第十二章 雨 その3
「ルウ、雨だ。雨だよ!」
ソビィは興奮気味に叫びながらルウを見た。
ルウは空を見上げたまま動かなかった。雨はどんどん強くなるがルウは微動だにしなかった。
「ルウ?」
ソビィが呼びかけたが反応がない。ルウはただ空を見上げていただけだった。ソビィは気づいた時にはすでに走りだしていた。空を見上げていたはずのルウの体はゆっくりと後ろへ仰け反っていく。ソビィは走った。そして叫んだ。
「ルウ!」
後方へ崩れ落ちたルウをすんでのところで抱きかかえる。
「大丈夫かルウ!」
ルウは放心したように虚ろな瞳で空を見つめている。ソビィの声も届いてはいないようだった。ソビィはそんなルウの姿を見て少なからずショックを受けた。ルウは魔法を使ったのだ。ソビィには魔法の事など何もわからなかったが、これだけの魔法を使ったとなれば相当の力を消耗するのであろう。鼻の奥がツンとする。
(まったくムリしやがって)
半べそのソビィは、とにかく雨を避けようとルウを抱きかかえ、大きな木の下まで運んだ。ルウの様子はさっきと変わらなかった。ソビィはほうと一息つき、雨に濡れた顔を拭って周りの様子を確認した。どうやら火の方は心配なさそうだ。他の場所がどうなっているかはわからないが、きっとガグリの三兄弟も無事だろう。ソビィはそう確信していた。そして再びルウを見る。
(一体僕はルウに何をしてやれるのだろう)
ソビィはただじっとルウを見ていることしか出来なかった。
『クエッ』
頭上で聞き覚えのある嫌な鳴き声が聞こえた。ハッと空を見上げると巨大カラスがばっさばっさと降りてきた。ソビィはその風圧からルウを守るように背を向けた。やがて羽音が止み、ソビィが振り向いた時、そこには巨大カラスの姿は無く、一人の魔女と一人の学者の姿があった。
「ソビィ!」
「先生!」
足を引きずるトウリにソビィが駆け寄る。ふたりはしっかと抱きあった。
「先生! よくご無事で……」
「すまなかった。すまなかったな」
ソビィもトウリも泣き崩れ、互いの無事を喜んだ。そしてソビィはアビコを見た。アビコはじっとルウを見ていた。そんなアビコにソビィは申し訳なさそうな声を絞り出す。
「すいませんアビコさん、僕……ルウを……」
なんと説明すればいいのだろう。ソビィの思考は混乱し上手く言葉にならない。そんなソビィにアビコは静かに言う。
「礼を言うよソビィ。ルウを守ってくれたんだね」
その優しい言葉にソビィは、
「僕は……」
何も出来ませんでしたと言おうとしたが言葉は出ず、代わりに涙が溢れ出した。そんなソビィの肩に、そっとトウリが手を置く。
アビコは横たわるルウの頬を優しく撫でる。頭を撫で、雨で濡れ乱れた髪を整えてやる。そしてトウリにか、ソビィにか、それともルウのためか、または独り言か、そんな調子で語りはじめた。
「魔法というのはね……まあ、こういう言い方は好きじゃないけどね、力という言い方をすればわかり易いかね。力とは原と理のことだね。その原を使うために理が必要ってことさ。それが力……魔法だね。しかしその魔法ってのは無限なんかじゃない。必ず限りが有るもんなのさ。そして有限だからこそ容れ物がいる。魔法と魔女の関係もそれと同じさ。魔法が原、魔女が理。水と器と思えばいいさ。例えば大量の水をだね、急激に小さな器に流し込んだとしたら、いったいその容れ物はどうなってしまうかね」
アビコは誰に問うでもなく話を続ける。
「溢れるだけなら、まあいいがね。下手をすりゃそんな小さな容れ物なんて壊れちまうよ」
そしてルウを見た。
「まったくこの子はあきれるじゃないか。これほどの原を、このちっぽけな体に入れちまったんだ。どうなったって文句は言えないよ」
アビコは腕を組み、大きくため息をついた。
「そ、そんな!」
ソビィは首を振ってアビコに突っかかった。そんな大事だとは思っていなかった。ルウはただ力を使い果たし、ただ疲れて眠っているのだと思っていたのだ。
「ルウは……ガグリの三兄弟を助けるためにこんな無茶をしたんだ。なのに、どうしてルウがこんな目にあわなきゃいけないんだ」
「たとえその力を正しいことに使おうとも、それはこっちの……人間サマの都合さ。それに魔法なんざ元々が大地の理を大きく外れたもんだからね。力ってのはね、それだけやっかいなもんなのさ。使いこなせる限度を越えちまったんだ。後は容れ物次第、目覚めるかどうかはルウ次第なのさ」
「そ、そんな……」
ソビィは力なく呻き、その場にへたり込んだ。トウリがゆっくりとアビコに近づく。うなだれるソビィの肩に手を掛け、
「アビコ殿、ソビィ、そんな顔をしなくとも大丈夫ですよ。魔法が水で魔女が器、なるほど私はその話を聞いて納得がいきました。そして確信しました。ルウはきっと大丈夫だと」
トウリはそう言うとにこりと笑った。ソビィはトウリを仰ぎ見る。一条の光に手を差し伸ばすかのような表情で。
「私の知るルウという少女は、いつも元気で、愛嬌があり、素直で、好奇心の塊で、誰に対しても優しく、時に頑固で時に甘えん坊な一面もありますが……しかしその存在は私達にとってアシアト湖のように広く、アトラス山のように大きく、そしてこの夜に包まれた空よりも高く……まあ、つまりそれくらいのスケールを感じさせる少女なのです。つまり、それほどの器だと私は思うのです」
アビコは拍子抜けしたような顔でトウリを見た。そして笑った。
「何を言うんだい! まったくそれが学者の言うことかい。論理の欠片もありゃしないじゃないか。ふん、まあでもそれが救いだね。なんせ魔女と学者が同じ意見なんだからね。この子はまるで光さ。この夜に満たされた真っ暗な世界を照らす光なのさ」
ソビィは気づいていた。そう言ったアビコのルウを見る眼差しは、ついさっきのルウの表情そっくりだった。それはあの白鳥号の女神像と同じ眼差しだったのだ。
雨は徐々に強さを増していき、世界でその雨音だけが響いていた。隠し沼の水は水龍となって一時無くなってしまったが、また水位が戻りつつある。雨水が溜まるには早すぎる。きっと地下水脈から水が流れているのだろう。しかしソビィはそんな事はもうどうでもよかった。今はただこの雨音響く静寂の中で、じっとルウの事だけを見ていた。ルウは変わらず寝ているような起きているような判別つかぬ虚ろな表情で横たわっていた。アビコもトウリも、もう何も言わずに見守っていた。
ルウが戻ってくることを信じて。
「おーい! やっぱりここか」
静寂を破るのはいつも猫だ。ブッカがひぃひぃふぅふぅ言いながら走ってくるのが見えた。
「いたいた。あれ、アビコとトウリもいるのかい。やあ無事でなによりだ。ああ、白鳥号かい? 大丈夫、ちゃんとマルミの漁師たちに預けてきたさ。それにカナンの連中が山に入った。あの三兄弟もそのうち見つかるさ」
一息でここまで喋ったブッカは横たわるルウにはじめて気づいた。
「おや、ルウどうしたんだい? こんなところで眠ってちゃ風邪をひくぜ。それよりさっきは凄かったんだぜ。水がブワァってなってさ。異常気象もここに極めりってなもんさ」
ソビィは黙って聞いていたが、うるさいお喋り猫にはもううんざりだった。
「おい君、まさか猫ってヤツはお喋りをしてなきゃ息ができないのかい? そうでないなら少し黙っててくれないか。そもそも君はこの状況を理解出来ないのかい」
ソビィのぞんざいな物言いはいつもの事だが、毎度毎度なんて腹立たしい嫌味なヤツなんだい。ブッカはムッと腰に手をあて胸を張りながら言い返してやった。
「ああそうさ、猫ってのはね、お喋りのついでに息をしてるのさ。そんなことも知らずに学者になろうってのかい? それにぼくだっておかしいとは思ったよ。ルウのような好奇心のかたまりがこんな時に寝てるなんてね。でも君たちがあんまり深刻な顔してるから……ぼくはいやなんだよそういうのが! ルウだってそんなんじゃ起きやしないぜ。ルウみたいなお楽しみ屋はみんなが笑ってれば気になって寝てなんかいられなくなるんだぜ。まったく君ってヤツは全然わかってやしないんだ。それでも学者の卵か! アッカンベー」
ブッカの一見滅茶苦茶な反論は、しかし案外的を射ていた。そのことをソビィもじわじわと痛感していた。が、
「……アッカンベーは余計だろ。このバカチビネコ!」
その様子を黙って見ていた魔女と学者は目を合わせた。そしてふたりして笑った。その大笑いにソビィもブッカもびっくりしてなんだか場が白けてしまった。いったいなんでこんな言い合いをしてるんだろう。それになんだい、あのアビコとトウリがふたりして笑ってら!
「ぷっ」
そんなことを考えていたら、なんだか可笑しくなってブッカは思わず笑ってしまった。同じ事を考えていたソビィもつい吹き出してしまった。さっきまでにらみ合っていた猫とトカゲは、魔女と学者につられて笑ってしまったのだ。
その大きな大きな笑い声が雨降る空に昇ってゆく。




