【辻褄合わせの綴じ紐】
からん、とベルが鳴った。
「珍しい。老蛇の姉御がこんな辺境にまで」
ベルを鳴らして入店したのは客ではなかった。しわがれた老婆を見、彼女は驚いた声をあげた。
「姉様、どちら様……あぁ、姉様のうちのひとりですか。はじめまして」
ぺこりと妹が頭を下げる。
この老婆もまた同胞だ。遠い山岳にて、寿命を示す蝋燭の洞窟の管理人をやっている。洞窟に並ぶ蝋燭はすべて、この老婆の手によって設置されたものだ。
老婆は真実を見抜く能力により、すべての生命の寿命を知ることができる。誰かが生まれた瞬間にその者の天命を知る。神が定めた寿命を網羅できる老婆は、その能力を生かして生命の蝋燭の洞窟を作った。それ以来、老婆はずっとそこの管理人をしている。
その老婆が洞窟を抜け出してこんなところにまでやってきた。なんとも珍しいことだ。明日は槍が降るどころか世界が滅ぶかもしれない。
「妹御たちに警告をしようと思うてね」
「警告?」
そう、と老婆は頷いた。
警告、と彼女は口の中でその言葉を繰り返した。もしや自分は何かしてしまっただろうか。掟に触れる真似はしていないはずだが。
怪訝に思う彼女に老婆は皺だらけの指を振った。ちちち、と舌を鳴らすそれは否定だ。
どうやら危惧していることではないらしい。それもそうだ。もし彼女の何らかの行為が掟に触れてしまっていたのなら、彼女は鐘の音と共に葬られるはずだ。
逆説するに、老婆は鐘を鳴らしていないのだから彼女は掟に触れていないということになる。
「それで?」
掟に触れていないことは理解した。それでは本題に入ろう。警告とはなんだ。何に対するものだ。
問う彼女に老婆は懐からあるものを取り出した。それは名前の刻まれていない蝋燭だった。
本来ならこれに名前を刻むことでその者と縁を繋げ、その者の寿命を示すものとなる。炎の勢いは活力を、蝋燭の長さは寿命を、蝋燭の太さは人生の充実感を表すとされる。そんなことを思い出しながら、彼女はまっさらな蝋燭を見た。
そして、違和感に気付く。蝋燭の芯のすぐ下に小さなひびが入っているのだ。一般に出回る日用品としての蝋燭ならば不良品だったのだと思うだろうが、これは日用品ではない。人の運命を示すという生命の蝋燭だ。
ひびが示すもの。それは他者による殺害である。まるで鉈で切り落とすように、死ぬべき運命の瞬間に合わせて蝋燭にひびが入る。ちょうどひびのある位置まで燃えた時に死ぬように。
それは知っている。だが、老婆が手にしているのは誰かの蝋燭ではない。新品の蝋燭だ。まだ誰の運命とも繋がっていないもの。それがこんな風にひびを示すことなどありえない。
「それでねぇ、問い合わせたさ」
不穏なものを感じ、老婆はすぐに問い合わせた。ひとの運命だけならず世界のすべてを知り尽くし真実を知る神にだ。氷の真実を司る神は彼女たちの種族の守護神である。
その神曰く、つまりはそうなのだ、と。
「これから誰が生まれようとも、誰と縁を繋ごうとも……ここで断ち切られるのは変わらないということさ」
ひびを指で叩き、老婆は続けた。
まっさらな蝋燭のひびが示すことは、誰かに殺されるなんてかわいいものではない。それよりももっと大規模で理不尽な死だということだ。
それこそ、世界ごとすべてが滅ぶような。
「大きな死が横たわっているというのね」
「是」
並外れた生命力を持つ我らですら死に至るであろう。それほど大きな災禍が待ち受けている。
それを知り、老婆はわざわざ知らせに来てくれたのだ。運命の男と結ばれ、ヒト同然となった同胞である彼女に。
滅びが来ればヒトなど簡単に死ぬだろう。そしてそれはヒト同然となった彼女もだ。運よく自身は災禍を回避できたとしても、彼女には運命を結んだ男がいる。彼が死ねば連鎖して彼女も死ぬ。
つまり滅びを前に、自身と男の安全に気を付けろと。老婆はそう言いに来たのだ。
「ただでさえ妹御の男は放浪癖で各地をふらついておるからのぅ」
放浪を信条としているだから仕方のないことではあるのだが、話を聞いていて不安になる。男が死ねば連鎖して彼女も死ぬというのに、彼女は男の身を守るでもなく好きにさせている。
あれではいつ死ぬかもわからない。送り出した男が旅先で何らかの要因で死んだらどうするのだ。
「止めることは不可能だから仕方ないわ」
好きにさせているには絶対的な理由がある。それは洞窟の蝋燭だ。
男の生命の蝋燭が煌々と燃えていることは事実だ。長さも十分。ひびもない。それはつまり、男は近いうちに死ぬことは絶対にありえないということだ。もし近いうちに死が設定されているのなら、それなりの長さになっていたりひびが入っているはずだ。
それがないのだから死ぬ運命はない。死ぬ運命がないのだから守る必要もない。
だが忠告は耳に入れておこう。まっさらな蝋燭と同じように、彼の蝋燭にもひびが入っているに違いない。これから先には絶対的な滅びが横たわっているのだから。
「それで……老蛇の姉御は、これから?」
「鐘を鳴らしに行くよ」
滅びが近いのだと鐘を鳴らして警告の旅に出る。からん、からん、と鳴る鐘は知る人には警告となる。
そう、と彼女は答えた。よい旅を。そう言って彼女と妹は老婆を見送った。
「全世界を巻き込んだ戦争だって」
その晩。蝋燭の話を彼にすると、彼はそう答えた。
全世界を巻き込んだ戦争が間もなく行われようというのだ。世間はその噂で持ちきりだ。
おそらく、老婆の言う滅びとはその戦争で出るおびただしい死のことだろう。あまりにも数が多いから世界の破滅に見えるのだ。蝋燭のひびをそう解釈し、彼はなんてことないように笑った。
その説は矛盾をはらんでいる。ただのおびただしい数の死ならば、まっさらな蝋燭にもひびが入るはずはない。ひびは既存の蝋燭だけだ。
その矛盾を彼は直感的に理解していたが、あえて無視することにした。だってそうだ。滅びを前にして正気など保てるはずもない。
「そう……そうね」
それでいい。そういうことにしておこう。正気と狂気の合間に話を置いておこう。
仮に自らに死が訪れたとしても大丈夫だ。すべての生きるものは必ず死ぬ。その順番が回ってきただけだ。
自分の死をもってこの薬店を閉じる。それは今まで客にしてきたことだ。これまで、客の悲惨な運命を回収してきた。後には何も残らないように痕跡を剪定して、薬店を幻のままとしてきた。その証拠隠滅がついに店主の死となっただけだ。
その死をもって"蛇の魔女"は消え、掟は守られる。
人間の視点では理解できないだろうが、彼女は死に対してそれほど恐れを抱いていなかった。
彼女が恐怖するのはただひとつ。彼から拒否されることだ。
「死ぬとするなら、せめて一緒に」
「あぁ」
こんな時勢なら旅もできないだろう。放浪を好む性分だが仕方ない。しばらくは大人しくしておこう。
旅の予定を取り止めることを決め、彼はそっと彼女を抱き締めた。
これはただの、世界の辻褄合わせ。




