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第九章 鳴く山 その1


 お茶会は終わっても、ルウは不思議な昂揚感に包まれていた。それは自分の使命を果たした達成感と、それを果たせた安心感から来るものだった。


「それにしても、あの時のあの感じって、何だったのかな?」


 あの時、ソビィに借りた小さな辞書を開いた時、ルウは別世界にいた。きらきらと目映い、とても暖かな優しさに満ちた世界。あれは一体何だったのだろうか。


「ひょっとして、あれが魔法だったのかしら……」


 ルウはそれが魔法だったのかどうか確信が持てなかった。なんせルウがした事と言えば、端から見ればただウルスに名前を付けただけなのだ。アビコにも尋ねてみたが何も教えてはくれなかった。ただいつもとは違う微笑みを向けてくれただけだった。

 それでもルウは満足だった。そしていつまでも不思議な昂揚感にぷかぷかと浮かんでいたいと思っていた。


「おーいルウ、なにニヤニヤしてるんだい。休憩はとっくに終わってるぜ」


 毎度ブッカは人の気持ちを斟酌しない。ルウは少しムッとしたが、確かにブッカの言う通り休憩は終わっていた。ルウはすぐに自分の仕事を思い出した。

 そう、楽しい祭りは終わっても日常は続いている。今日もルウは港造りの手伝いに来ていた。といってもルウやブッカの仕事なんて、後片付けなどのほんの雑用ばかりだ。なんせウルスが港造りに参加してからは作業効率が大幅に向上し、港の原型はほぼ出来上がっていた。


 この大岩ガ浜は緩やかな弓形で、浜の入り口近くの突端に大岩がそびえる。そしてもう一方の突端は岩場になったおり、まずその岩場の先に防波堤を置いた。その後は岸壁造りだ。この浜は一見遠浅だが、沖に向かって急に深みにぶつかる。その深みまで届く大桟橋を設置することになった。桟橋式岸壁というわけだ。あわせてむき出しの湖底には石を敷き詰めるという大工事だったが、そのほぼ全ての工程でウルスは活躍した。

 

 ルウは休憩所の片付けをしていたが、その手をとめてウルスの仕事ぶりに目を向けた。ウルスは何本もの丸太を運んでいる最中だった。


「おいおい、きみ〜さっさと片付けてくれよな。まったくぼんやりしすぎだぜ」


 ブッカがあきれ顔でそんな事を言う。


「わ、わかってるわよ。ちょっと考え事してただけでしょ!」


 そう言ってルウはさっさと片付けを済ましてしまった。ふとブッカを見ると、親方のそばでウルスに指示を出しているではないか。


「まあなんて猫かしら。仕事もしないで邪魔ばっかりして」


 ルウはぷんすか頬を膨らませてブッカの元に向かった。



「そうそう、いいよ〜そこだ! いいかい、そぉっとだよ。そぉっと降ろして」


 なんて言いながらブッカは現場監督を気取っている。


「ちょっとブッカ! お仕事の邪魔しちゃだめでしょ!」


 ルウは後ろからブッカに近づき、思いっきり耳をつねってやった。


「いってー! 何するんだい。ジャマなんてしてないやい! これがぼくの仕事なんだい」


「まあ、嘘おっしゃい。まったくこのさぼりん坊ったら!」


 と言いながらルウはつねった耳をさらに捻る。


「ひぇ〜嘘じゃないやい! おーいウルス、このわからず屋になんとか言ってやってくれ」


 とブッカはウルスに助けを求めた。


『ヤア ルウ ブッカセンセイハ ホントニ シゴトヲ シテイタンダヨ』


「もう、だめよウルス、ブッカを甘やかしちゃ」


『ホントダヨ ルウ ブッカセンセイノ シジハ トテモ ワカリヤスインダ』


「ほ、ほらウルスもこう言ってるだろ? はやく耳を放しておくれ〜!」


 そんなルウ達のやり取りを親方や漁師たちは笑って見ていた。


「まったく、みんな優しいんだから」


 ルウは少し不満げにブッカの耳を放してやった。

 こんな日常が続いていた。

 

 そう、誰もがこんな日常が続くと思っていた。


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