3-4:三人の武道系探究者
「姉ちゃんなにやってんだよ! 死んだまま帰ってこないからどうしたのかと思ったらいきなりさあ!」
走って来た弟くんは俺に軽い会釈を送り、天音織姫に詰め寄った。
双子か?
天音織姫と弟くんは良く似ている。完全中性的な一つの顔を基準にして男女それぞれの側に少しずつ寄せたような感じと言えば良いだろうか。性差に起因する細かな違いを除けば瓜二つと言って良いレベルでそっくり。身長もほぼ同じだ。こうして二人並んでいれば見分けるのは容易だが、もしも男装なり女装なりして一人で出て来られたら簡単に騙されそうである。
つまり……驚くべきレベルで美人な天音織姫の弟は驚くべきレベルのイケメンだった。どことなく“姉に虐げられる弟”臭を漂わせているのが残念であるが。
同じ流派と言っていたのを裏付けるように弟くんも同じデザインの武道着を着て刀を腰に差している。
「織姫、セイも。そっちの人がポカンしちゃってるからそろそろ止めて。で、織姫はちゃんと説明して」
ぎゃあぎゃあと言い合っている姉弟を制止したのはこの場にいるもう一人の人物“アズサ”だ。超絶美形姉弟に比べるとこっちは普通。普通に可愛い感じの女の子だ。同じ黒い武道着を着ていて、違うのは腰の刀が少し短めの脇差みたいなのと反対の腰に矢筒を吊るして弓も持っている点だ。
「じゃあまずはお互い自己紹介ね! 弟、あんたから!」
「姉ちゃんはもう……あ、俺は天音清一郎、奥玉大学の三年」
「次、梓!」
「森上梓、奥玉大学の二年」
「そして私、天音織姫! 弟の姉で梓の姉貴分よ! あ、私も奥玉大学の三年ね!」
天音織姫……って、フルネームはもういいか。天音姓が二人いるなら織姫、清一郎と名前で呼び分ければいいだろう。その織姫の仕切りで軽く自己紹介してくる武道系探究者三人組。
続けて織姫、俺を示しながら、
「で、こちら前に藤田さんが言ってたコネで入ったくせに大遅刻かました小田原城さん!」
こんな珍妙な紹介をしてくれやがった。
「ああ、あの」
「お城の人」
「いやおいちょっと待て、どういう紹介なんだ。それに俺は小田原城・太郎じゃない。小田原・城太郎だ」
「あらー、そうだったの!? これは失敬!」
「すみません」
「お城じゃなかった」
「判ってくれたなら良いよ。で……大学は中退して今は無職だ」
「無職? 小田原さんて……藤田さんの所の阿部さんでしたっけ? その人の線で入った人ですよね?」
「ああ、俺の事そこまで知ってるのか。だったら判るだろ?」
「いやまあ、本人がそう言うなら……」
俺は見切った。この三人を相手にするなら主な話し相手は弟くん――清一郎にするべきだ。織姫はテンションがおかしいし森上梓は逆方向にテンションがおかしい。唯一普通に話せるのが清一郎だ。
「さん付けも敬語も要らないよ。大学の二年三年なら歳はそんなに変わらないし、ネトゲの中で現実の年齢気にしてもしようが無い」
「なら遠慮なく城太郎って呼ばせてもらうわね、城太郎! あら? なんだかそんな名前のキャラ、昔のマンガにいなかったかしら!?」
「織姫惜しい。あれは字が違う」
織姫と梓には言ってない。そもそも最初から敬語なんか使ってなかっただろうが。それになんだ? 俺とは字が違うジョウタロウってキャラがいたのか?
「じゃあ俺も清一郎って呼んでくれ。……あと、姉ちゃんがごめん。姉ちゃん、身内の俺が言うのも何だけど控え目に言ってちょっとオカシイんだ。梓も昔はまともだったのに姉ちゃんの影響受けちゃって」
わちゃわちゃしている女二人を脇に置いて清一郎がこっそりと告げてきた人物評に、俺は清一郎への同情を深くした。控え目に表現してもオカシイなら、控えず表現すればもっと酷いのだろう。この短い時間でもその片鱗は十分に窺える。姉弟として長い時間を一緒に過ごしている清一郎の苦労はいかばかりか。
「大変なんだな……」
「ああ、うちは俺以外女ばっかりだから……うひっ!?」
清一郎がいきなり息を飲み、ギギギと音がしそうなぎこちない動きで首だけ回して振り返った。俺もその視線の先を追ってみると織姫と梓がじっとりとした目を清一郎に据えていた。
「弟-、言うに事欠いてこの姉をオカシイとは何事かしらねー」
「私がまともじゃないみたいに言った」
「あ、いや、ちょ、待って姉ちゃん。あ、痛い、痛いって、止め……梓も! 尻! 尻は止めろ!」
……なんだこれ。
極上の笑みを浮かべながら清一郎にアイアンクローをかける織姫。腕一本で釣り上げているのか清一郎の踵が浮いて爪先立ちになっている。そして鞘ごと抜いた脇差の柄でゴスゴスと清一郎の尻を突き上げている梓。無表情なのがなんか怖い。
武道系の人達はこういうコミュニケーションをするのか……。
俺とは縁遠い世界だな、うん。
「この弟はさっきちょっと私に勝ったからって調子に乗ってんじゃないの?」
「口は災いの元」
「こんな暴力姉がオカシクないわけないだろ! あと仮にも兄弟子に対して当り前のようにカマ掘ろうとする妹弟子もまともじゃない!」
「何を言ってるのかしらね! これは暴力じゃなくて躾! そう、躾なの!」
「……またまともじゃないって言った」
おおう。
とうとう清一郎の脚が完全に地面から離れた。
そしてゴスゴスがガスガスになってる。
いつ終わるんだこれは。
俺、もう帰っても良いかな……。
いや、駄目だ。それは清一郎を見捨てる事になる。経緯はどうあれフェンリルを倒せずに困っている俺を助けるために来てくれたというのに、窮地を放ってこの場を去るのはあまりにも不義理が過ぎる。それに、助けてくれるなら助けて欲しいという打算もあった。せめて清一郎の尻が無事な内に助けるべきだろう。
「おーい、俺の相談だか指南だかはどうなるんだー」
「あら? そう言えばそれがあったわね。全くこの弟がいらない事を言うから!」
「俺のせいかよ……」
「忘れてた。織姫、どういうことなのか説明して」
一瞬前までの狂騒具合が幻であったかのように、織姫が意外なほど整然とした語り口でカクカクシカジカと俺の状況を説明。と、言っても織姫自身詳しく知っている訳じゃないから大した内容でもない。それをふんふんと小さく頷きながら聞いている清一郎と梓。
……清一郎が普通過ぎるのはなんだ? とてもさっきまでアイアンクローで吊り上げられて尻を掘られそうになっていた男とは思えない落ち着きぶり。日常? ああいうのは清一郎にとって特に問題にならない日常的な出来事なのか?
早まったかもしれない。
あれが日常で、それに染まっているのだとしたら、清一郎も普通じゃないのかも……。
「……と言う訳でね、私じゃ剣は教えられないから、弟が相談に乗ってあげなさい」
「はぁ!? なんだよそれ!? 姉ちゃん知ってるだろ! 俺だって剣はやったことないよ!」
「お黙り! 姉に言われたら無理でも粛々とどうにかするのが弟ってものでしょ!」
「無茶苦茶だ……って言うか、盾! 盾なら姉ちゃん使えるじゃん! そっちは」
「あー駄目駄目。私が母さんから習ったのは大盾だもの。ああいう小さい盾とは根本的に違うわよ」
「俺は剣も盾もやってないんだが!?」
「……ねえ、私無関係? 今日はもう鍛錬しないなら帰って良い?」
「「逃がさん」」
喧々諤々とやりあっていた清一郎と織姫だが、梓がくるりと踵を返した途端に完全なシンクロを見せて素早く動いていた。清一郎は右、織姫は左。梓の脇の下に手を差し入れて掬い上げるように持ち上げてしまった。
「……」
無表情のままぷらーんとしている梓が妙な笑いを誘う。
「梓ー? 一人で逃げようったってそうはいかないわよー?」
「そうだぞ? 俺達から逃げらると思うなよ?」
「こういう時ばっかり二人は連帯する」
左右から顔を覗き込む姉弟に、相変わらず無表情のまま「ふう」と溜め息を吐く梓。見た目のそっくりさ以上に二人が姉弟なのだと感じさせる光景だった。