2/1〜2/13
二月一日、火曜日。
「うう……」
あの後、日付が変わっても作戦会議をしていたせいで、眠気がとれない。どうしたもんかな……
どうしようもない眠気を抱えながら、僕は今日も教室へ向かった。
現在時刻は八時ジャスト。この時間は、部活の朝練やらなんやらでまだ人はいない。昨日藍斗と愛華が早かったのは、単に月曜日だったせいで朝練に出られなかったかららしい。
……っと。
教室に入ると、聖良さんは今日も僕の席に座っていた。
「おはよう、佐山君!」
「お、おはよう」
今日はどうしたんだろう。作戦会議なら、チャットでいいだろうに。ちなみに、相談じゃなくて作戦会議と呼ぶことに、僕も聖良さんも特に違和感はなかった。だって、実際に作戦だもんね。
「あのね、昨日は夜遅くまで話し込んじゃったからさ」
そうだね、僕は寝不足だよ。まあ、しかたないことかな。
「お詫び……と言ったら、アレなんだけど」
そういうと、聖良さんはおもむろにポケットから何か取り出した。
「これ、クッキー焼いてきたから、よかったら食べて!」
オゥ……マーィエィンジェィルゥ……
やっぱり、聖良さんは天使だ。そこまでの気遣いもできるようで、というか、たったあれだけのことでお礼をくれるとは……しかも手作り!
「ありがとう!大事にするよ!」
「ええっと……腐っちゃう前に食べてね?」
そう言った彼女は、今度はカバンをゴソゴソしはじめた。
「あ、あとね……」
カバンから何かを取り出した聖良さんは、それを僕に渡してきた。
「……これは?」
それは、手のひらより少し大きい程度の、薄い箱。
「あのね、一応、別でお菓子を作ってみたんだけど……これ、麗乃君に渡してくれないかな?」
あぁ……そういうこと。
「わかった、任せてよ。多分、まだ隠してたほうがいいよね。僕の母さんが作ったってことでいいかな?」
「うん!ありがとう、お願いね!」
聖良さんは、僕がお菓子を机の中にしまったのを見ると、「ばいばいっ」と手を振って、とてとてと教室を出ていった。
……お昼は、藍斗と食べないとな。
「藍斗ー」
「おーう」
予定通り、僕は藍斗とお昼を食べることに。
そこで、今朝聖良さんから受け取ったおかしいを渡す。
「そうだ、藍斗。今朝母さんにさ、お菓子作ったから持ってって言われたんだけど」
そう言って、藍斗にお菓子を渡す。
「あ、俺が食べていいの?助かる、ありがとって伝えといてくれ」
藍斗は、箱を開けてお菓子を一つ、口に運んだ。
さて、僕もさっきもらったクッキーを……
「ンブゴフウッ‼︎⁇」
「どうした藍斗!」
僕は跳ね返るように視線を藍斗に戻す。すると、彼は青い顔をしながら、10秒ほどピクピクしていた。
放課後。
さて、どうしたものか。これは、聖良さんに伝えるべきか……?
そう考える僕の掌には、未開封のクッキーが乗っている。
そうだ。一度家に帰って、これを食べてみよう。それで、これが美味しかったなら、失敗してたみたいだと伝えればいい。そうじゃなければ……やっぱり、伝えるしかないか。
僕は急いで家に帰り、あれこれしてから自分の部屋に入る。
「ふー……いただきます」
クッキーを舌につけた瞬間、かつてない衝撃が身体を駆け巡った。僕は咄嗟にクッキーを口に入れるのをやめ、水を飲む。
「はぁー……はぁー……なんだこれ……」
これあれだ。暗黒物質ってやつだ。食いもんじゃねえ。確かに見た目はなんの変哲もないクッキーだ。けど、その内側には無限の闇が広がっている。これ、やべーやつ。
「……伝えるしかないか」
内心、まだ渋っていたものの、そうしなければ始まらないと思い直す。
僕は、チャットアプリの機能を使って電話をかけた。
「もしもし、聖良さん?」
『うん。どうしたの、佐山君?』
「えーっと……お菓子のことなんだけど、さ」
『うん!どうだった!?』
「…………もしかして、聖良さんって、料理苦手だったり……する?」
『…………うん。やっぱり、美味しくなかった……?』
「いや、美味しくないというより……あれ、何入れたの?」
『? 普通に、お砂糖とか卵とか?』
「……そっ、かー…………」
ッスゥー……
「あのさ、聖良さんって、バレンタインに何をあげるかって、もう決めた?」
『うん!手作りチョコレートを渡そうと思うの!』
「あっはぁ……そっかぁ……うん、もう練習とかはした?」
『えーっと、まだだよ?』
「そ、そっか。じゃあ、今度練習してみない?ほら、そっちの方が、本番に美味しくできると思うし!」
『あ、確かに!じゃあ、休みの日……六日!うちで練習できないかな?』
「うっ、うん!わかった!六日ね!」
よし、これで藍斗が死ぬことはない。
二月六日、早朝。
「お、お邪魔します……」
入ってしまった。ついに、聖域に足を踏み入れてしまった……!そう、聖良さんの家に……!
「ほら、早くやろやろ!」
そう言ってとことこと駆けて行く彼女はエプロン姿。なんていうか、光で目が取れそう。
「うん」
僕もエプロンをつけ、キッチンに二人で並び立つ。
実は僕、今日までいくつものチョコ製作動画を見てきたのだ。もう、完璧ですよ。
「じゃあ、始めようか」
「うん!」
そう、元気よく返事をした聖良さんは、鼻歌を歌いながら…………
––––冷蔵庫から、辛子を取り出したっ!
「いやちょおっと待とうかぁ!」
「???」
首を傾げる聖良さん、可愛い。ってそうじゃねえよ!
「何してるのかな?チョコ作るのに、そんなものは使わないよねっ!?」
「えー?だって、芸術は爆発じゃない?」
「確かにそうだけどこの場合はまったくもって違うね」
「そんなことないよ?料理って、綺麗なものもあるじゃない?」
まあ、たしかに。
「芸術も、綺麗なものばかりでしょ?」
うん、それも否定できない。
「なら、芸術は料理!料理は爆発!ね!」
ね!じゃねえんだよぉぉぉぉ!
「う、うん、確かにそうかもしれないけど、一旦落ち着いて?聖良さんは、自分が作ったもの、食べたことあるかな?」
「………………ない」
だよねー!だとお思った!
「じゃあ、一旦聖良さんの好きなように作って見せてよ。で、それを自分で作ってみよう」
「うん、わかった!」
そして、数時間後。
「う、ゔっ……」
リビングで、聖良さんは倒れていた。
「私は、なんてものを……」
「だ、大丈夫ですか……」
いや、大丈夫じゃなさそうに見えるね。実際、大丈夫じゃないだろうし。
「うう……なんとか……」
いや大丈夫なのかよ。
「……ほんとに?」
「ええ!バッチリ!」
何がバッチリなのかは知らないけど、まあ、本人が大丈夫って言ってるなら大丈夫だろう。
「じゃあ、今度は僕のいう通りに作ってみようか」
「そ、そうする」
そして、日が暮れてきたころ。
「「う、うぐぅっ……」」
僕ら二人は、キッチンに倒れていた。
なんで?説明通りに作ったぞ?余分な物も、何一つ入れてない。全て順番通り。工程ごとの時間もそのままだ。なのに、なんで……
「……私のセンスの無さかな」
あー、そう来たか……
「……仕方ないけど、市販のもので何かいいのを見つけて、それを渡すよ……」
うん、それがいい。聖良さんには失礼だけど。
二月七日、朝。
今日は、デパートに来ている。プレゼントを選ぶためだ。そう、七日連続聖良さんと顔を合わせている。なのに、なぜだろう……疲れが溜まっている気がしてならないね!はっはっは!
「いこう!」
僕らは、デパートを一通り見てみることにした。
「こんなのどうかな?」
僕が見つけたのは、ペンギンの刺繍が入ったハンカチ。
「可愛い……けど、麗乃君には似合わなさそう……」
「あー、確かに」
「これはどうかな!」
聖良さんがもってきたのは、靴。なんかすんごい高そうなやつ。
「そもそも買えるの?」
表示されている値段は、五万弱。
聖良さんは、財布を覗き込んだ。
「……二足は買える」
どんだけ持ってんだよ!
「さ、さすがに高すぎて、貰ったら藍斗も困るんじゃないかな……?」
「むう、そうだね……失念してた……」
「こっちはどう?」
僕は、ここでひと笑いとっておこうと思い、変な仮面をつけて聖良さんの前に出た。まさに狂気の沙汰!なんでこうしたのか、僕にすらわからない!
「あはは!変なの!……でも、逆にありかも!」
さて、どうしよう。ありだと思われてしまったよ!
「…………あっ、ボケだった?」
「……………………うん」
めちゃくちゃ恥ずかしい。
僕は、プルプル震えながら、それを戻しておいた。
「あっ、これなんてどうかな!」
僕は、いい感じのリストバンドを見つけ、聖良さんに手渡した。
「あ、いいかも!候補だね!」
聖良さんが20個ほど取っていいものを見繕いはじめた。
「おっけそこまでにして、一旦別のところを見ようか!」
「はっ、ごめんね!」
それから二時間ほど経って。
「……そろそろお腹減ってきてない?」
腕時計を見て、僕はそう尋ねた。
「うん、そう言われればそうかも」
と、いうことで一旦お昼に。僕らは談笑しながらお昼ご飯を食べた。
なんていうか、この瞬間が今までで一番楽しくて幸せだった。
それから、かれこれ八時間。もはや耐久ロードレースだ。もう、二十周はしたかな。店員さんも、笑顔が引きつってるもん。
「うう、ダメ……決まらない」
「じゃあさ、もしなんでも渡せるなら、聖良さんは何を渡したいの?」
「…………やっぱり、手作りがいい。どんなに不格好でもいいから、手作りのチョコを渡したいの!」
…………だと思ったよ。
「じゃあ、練習しようか」
「…………え?いいの?」
「いいもなにも、聖良さんが渡したいんでしょ?そこに僕の許可なんていらないよ。あ、もちろん手伝いはするから安心してね」
「……っ!ありがとう!佐山君、本当にありがとう!」
聖良さんが、いきなり僕の手を掴んだ。
ぐおおっ!浄化されるっ!
僕は、なんとか耐えながら、棒になりかけている足を動かして材料をたくさん買ったのだった。
そして、平日。
僕は、毎日聖良さんのいえを訪れて、チョコ作りに勤しんだ。
「一旦動画見てみようか」
おてほんをよく観察したり、
「完成形を考えてみよう」
ゴールを設定したり。
「一旦作ってみようか」
これは毎日。
一日目は、以前と全く変わらなかった。
二日目は、口内への刺激が少し減った。
三日目は、形が悪くなった代わりにもう少し刺激が減った。
四日目に、倒れずに一つ食べ切ることができるようになった。
五日目に、刺激がほぼ感じられなくなった(僕らの味覚がおかしくなったのかもしれない)
六日目に、形こそまだ少しおかしいものの、普通に美味しく食べられるようになった。というかかなり美味しい。コツをつかんだみたいだ。
「……やっとここまできたね」
「うん……佐山君、本当にありがとう」
僕は、この六日間、勉強なんてほったらかしで聖良さんの手伝いをしてきた。それが、ついに形になる日だ。
「……よし!」
聖良さんが、冷蔵庫にチョコを仕舞った。これで、固まったら完成だ!
「………………やっっっったぁぁぁ!」
家の中に、聖良さんの声が響いたのだった。
そうして、本番の日がやってくる。
明日。