助手席のヘッドレストに悠々と頭を預けている沢渡さんへ謝辞を述べると、沢渡さんは気にも留めずにからりと笑う。
「まあ、面白いから良いってことよ。どうせ相手は丸腰、しかも半裸だ。二、三人で十分捕まるだろうから、ギャラリーが増えるぐらいなら問題ないよ」
「それならいいんですけど……。それより、結局犯人はどこの誰だったんですか。てっきり、いつもみたいに悠一さんから連絡があるのかなあ、なんて思ってたんですけど……」
「やあ、それは申し訳なかった。ここのところ猛烈に忙しくって、そっちまで気が回らなかったんだ」
それ、ちょっともらっていい? と手を振り、僕からカルミンを受け取ると、沢渡さんは二、三粒をまとめてかじってから、犯人特定に至ったいきさつをおもむろに話し始めた。
「探偵長がオレたちから話を聞いた直後に、『凶行が豊島区で続いているのは、なにか区内に今度の一件の影響をもろに受けている存在があるはずだ。被害者たちに何もない、というのが気にかかる』と言ってねえ。そういやあそうだ、あれほどのことをなす以上、何かしらの目的をもって奴は区内で暴れまわってるわけだから……。んで、三課の連中や豊島の連中をあちこちに散らして調べたら、ものの見事に影響が出てたよ。――不動産の評価額がダダ下がりだった。そりゃそうだ、あんな事件が起きりゃあそうもなる」
「それが、犯人の目的だったんですか」
思いがけない沢渡さんの説明に聞き返すと、オレも最初は疑ったよ、とそっけない返事が戻ってくる。
「仮にそうだとすると、値崩れしたとこをもくろんで、今度のオリンピックがらみの再開発のときに法外な値段を吹っ掛けようとしている不動産ブローカーがくさい。そう思って、都庁くんだりまで出てきてみれば、不動産クラブで鼻つまみになってる野郎がみっかった。それが今度の白塗り男、『地上げ屋』の玉井和臣ってわけさ」
カルミンのお礼とばかりに、今度は僕の手のひらに名刺ほどの大きさの写真が載せられた。見れば、スキンヘッドに苦々しい双眸と口元を備えた、悪漢然とした男がレンズににらみを利かせている。
どうやらこの男が白塗り男にして、不動産ブローカーの玉井和臣という悪党らしかった。
「調べてみたら、そもそもあの廃工場が奴の持ち物になっててねえ。あそこら一体の、再開発の対象になりそうなちょっとお高い土地を値崩れしてから拾い上げて一儲けしようって言うにゃあ、なかなか容疑濃厚だったんだが、決定打はアレだったな。――赤んぼがいるわけでもねえのに、しこたまシッカロールを買い込んでたとこ。バッチリ写真で抑えてあるから、あとは動けば……わかるね?」
一気呵成に捲し上げるようにしゃべる沢渡さんにすっかり圧倒され、僕ははい……としか返すことができなかった。
「これでようやく、立花も悪夢から覚めるわけか。高津、恩に着るぜ。お前がいなかったら、こうして事件が解決することはなかったかもしれねえんだから」
だんまりを決めていた佐竹がおもむろに口を開き、そこへ沢渡さんも同調する。
「ハハハ、違いない。高津くん、君は君自身が思っているより、キーマンになっているわけだよ……わかったかな?」
「……どうも、そうらしいですね」
キーマンといえば聞こえはいいが、考えようによっては災厄の渦中に常に身を置かねばならない、不遇な存在ともいえる。誰にも慰められないままに、クルーはのっそりと、銀座四丁目の路肩へ停車したのだった。




