エルマーとイヴェット
「危ないっ!!」
転びそうになるイヴェットを、エルマーが寸での所で受け止める。
「申し訳ありません…」
「いや…大丈夫か?」
きちんと体勢を立て直したのを確認し、エルマーは手を離す。
「はい。ありがとうございます」
「では…」
お礼を述べるイヴェットに背を向け、エルマーは立ち去ろうとする。
「あのっ、待って下さい!!」
「侯爵とユリウスとの約束がある。話したりする訳には……」
慌ててエルマーの外套を握り、縋るイヴェット。
「お願いします…エルマー様…」
「…………少しだけだ」
目を潤ませ懇願するイヴェットに、エルマーは簡単に折れた。
「先程はありがとうございました。…何故、ここに? いつから…?」
「……2年ほど前だ。イヴェットの前には姿を見せない約束だったんだが、失敗したな」
「いえ……父と兄が申し訳ありません。わたくしを気遣っての事と思います……」
「いや、仕方の無い事だ。それよりも、よく分かったな」
顔を見せない様に気を付けていた筈のエルマーは、正体がバレた事を不思議そうに尋ねる。
「ふふ、勿論です。最後にお会いした時よりがっしりとされたのと、髪が短くなった事、あとお声が少し低くなった様に感じますが、間違える筈がありません」
「ありがとう。イヴェットも……綺麗になったな」
優しい微笑みと共に、当たり前の事のように言うイヴェットにエルマーは目を奪われる。
「以前とは違い、手入れの行き届いていない姿を見られてしまいましたね」
「いや、生き生きとしていて、すごく綺麗だ」
令嬢時代と違う姿に少し恥じらうイヴェットだったが、真剣な表情で言うエルマーに頬を染めてしまう。
「エルマー様…」
「済まない。こんな事言われても困るよな。でも、最後に近くで会えて良かった」
「最後…ですか?」
「ああ。侯爵との約束も破ってしまったしな。この街の人達に君が愛されているのも分かった。守りたいと思っていたのに、君に怖い思いもさせてしまった」
「エルマー様…」
男に因縁を付けられ、イヴェットに恐怖を与えてしまった事を悔いるエルマーに、イヴェットの胸は締め付けらる。
「ただ……一つだけ、お願いがあるんだ。勿論拒否して貰ってもかまわない。無理をさせたい訳じゃないから」
「何でございましょう?」
「最後に一度だけ……抱きしめさせてもらえないだろうか…?」
「え……?」
思いもよらぬエルマーからの申し出に、イヴェットはぽかんと口を開けてしまう。
「……っすまない! 忘れてくれ!」
「あっ、いいえ! 大丈夫です!」
ハッと我に返った様なエルマーが、自身の発言を無かった事にしようとするのを、慌ててイヴェットが止める。
「本当に…いいのか? 無理をさせていないか?」
「はい…大丈夫です…」
伺う様にイヴェットを見るエルマーに、イヴェットは笑顔で答える。
「ありがとう、イヴェット…」
「…………エルマー様…」
そっと壊れ物に触れる様に、エルマーはイヴェットを抱きしめる。
「……私のせいで辛い思いをさせてすまない……イヴェット……」
「………っっエルマー様のせいではありませんっ、わたくしのせいで…っ」
抱きしめられたまま謝罪をするエルマーの声に、イヴェットの声は震える。
「イヴェット? 泣いているのか? すまない…」
「いいえ、謝らないで下さい。わたくしがいけないのです。わたくしの判断の遅れのせいで、エルマー様が……」
慌てて身体を引こうとするエルマーの胸に顔を埋め、イヴェットは声を強める。
「イヴェットは悪くない。私が浅慮だったのだ。イヴェットが悪い事など何もない」
「エルマー様……申し訳ありません…」
優しいエルマーの声に、イヴェットの涙は止まらない。
「泣かないでくれ、イヴェット。……離せなくなってしまう」
「もう少しだけ、このままで……ずっと……お慕いしております…」
困った様なエルマーだが、ほんの少し抱きしめる腕を強め、イヴェットの頭にキスを落とす。
優しいその行為に、イヴェットの中にあったエルマーへの恐怖が溶けていく気がした。
「イヴェット……私も愛している……ずっと、君しか要らない」
「エルマー様…嬉しい……。でも、わたくしではエルマー様の枷となります。エルマー様の重しになりたくはないのです」
エルマーからの告白に、イヴェットの本音が漏れる。
「まさか…それが婚約の解消を言い出した原因なのか…?」
「あっ……」
気付いた時には遅く、イヴェットが婚約解消した理由がエルマーにバレてしまった。
「もし、それが原因ならば、何も気にする事は無い。君と一緒に居られるのであれば、どんな困難だって乗り越えられる」
「エルマー様……」
抱きしめていた腕を離し、エルマーはイヴェットと目線を合わせる。
「君が苦痛を感じるのが嫌だったから、婚約解消を了承した。しかし、もしまだ私に心があるのなら、望みがあるのなら……君と一緒になりたい」
「嬉しいです…。しかし、わたくしの我儘で解消したのです。陛下がなんとおっしゃるか…」
「君が受け入れてくれるなら、陛下も侯爵も説得してみせる。だから…」
「エルマー様………はい。わたくしで良ければ…」
真摯にイヴェットを見つめるエルマーの熱が、イヴェットに伝わった。
イヴェットの中にあった、術にかけられていた時のエルマーを打ち砕くほどの熱を。
もうエルマーを恐れる事は無い。
イヴェットの中に、確固たる自信が生まれ、微笑み受け入れた。
「ありがとう、イヴェット! 愛している、これから先もずっと愛している!」
「わたくしもです、エルマー様」
──再び抱き合う二人を、遠くで街の人達が祝っていた。
▽▽蛇足
二人は無事に婚姻出来ました。そして婚姻と共に、侯爵となりました。
陛下に関しては兄の王太子が説得してくれていました。
3年もの間、話す事も出来ない一人の女性を愛し守り続ける事が出来るのであれば、もし万が一イヴェットとの婚姻を求めてくるのであれば、それを認めて欲しいと。
他との縁も勿論大事だが、急ぎ縁を結ばねばならぬ相手もいないし、無理に他と結婚させて腑抜けになっても困る、と説得してくれてました。
イヴェットを気に入っていた母の王妃もそれとなく誘導したり(笑)
侯爵家は結果イヴェットが戻って来てくれて、幸せであればそれで良いと言ってくれました。
父と兄はチクチク小さい嫌がらせをエルマーにして、イヴェットに怒られるという事を繰り返したりします。




