裏事情6
『おい、麗美さんが古巣に戻ったの、お前知ってるか? こんなご時世だが、昔、麗美さんに夢中だった客が押し寄せて、店は繁盛しているらしいぜ。お前も行ってみたらどうだ? ククッ、お前もそのクチだっただろう?』
昔からの遊び仲間の一人から連絡をもらって、俺はその店へと足を運んだ。
麗美さんがママをしているというシャドウは、VIP御用達の会員制の老舗高級クラブだ。
麗美さんは、二十数年前、このシャドウでナンバーワンホステスとして長年輝いていた。
長年ナンバーワンでいるには、それなりの理由がある。
麗美さんは、美しいだけでなく、他のホステスに比べ、知性が群を抜いて際立っていた。
知識が豊富で、機転がきき、情報収集の努力を怠らず、口も固い。
VIPと呼ばれる男達にとっては、利用価値がとびきり高い女性だった。
そして、もう一つの理由に、麗美さんにはどことなく影があって、人当たりは決して悪くないのに、掴みどころがなく、ミステリアスな雰囲気を持っていた。
男はそういう女に弱い。
特に自分に自信があって、普通の女に飽き飽きしているような男は、麗美さんを見て狩りの本能をうずかせる。
ところが麗美さんは、どんな大物が口説いても誰にも靡かなかった。
口の悪い連中は、麗美さんは外人専用の高級娼婦だからな、なんて言っていたけど、俺は信じていない。
麗美さんは語学が堪能だったから外人の客もついていたし、政府関係者に重宝されていたから、それが噂の原因になったのだと思う。
だから、そんな麗美さんの引退、結婚の報を聞いた時は、相手はきっとアメリカの大富豪か億万長者のアラブの王族かなのだろうと思った。
まさか、小さな土建業者の倅に嫁ぐなんて、俺には信じられなかった。
「麗美さん」
「あら、シンちゃん、いらっしゃい。お久しぶりね」
麗美さんに何があったのだ。
「二十年以上になるかしら、随分いい男になったじゃない」
「麗美さん!」
「シンちゃん、お兄さんのことお気の毒だったわね。喜一さんは豪気で素敵な方だった。私もとても残念よ」
涙が出そうになるのを堪えて、俺は黙って頷いた。
家督を継いで四年、もうすぐ五十に手が届くような年になっても、麗美さんを前にすればあの頃の若造に戻ってしまう。
「麗美さんこそ、どうして戻って来たんだ? あの男とは、別れたのか?」
まぁ、こっちにいらっしゃいと言われて、麗美さんに案内された奥の席に座る。
「いろいろと事情があってね、今は別々に暮らしているの」
「ねぇ、もし麗美さんさえ良ければ、俺が面倒をみるよ? 今の俺にはそれだけの力があるんだ。つ、妻に、迎え入れてもいい」
俺は本気だった。
当主である俺が決めた事は絶対だ。一族にもアレにも文句は言わせない。
常日頃は鬱陶しくて仕方がない身分だが、この時ばかりは感謝した。
「馬鹿ね、シンちゃん。あなた、結婚したばかりじゃない。でも、ありがとう、シンちゃんの気持ちは嬉しいわ。それにね、私達、今は別々に暮らしてるけど別れてないし、いずれ戻るわ。だから、あなたの妻にはなれないの、ごめんね、ふふ」
ガッカリ気落ちしている俺に、でも・・・と麗美さんがモジモジし始めて、麗美さんのこんな姿を見るのはとにかく初めてだったから、驚いていると、もし頼まれてくれるなら・・・とあることをお願いされたのだった。
初めて乙女を見た時、正直、母親のような知性がこれっぽっちも感じられなくてガッカリした。
娘の様子を見て来て欲しいと頼まれて、俺は二十年前の麗美さんに会えると期待して行ったのだが。
下品なボンデージに、派手な化粧、髪はバサバサに傷んでいた。
これが本当に麗美さんの娘なのか? 信じられなかった。
しかし、よくよく眺めて見てみれば、元は悪くない。スタイルだって、モデル並みだ。
話してみれば、見た目ほどあばずれでも馬鹿でもなかった。
これなら麗美さんにも頼まれた事だし、様子を見に来てやるぐらいはしてやるかと安心して、麗美さんへの報告のため乙女の近況を探るうち、知らず知らず俺はペラペラと自分の事を話していたのだった。
不思議な娘だ。
緊張を強いられる生活でくたくたにすり減っていた神経が癒されるばかりでなく、新たな意欲まで湧き上がってくる。
バブルがはじけた不景気のどん底の中、俺はひたすら一族を守るのに必死だった。
ピラミッドの頂点に立つ俺の肩に全ての責任がのしかかっている。
義務を果たす事だけに邁進し、己の喜びなど無縁のところにいた。
乙女を見ていて、新しいデザインのインスピレーションが沸く。
兄が亡くなり、家督を継がねばならなくなって日本に帰国するまで、俺はフランスでデザイナーの仕事をしていたのだ。
まずは、あのダサくて下品なボンデージをやめさせて、上品で美しい女王様にふさわしいものを俺が作ってやろう。
乙女に似合いそうなデザインがいくつも浮かんでくる。早く作りたい! ワクワクする!
乙女に初めて会った日、俺は小さくてもいいから、アパレル会社を自分の為に作ろうと決心した。
乙女に興味が湧いた俺は、麗美さん一家に何が起こったのかを調べさせた。
うちのグループは、元は忍びの家系が経営するセキュリティ関連会社を有している。
そして、企業活動のみならず、当主たる俺の個人的な事案も当然請け負う。
よくある話だ。
代々続く由緒のある家なんて、政略結婚が当たり前だからな。
かく言う俺もその一人、兄さん一家の死からようやく立ち直りを見せた親父に最近政略結婚させられた。
といってもどこぞの姫ではなく、親父が選んだのは、古来より忠義を尽くしてくれている家系の年若い嫁だった。
バブルが弾けた不景気のどん底で、一族は結束しなければならないということらしい。
結婚したいような女がいたわけでもないし、特に問題はない・・・と言いたいところだが、実はある。
顔立ちは整っていて美しいと思うし、若いのにさすが親父に選ばれただけあって、何でもそつなくこなす優秀な嫁だ。
俺には従順で、加納家のために身命をを賭して仕えるという気構えが、普段の行動から見て取れるほどに立派な嫁なのだが、何と言うか、我が儘なフランス女を長年相手にしてきた俺にとっては、少々つまらん。
俺に対してくらい、もう少し己の感情を表してくれるといいのだが、アレが感情を面に出したのは、初夜の寝床で一瞬怯えた表情を見せた、そのただの一度きり。
その後は、当主である俺の完璧な嫁を演じている。
俺は当主とは言えお前の夫なのだからと言っても、今は二十一世紀も近い現代なのだぞと言っても、親からきつく諭されているのかその鉄仮面が崩れる事は無かった。
西園寺家か・・・
はは、面白いじゃないか。
さすが麗美さんの娘だけはある。
俺は、乙女の事や新しく立ち上げたばかりのアパレル会社、また新妻のそういう事情もあって、次第に足は地元から遠のき、東京で過ごす時間が多くなっていった。




