聖女と聖女
「久しぶりね、アナスタシア様。お変わりはない?」
「はい、特に変わったことはありませんわ」
「そう、だったらいいわ」
それから三十分後。私は一人の女性と対面していた。肩の上までで切りそろえられた白銀色の美しい髪。少々勝気に見えるものの、美しい緑色の瞳。胸はアナスタシア同様ほぼないに等しいけれど、どこか気品を与える女性。彼女の名は「エルシャ・ベアヴァルト」様。私の先輩聖女の一人であり、聖女として務めて今年で五年目になる聖女様。そんな彼女は私の前で不敵に笑われると「どう? 楽しい?」なんて言う質問をされてきた。だから、私は誤魔化すように笑い「大変なので、楽しいかと問われれば否です」とだけ端的に返した。
エルシャ様は聖女としての私の教育係的存在だった。彼女は聖女の力を誰よりも使いこなし、光の魔力の量が平均的にもかかわらず、聖女としての地位を確たるものにした素晴らしい人だ。私は、そんな彼女を密かに尊敬していた。
「ところで、何か用事があってわざわざこちらを訪ねていらっしゃったのですよね? エルシャ様が今従事していらっしゃる神殿は、ここからかなり遠くにありませんでしたか?」
「そうね。馬車で丸々三日といったところかしら?」
そうおっしゃったエルシャ様は、紅茶に口をつけられると大人っぽく笑われた。聖女は時折地方の神殿に出張しに行くことがある。エルシャ様は今一ヶ月の出張期間であり、王都から見て西側の神殿に行っていると小耳にはさんでいた。そのため、エルシャ様がこちらにいらっしゃったのは想定外なのだ。
「いえね、今年の聖女候補が襲われていると聞いて……いてもたってもいられなくなったのよ」
「……本音を、どうぞ」
「あのクソ腹立つ宰相に接触されたから」
私の問いかけに、エルシャ様はそうおっしゃるとソファーにふんぞり返られる。その態度には、先ほどまでの聖女様としての慈悲溢れるオーラはなかった。今のエルシャ様の態度は傲慢であり、男性だったら「俺様」という言葉が似合いそうだな。なんて思ってしまう。
「……接触、とは?」
「まぁ、簡単に言えば遠回しの賄賂ね。自分の娘を聖女にしたいから、私に協力しろ、みたいなことを言ってきたわ」
「ちなみに、何を貰ったのですか?」
「もらっちゃいないわよ。『無理』って言って突っ返してやったわ。中身はお金だろうけれど」
エルシャ様はご自身の髪の毛を弄り、枝毛を探されながらそうおっしゃる。……エルシャ様は幼少期にかなりお金に苦労されており、その所為でお金に対する執着は人一倍強い……らしい。本人談なので、そこまで信ぴょう性はないのだけれど。
「……エルシャ様」
「こういう情報をアナスタシア様に手渡せば、美味しく調理してくれるのではないかって思って、来ちゃったのよ」
「それは確かに、ありがたいのですが……」
「なーに、疑ってんの? 私はね、今の生活に満足しているの。聖女として従事し終えれば、安泰な生活も手に入れることが出来る。だから、今更リスクなんて背負わない」
けらけらと笑いながら、エルシャ様は私に視線を向けてこられる。その目に籠った意思はとても強く、さすがは「成り上がり聖女」などと呼ばれているだけはあると思った。……けど、宰相はついに聖女様にまで手をまわしたのね。今の聖女様は慈悲深いお方が多いので、その誘惑には乗らないと思うけれど。……と言いますか、お金で動こうとするのはエルシャ様ぐらいよ。
「情報提供感謝します」
「そう」
私のお礼の言葉に、エルシャ様は大した興味も示さずに、「じゃ、帰る」とだけおっしゃると目の前の紅茶を飲み干された。……聖女という女性の身分は、爵位で言うと公爵に値する。いや、場合によってはそれ以上。だから、王族に対する不敬な態度も多少は許される……と思う。そもそも、この国は聖女様によって成り立っているので、彼女たちがいなくなると国は崩壊してしまうし。
「そう言えば、アナスタシア様に一つだけ言っておきたいことがあったんだ」
ロイドに案内され、部屋を出て行こうとされるエルシャ様は、不意に私の方に振り向くと「……王太子妃を辞めるにしても、聖女としてだけはきちんとやり遂げなよ」とおっしゃった。その後、すぐに「じゃ」という言葉を残し、部屋を出て行ってしまう。……ロイドは、そんなエルシャ様に深々と礼をしていた。
「……聖女としての仕事は、きちんとやり遂げるわよ。だって、七年間の我慢だもの」
そして、私はそれだけをぼやいていた。王太子妃は場合によっては一生やらなくちゃいけないに近しい。でも、聖女の仕事はそうじゃない。七年間務めあげれば、それでいいのだ。だから、私は王太子妃という座を捨てても、聖女としての仕事は全うするつもりだった。初めから。
「アナスタシア様。お仕事が溜まっておりますので、こちらをどうぞ」
……それから、こんな風に仕事漬けにされちゃうと……やっぱり、逃げたくなっちゃうのよ……。




