第1話 褒めの呪い
――これは、褒めるだけで世界が滅びるかもしれない物語。
残業中に寝落ちした俺は、異世界に勇者として召喚された。
だが神様がくれたチートは、剣でも魔法でもなかった。
「恋愛チート」――女性を褒めるだけで好感度が上がる、最強にして最悪の能力。
解除不可。無意識でも発動する。
俺の目標はただ一つ。「誰とも話さない」
しかし、聖女も王女もメイドも、そして魔王まで――
俺にベタ惚れしてくる。
これは、モテすぎて困る勇者のドタバタ恋愛コメディ!
目が覚めると、そこは真っ白な部屋だった。
天井が高く、壁には金色の模様が描かれている。空気には甘いお香の香りが漂い、どこか荘厳で神聖な雰囲気が漂っていた。
耳元で誰かがすすり泣いている声が聞こえる。
「お目覚めください…勇者様…」
俺はゆっくりと目を開けた。
目の前には眩しい光に包まれた少女が立っていた。
背中からは真っ白な大きな翼が生えている。ふわふわと光の粒子が舞っている。純白のドレスは床まで届き、胸元には大きな宝石が光っていた。
天使か?いや、背中に輪っかはない。でもこのオーラは人間じゃない。
「……ここはどこだ?」
かすれた声でそう呟くと、少女はハッとしたように顔を上げ、涙で濡れた目を見開いた。
そして次の瞬間、俺の目の前で深く深く頭を下げた。
「お目覚めになりましたね、勇者様!お待たせしました!」
「勇者?俺が?」
混乱で頭が真っ白になる。最後の記憶は会社。深夜零時。締め切りに追われてパソコンの前でコーヒーを飲んでいたはずだ。
そのままキーボードに突っ伏して寝てしまった。
目が覚めたらここだ。
少女は涙を拭って、もう一度お辞儀をした。
「改めまして。私はこの国の聖女、シルフィアと申します。勇者様を日本から召喚した者です」
「日本から…召喚?」
「はい。魔王が復活しました。このままでは世界が滅びます。どうか、勇者様の力で世界を救ってください!」
シルフィアは懇願するように手を合わせた。
俺はベッドから起き上がろうとして、自分の格好を見て固まった。
白いコートみたいな服。腰には剣。靴も変わっている。
「とりあえず、状況を説明してくれ」
「はい!」
シルフィアは真剣な顔で頷き、俺の前に立った。
「五百年前、魔王は勇者によって封印されました。しかし最近、封印が解け、魔王軍が世界各地を侵略し始めています。王都も三日後に襲撃される予定です」
「三日後?」
「はい。だから急いで勇者様を召喚しました。そして…神様が勇者様に特別な力を授けてくれました」
「特別な力?」
嫌な予感がする。異世界チートといえば、無双系か魔法系だ。
「それが…『恋愛チート』です」
「…は?」
耳を疑った。聞き間違いだと思った。
「恋愛…チート?」
「はい。勇者様が女性を褒めるたびに、その女性の好感度が10ポイント上昇します。好感度が100に達すると、その女性は勇者様に永遠の愛を誓います」
目の前に青く半透明のウィンドウが表示された。
まるでRPGのステータス画面だ。
【恋愛チート】
対象:全ての女性
効果:褒め言葉1回につき好感度+10
現在の発動状況:待機中
「待って待って。つまり、褒めたら落ちるってこと?」
「そういうことです!」
「解除はできるのか?」
シルフィアは申し訳なさそうに首を横に振った。
「すみません。神様のいたずらなので、解除はできません。無意識に呟いただけでも発動します」
俺は両手で顔を覆った。
会社で冴えない28歳。彼女もいない。女の子と話すのも苦手。
そんな俺に、女を落とすチート?
しかも解除不可?
これは勇者じゃなくて、合コンの王様だ。
「わかりました。じゃあ結論。女と話さなければいいんだな」
「え?」
「誰も褒めなければ、誰も落ちない。簡単だ」
そう決意した。命がけで口を閉ざそう。
シルフィアは不安そうだったが、「勇者様の判断に従います」と言った。
その時、コンコンとドアがノックされた。
「聖女様。お茶をお持ちしました」
可愛らしい声。ドアが開き、ピンク色の髪をしたメイドが入ってきた。
16歳くらい。フリルのエプロンがよく似合っている。手には銀の盆。湯気の立つティーカップが乗っている。
俺は喉がカラだった。
「あ、ありがとう」
反射的にそう言って、カップを受け取った。
そして口が勝手に動いた。
「いい香りだね」
ピッ!
耳元で電子音が鳴った。
同時に目の前に赤い文字が表示された。
【好感度上昇!】
対象:メイド・リリア
好感度:10→20
「え?」
メイドの足がピタッと止まった。
次の瞬間、彼女の顔は真っ赤になり、目がキラキラと輝き始めた。
「あ…あの…今…勇者様に…褒められました…?」
「いや、そのつもりは…」
「初めてです!こんなに嬉しいの初めてです!」
リリアは突然俺の手を両手で握りしめた。
「勇者様!私と結婚してください!」
「は!?」
「毎日おいしいご飯を作ります!お風呂も沸かします!お布団も温めます!そして子供を10人産みます!」
「待て待て待て!俺は結婚する気ない!勇者だ!」
「勇者こそ子孫を残さないと!国のためです!」
「それ誰が決めた!」
リリアは頬を真っ赤に染めながら、突然部屋から走って出ていった。
「聖女様!報告があります!勇者様が私を褒めました!結婚の約束です!」
「待てー!約束してない!」
もう終わった。
異世界に来て10分で婚約者ができた。
シルフィアが頭を抱えている。
「勇者様…言いましたよね。女と話さないって…」
「悪かった。反射だ」
リリアが出ていってから1分も経っていない。
バタン!とドアが勢いよく開いた。
「勇者様に会わせてください!」
入ってきたのは銀髪の少女だった。
年齢は18歳くらい。頭には小さな王冠。白と青のドレス。背筋がピンと伸びていて、オーラが全然違う。
王族だ。間違いない。
シルフィアが慌てお辞儀をした。
「アイリス王女!突然どうされたのですか!」
「母が勇者様に挨拶するように言ったの。私はアイリス。この国の第一王女よ」
アイリスは俺を上から下までジロジロと見た。
その目は完全に上から目線。査定するような目だ。
「ふーん…これが噂の勇者?」
「は、はい。そうです」
「随分と弱そうじゃない。腕も細いし、顔も冴えないし」
「ひでえ」
緊張で頭が真っ白になる。
何か言わなければ。場を繋がなければ。
でも褒めたら終わりだ。絶対にダメだ。
そう思ったのに、口が勝手に動いた。
「あ、聖女。今日、顔が輝いてますね」
ピッ!
【好感度上昇!】
対象:聖女・シルフィア
好感度:50→60
「え?」
シルフィアは両手で頬を押さえた。
「あ…私が…輝いて…?勇者様に…そんな風に言って頂けて…ありがとうございます…」
顔が真っ赤だ。目が潤んでいる。
「いや、別に深い意味は…」
「勇者様…」
「おい」
冷たい声が響いた。
アイリスが眉を吊り上げて俺を指差している。
「なんであの聖女を褒めるのよ!私は?私は褒めないの!?」
「いや、褒めるつもりは…」
「言い訳しないで!王女である私より先にあの女を褒めるなんて!」
焦る。どうすればいい。
とにかく火消しだ。こっちも褒めればいい。
「あ、王女の目、綺麗ですね。宝石みたいです」
思わず出た。
ピッ!
【好感度上昇!】
対象:王女・アイリス
好感度:30→40
「は?私の目を見てたの!?不敬よ!」
「違う!そういう意味じゃ!」
「何が違うの!変態!」
「変態じゃない!」
シルフィアとアイリスが睨み合う。
空気がピリピリしている。
俺はその間に挟まれて冷や汗がダラダラ流れる。
心の中で叫んだ。『誰か助けてくれ。殺してくれ』
「勇者様は私のものよ!」
「王女だからって何でも手に入ると思わないでください!」
「聖女のくせに生意気!」
「王女のくせに子供っぽい!」
もう無理だ。
このままじゃ俺の精神が先に死ぬ。
俺は意を決して窓に走った。
二階。でも下には花壇がある。いける。
ガラッ!窓を開ける。
「勇者様が逃げました!」
「追ってください!」
後ろから悲鳴が聞こえる。
俺は目を瞑って飛び降りた。
ドサッ。痛い。足を捻った。
でも止まってられない。走る。薔薇のトゲが服に引っかかる。
「どこだ!?」「あっちだ!」
逃げろ逃げろ逃げろ。
庭の奥の噴水まで来た時、足がもつれて転んだ。
ドンッ
「いたっ」
誰かを押し倒してしまった。
柔らかい感触。いい匂い。
「…痛い」
下敷きになっているのは黒い服の少女。
黒髪が肩まで伸びている。目は深い紫色。肌は白い。
でも雰囲気が怖い。底なしの闇みたいな目だ。
「…誰?」
少女がゆっくり目を開けた。
俺と目が合う。
「あ、ごめん。怪我は?」
反射的に聞く。
ピピッ!
【好感度上昇!】
対象:???・クローニ
好感度:0→10
少女は一瞬驚いた顔をした。
そして不敵に笑った。
「面白い。私を見て悲鳴を上げない男は初めてだ」
「え?」
遠くから声が聞こえる。
「勇者様ー!」「どこに行ったのー!」
リリアとシルフィアとアイリスだ。
三方向から包囲されている。
俺は完全に詰んだと悟った。
少女はゆっくりと立ち上がり、手を差し出した。
「立ちなさい。あなた、厄介な匂いがするわね」
「厄介って…」
「私はクローニ。魔王よ。よろしく、勇者さん」
目の前のウィンドウが真っ赤に点滅した。
【警告】
対象:魔王・クローニ
好感度:10
危険度:SSS
俺「……………………」
もう異世界なんて来るんじゃなかった。
「魔王…?」
俺は立ち上がりながら、目の前の少女を見た。
黒いドレス。黒い髪。紫の瞳。
噂に聞く魔王はもっと恐ろしい怪物だと思っていた。
でも目の前の少女は、普通の人間の女の子にしか見えない。
いや、普通じゃない。圧倒的な存在感。周りの空気が重い。
「驚いた?噂と違う?」
クローニは片方の口角を上げて笑った。
「勇者が一人で逃げ回ってるなんてね。情けないわ」
「お前が魔王なら、なぜここに?」
「偵察よ。明後日、王都を襲う予定だから」
「明後日!?」
シルフィアが言ってたのと同じだ。
つまり、この子が本物の魔王。
遠くから足音が近づいてくる。
「勇者様!」「ここです!」
三人の声。もう逃げ場がない。
クローニは俺を見上げた。
「どうする?ここで捕まれば、牢屋行きね。拷問されるかも」
「…お前に聞かれても」
「私が助けてあげてもいいけど」
「は?」
「条件は一つ。私の城に来なさい。面白そうだから」
【好感度上昇!】
対象:魔王・クローニ
好感度:10→20
また上がった。なんでだ。
「断る」
「あら、冷たい」
「お前は敵だろ」
「敵同士でもお茶くらいするでしょ?」
その時、茂みの向こうから人影が見えた。
シルフィアだ。光の翼がバレバレだ。
「勇者様!無事ですか!」
「あ、見つかった」
クローニは舌打ちをした。
「邪魔が来たわね。残念。じゃあまた今度」
そう言うと、彼女の体が黒い霧に包まれた。
「待て!」
「次会う時は、もっと褒めてくれるといいわね。期待してる」
ブワッと霧が晴れると、そこには誰もいなかった。
木の葉だけがヒラヒラと舞っている。
「勇者様!」「怪我は!?」
シルフィアとアイリスとリリアが一斉に駆け寄ってきた。
三人とも息を切らしている。
「無事です」
「よかった…」「心配したんだから…」「怪我してない?」
三人に囲まれて、俺は心底疲れた。
そしてふと気づいた。
目の前のウィンドウが四つ並んでいる。
【現在の好感度】
メイド・リリア:100【MAX・愛】
聖女・シルフィア:60
王女・アイリス:40
魔王・クローニ:20
「もう最悪だ…」
その夜。
俺は自室に閉じこもって考えた。
このチート、どうすればいい。
女と話さない。絶対に。
紙に「禁言令」と書いて壁に貼った。
でも次の朝。
朝食のパンが美味しかった。
つい給仕のメイドに言ってしまった。
「美味しいね」
ピッ
【好感度上昇!】
対象:メイド・ミーナ
好感度:0→10
俺は天を仰いだ。
この世界、生きていけない。
第1話 完
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結び
俺の異世界生活は、こうして最悪なスタートを切った。
チートは最強、だけど最悪。
これからどうなるか想像したくもない。
でも、逃げるわけにはいかない。
世界を救うため、そして自分の貞操を守るため――
次回予告:第2話「逃げても追ってくる女たち」
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