その名を継ぎしもの
もっふりと身を起こすと、辺りには雑魚寝する子供達の海が広がっている。時折見える寝返りが、さざ波のようだ。寝息も集まればそこそこの音量だが、力の限り遊んで電池が切れて眠るような子供達には、この程度が安眠妨害になるような繊細さはない。
まだ誰も起き出す様子のないグッスリぶりにひとつ頷くと、彼は迷いのない手つきで使用していた寝具を畳み、壁際へと寄せておく。右向き、左向き、うつ伏せ、仰向け、ミノムシ。そんな子供寝返りゾーンに一マスの空白地帯ができた。
寝具を抱えての押し入れまでの道程には、流石に他の子供達を踏む危険性がある。しかし、身一つで抜け出すだけであるのなら、難しいことはない。
既に子供達の寝相の癖は見極めた。気配を殺し、するりと隙間を縫って歩くのにも慣れたもの。辿り着いたタンスから、五歳児ボディの適正サイズを引っ張り出して纏う。
使い古された、何となく臭いの染み付いているズボンでも文句は言わない。
いや、やっぱりちょっとイヤかな。部屋の外へ出てから、周囲に人の目がないことを確認。一度ズボンを脱いで、クリーンをかけた。臭いは消えた。
流石のクリーン様だ、と安心して履き直す。他人の残したニオイで自分に不名誉な冤罪がかけられるのは、耐えられない。
あの日…警察による取り調べは、赤子にはなかった。
お優しい若いポリスに尊厳を上着で包まれたまま、連れて行かれたのは警察署ではなく病院だ。
発見されてからずっと、継続的な痛みでボロボロと泣いたままの赤子だ。何かあるのでは…と慎重な健康診断を受けた。しかし彼の患う遅発性筋痛は画像検査では異常を発見できず「擦り傷程度で問題なし」と診断された。
魔法の代償は過度な苦痛を与えはしたが、筋断裂や筋膜異常などは起こらないことが、医学的にも証明された瞬間だった。痛みさえ治まればケロリとすることからも、予想はされていたことだ。
うみんちゅは「まぁ、だから魔法なんだろうな」とスンとした。とても具合が悪いのに、体温計が平熱を申し出てくる時と同じ理不尽を感じる。
そうこうする間に、痛みも三時間程で治まった。結局は時間経過で泣きやんだので、環境ストレスの一種であろうと判断された。
諸々の手配は別のベテランポリスが請け負ってくれていたようだが、ずっと付き添ってくれていたのは例のヤングポリス。名残惜しそうではあったが勤務中であるし、赤子の長期保護や養育は警察の仕事ではない。
如何に気になろうとも、『異常なし』と言われてしまえば、次の現場へとクールに去らねばならぬ運命だ。
ポリスメンズは、赤子相手に結構な熱量の激励の言葉をかけて立ち去った。まるで地球でも救いに旅立つ感じの別れ。アツい漢達であった。
うみんちゅもまた、流石に前途ある若者を暫定保護者とするのは惨すぎるだろうと考え、無理なお引き止めはしなかった。
上着が回収される際に目一杯の愛想を提供してお別れしたので、そこで警察へのツテは絶たれたのだ。もはや情報収集はできなかった。
そうなってしまえば、あとは危惧していた通りに病院から施設へと移送されてしまい、事態がその後どのような方向へ転がったのかを間近で知る術はない。
ただ、ニュース番組で容疑者の称号が付いた例の送迎担当者を見かけたので、もっと長く関わっていたら何かに巻き込まれていたのかも知れない。
万が一やまんちゅが異世界へ渡らなかった場合、二人の赤子が保護されたはずだ。
うみんちゅは既に、乳児院から児童養護施設への移動を経験している。どこかの段階で、受け入れ先がバラバラになる可能性はあった。
どちらにせよ、身元不確かな赤子の身では、いつかの破綻が見えていた。
そう思えば、あの時に弟が異世界に帰ってしまったのは都合が良かったのだろう。
(何度思い返してみても…やまは魔法の使える世界でなら生き延びられるのだろうし。こちらも俺一人なら、どうにでも生きていけるんだ)
一抹の寂しさと膨大な悔しさを胸に、掃除用具入れに手をかけた。
なんで呼ばれたんだ、あいつは。ズルいぞ、俺も行きたかった。こんこんと湧き上がる不満は小さな胸の中にはとても留め置けず、無意識に口の中からモニョモニョと愚痴めいて漏れ出る。
「あら、じゅん君。まだ早いよ、寝ていていいのよ」
「ううん。もう眠くないからお手伝いしゅるよ!」
「いつも助かるわぁ。ありがとうねぇ」
(ぐあぁぁ、噛んでるぜぇぇぇ!)
のた打ち回りたい内心を堪え、うみんちゅは無邪気な笑みを作った。相手は養護施設の職員であり…うみんちゅは現在、「一条 純」という名を得ている。身元不明だったので、新たに戸籍を作られたらしく、気付いたときには「じゅん君」と呼ばれていた。
そう…うっかりパパと同名の、じゅんクンになってしまったのだ。普通の赤子であれば、そんなことを知らずに済んだのに…あまりにも不幸な偶然であった。
お陰で、うみんちゅは未だに両親のことを毎日朝イチ、日課のように思い出してしまう。
どうせ毎日朝イチ、日課のように弟のことは思い出しているとはいえ、名に引きずられることで、パパンの若気の至り(強気のクズぶり)やママンの失踪の様までもを幾度も反芻しなければならない。
…あたかも黒歴史を掘り返されるような芳醇な香りと深煎りの苦味…。香ばしくて新鮮なそいつをちょいちょい与えられる感じ。そもそも思い入れや恨み的なものはないし、生活の危険が去ってしまった今、喉元過ぎればただの痛いカップルの思い出に成り下がってしまったのだ。何か、身内がスミマセン…な気持ち。
うみんちゅは規則正しく早寝早起きし、一人で身支度する。朝食までの間に少しだけそこらの掃除や、前日干してあった洗濯物を下ろして畳むような、小さなお手伝いを嗜むのが日課だ。
目覚まし時計もそれを買う金もないが、体内リズムを作ってしまえば何の苦もなく継続できる。敢えて他の子供達との起床時間をほんの少しずらすことで手にした、穏やかなひと時。
日々曝される継続的ストレスを、軽い運動で自ら解消へと転化させる見事な手腕だ。
実際問題として、同年代の子供のフリはなかなか精神的にキッツイのだ。それなのに擬態の為に子供達と過ごすことの苦痛といったら。
そして舌っ足らずな口はどうしてもサ行にまだ不安を残す。どんなに「ゆっくりと滑舌良く」を心掛けていても噛んでしまう。心のダメージは計り知れない。
イタズラで大人を困らせることもなく、好き嫌いもせず、地味で大人しく周囲に埋没しがちだが、気が付けばそこに居て時々自発的にお手伝いもしてくれる。
そんな彼は、職員からの評価も上々だ。
邪魔にならず、居ても居なくてもいいが、まぁ、居ても良い。そういう、落ち着く、立ち位置。
無意識に求めるそれは、前世の年数分の経験値で密やかに行なわれた。
身体ばかりは五歳児のうみんちゅには、しかし普通の幼児とは違うところがあった。
おわかりだったろうか。
そう、クリーンの発動に成功したのだ。
あれは、うみんちゅが乳児院から児童養護施設へと移動させられて少し経ったある日のこと。
少し離れて周りで遊んでいた子供達のうちの一人が、喧嘩からの転倒からのお漏らしコンボでギャン泣きしたのだ。他の子達は、蜘蛛の子散らすように素早く立ち去った。無情。
実際には一人は大人を呼びに行っていたし、喧嘩両成敗で逃げた子供も怒られてはいたが、その時あの場には汚損した子供とうみんちゅの二人だけしかいなかった。
本当は傷を治せたら良かったけれど、どうしても回復魔法は発動しなかった。ならば汚れだけでもと一生懸命念じた結果、クリーンが発動した。
同時に、うみんちゅは昏倒した。
魔力切れだ。
数日は止まぬ頭痛に悩まされもした。そんな副作用について、弟は何も言っていなかったので、何が原因なのか分からず戸惑ったものだ。
しかし、魔法は発動した。
大切なのはそれだけだった。
うみんちゅはその後も何日も連続でクリーンを試みたが、効果を得ることができなかった。試行錯誤しながら来る日も来る日も毎日挑戦し続けた結果、不意打ちのように魔法が発動し、再びの昏倒。
当時のうみんちゅがクリーン一回分の魔力を自然回復する為には、約二週間を要することが判明した。
発動と共に枯渇し、魔力切れと共に昏倒する。十五日あけても昏倒。十六日あけても昏倒。十七日あけると、一日不調のあまり何もできないが、意識を保ったままクリーンは発動した。
(クリーン一回分の魔力が溜まっても、余力がないと昏倒する。あいつは…寝る前の訓練だったからな…寝てたんだが気絶してたんだかわからん。そこまで数字がガチガチでないとしても、仮称1MPあれば昏倒はせず、そして一日では1に満たない小数点以下の回復量しかないんじゃないか)
サラサラと軽い力で雑巾がけ。多少ホコリが残ろうと、ドタバタ子供達が走り回れば蹴散らされる。隅っこだけ重点的にやれば良いのだ。そもそも、五歳児のお手伝いになどそこまでの期待はされていない。
誰かが見ていても一生懸命にお掃除して見えるように動きながらも、うみんちゅは思考を継続している。力一杯という顔の表情筋操作もお手の物だ。
やがて、子供達が起き出し始める音がしてきた。起き抜けから元気に騒がしいので、数人が起きるとあっという間に賑やかになる。弟と二人きりの生活だった頃とは雲泥の差。
全員が身支度を整えれば、揃って朝食タイムだ。チラリと室内の掛け時計を確認して、自由時間の残りを逆算する。
(それが恐らく、漂う魔素量が少ないとか、微々たる吸収量だとかいう話だな。あいつは開幕で会話のために従属魔法をぶっ放せた。最大値は俺とは違う。そして、やまプロは何かすぐ1まで補充できる技を知っているか編み出したか…体調不良のところを見てない。だが仮称1MPを溜めるのには本来二、三日程度かかるんだ)
一日1MPでも回復するならば弟の「全く回復しなくて焦る」というのはいささか誇張には感じる。だが、本来一日かからず回復すべきものが一日過ぎてもピクリとも回復を感じられないから、あの弟も少し焦ったのではないか。いつぞや魔力切れを瞬時に回復する術なるものを開発していたはずだ。
しかし翌日かその次の日くらいに1でも回復したと感じたのならば、過保護なやまんちゅでも兄の魔法訓練を良しとするだろう。
使い切れば最大値は上がるはずで、使い切るためには魔法が発動しなければいけない。
あの「本当に魔法を使えるようになるかは知らんけど」的な態度は、うみんちゅの最大MPがわからないからだったのかも知れない。
うみんちゅウィザード☆プロジェクトは、最短十四日のスパルタコースにて行われた。
魔力切れイコール次の回復時には魔力量が増えるはず、というあの理論である。この理論は事実として、過去に弟の犠牲によって立証されている。
かつて弟にスパルタしたうみんちゅは、自分だけを甘やかしたりはしなかった。
…つまり、なんかやたら(具体的には月に二回)気絶する子として、施設の大人達はこの新入りを認識した。病院での検査が済んでいるので特殊な病ではない。
もしかしたら、犯罪に巻き込まれかけた際の心的障害なのかも…しかし、まともに言葉を話せない赤子のケアはなかなかに難しい。
夜泣きはない。昼間も物静かではあるがちゃんと笑う。サイレントベビーではない。
始めの頃は体調管理を何が何でもというピリピリとした緊張感こそあったが、施設の大人達は忙しい。
時を経るごとに、半月に一回程度気絶するだけの普通の子として付近に寝具一セットを配置され、あとは他の子達と同じ暮らしに戻った。
うみんちゅがご丁寧に布団の上で昏倒するよう心がけたこともあり、現在は「お昼寝が人よりも必要な子だったんだね…」くらいの認識となっている。
そうして五歳になった今となっては、ステルス機能を搭載しても心配して探されたりはしないくらい、敷地内を放流されて生きていた。
ステータス画面などは見えないので体感でしかないが、その後のたゆまぬ考察によって、現在「クリーンは5MP(仮)」と彼は認識している。
同時にいくら余計に日をおいても、最大MPを超えての回復ができないことも確認済だ。
他に使える魔法があればより考察も進むかも知れないが、回復魔法は発動できず、水や火や氷を出すことはできなかった。
雑巾を洗いながら、また数日をおいて放つ次のクリーンで昏倒する予定を立てる。
「じゅん君、そろそろ朝ごはんよー」
「はーい!」
そんなことばかりしているので、何気に全然暇ではなかった。
うみんちゅは、日々、とても充実していた。




