第十章 魔女飛ぶ
「や、山が爆発しちまった!」
ガグリの長兄は絶叫した。そして勢いよく立ち上がると、一人でどこかへ走っていってしまった。残された二人の弟も兄を追って走った。
ブッカは頭を抱えぶるぶると震えていた。ピンと立った尻尾の先までぶるぶると震えていた。
ウルスは白鳥号を支えたまま動かなかった。まるでただの岩になってしまったかのように動かなくなってしまった。
ルウは一体何がおこっているのか瞬時にはわからなかった。ただ呆然と空を眺めていた。空がこんなに明るくなったことは初めてだったのだ。
(そういえばブッカが言ってたっけ? 本当の朝は青いだか赤いだかって。これじゃ、まるで大きな焚き火だわ)
本当の朝がこんなに空を不気味な赤に染めるなら、ルウは朝なんていらないと思った。
ルウは周りを見渡した。ブッカを見ると頭隠して尻尾隠さずだった。ウルスはまったく動かなかったので、ルウにはいきなり山が現れたように見えた。そして空っぽの湖の果てしない闇を、赤い炎が浸食するように照らしだす。
その不気味な光景を見た時、ルウの心には言い知れぬ不安が宿っていた。この不安の正体はいったい何なのか。ルウははっとなって我に返った。
そうだ、これは噴火だ。山が噴火したのよ。山が燃えているんだ。山にはトウリ先生とソビィがいるのに! いったいトウリ先生とソビィはどうなったの? ふたりは無事なの? 色々な考えがまとまりも無く沸いてくる。不安が心を押しつぶす。
(どうしよう、どうしよう……)
山を見ると頂上付近から赤い炎の筋が見えた。木々を焼き払い、黒煙を上げながらマグマが流れ出しているのだ。
(あんなところに先生たちが……ううん、いったいふたりはどこにいるの!)
ルウは現実の光景から逃げ出すように下を向いて目をつむり、耳をふさいだ。
「目をお開け、ルウ」
聞き慣れた、厳しく、そして暖かい声が聞こえた。ルウが目を開け顔を上げると、そこにはアビコが立っていた。
「おばば様!」
ルウは涙声で叫んだ。
「ふん、いよいよ始まっちまったね」
アビコは山を見上げ呟いた。
「え、おばば様は山が噴火するって知ってらしたの」
「知る訳がないだろう。ただね、流れがね。世の中には流れがあってね、こういうこともあるだろうくらいはわかるもんなのさ。なんとなくだがね」
「そんな……それじゃあどうしてトウリ先生やソビィが山に入るのを止めなかったの?」
ルウは咎めるようにアビコに詰めよった。
「ふん、学者ってのはね、確証がほしいのさ。なんとなくの話じゃ聞きやしないよ。まったく面倒な連中じゃないか」
「そんな言い方、ひどいわ! おばば様」
ルウは涙を溜めた目でアビコを睨んだ。アビコはそんなルウから目を逸らし、山を見上げながら呟く。
「まったく面倒な話じゃないか。結局私が飛ばなきゃならない。まあ、トウリも万が一に備えて挨拶なんかに来たんだろうけどね」
言い終えたアビコは、いつの間にか手にしていたほうきにゆっくりとまたがった。
「おばば様……」
ルウは今度はきょとんとした顔でアビコのその姿を見た。
「ここへ来る途中に見かけたが、カナンの連中もマルミに避難を始めたよ。ルウや、ここも危ないかもしれない。気をつけるんだよ」
そしてアビコは尻尾だけのブッカを見てため息をついた。
「これブッカ! いつまで隠れているつもりだい。しっかりおし! まったく夜の貴公子の名が泣くよ」
そして今度は動かなくなったウルスを見た。
「ウルスや、よくこの船を守ってくれたね。みなに代わって礼を言うよ。そしてよくお聞き。これはきっかけだよ。あんたと私達はまったく違う生き物だ。時間の流れが違うのさ。だからここでお別れだ。さあ旅立ちの時だよ」
そしてまたルウを見た。
「ルウ、あんたもしっかりするんだよ。まずはあんたの出来ることを考えるんだ。あんたの出来ることをするんだよ。まあ、あのふたりのことはこのばあさんに任せておくんだね」
最後にそう言ってアビコは微笑んだ。
ルウも微笑んだ。その顔は涙でびしょびしょだった。
そして魔女は飛んだ。




