【死氷】
からん、と鐘が鳴った。
「あれ、リズベール?」
出かけるのかい、という声に頷いた。
声の主はこの薬店の女店主の夫である男だった。"運命の相手"と呼ばれるそれは、女店主の生命を握る重要な人物である。
「君がこんな日に出かけるだなんてきっと種族の用事かな」
自分はそれを深く知ることはできないだろう。それを問うことは、永久凍土に封じられた万古の骨のように存在すら秘匿する門外不出の掟に触れてしまう。そうなれば掟破りの罰として破滅が待っているのだと聞かされている。
世界の探究を是とする冒険家であるが、触れてはならないところには触れないのが長生きするコツだ。
「外は砂嵐だ。気を付けて」
外は砂嵐。気流の関係で今の時期はほぼ毎日が砂嵐となる砂の季節だ。
砂漠に囲まれたこの島では砂嵐の季節は修行の時期とされ、各家庭では家に引きこもって1歩も出ないのが慣習である。
だからこそ彼女は外に出るのだ。聞こえないだろうか。砂が擦れ合う音に紛れて、からん、からん、と鐘が鳴るのを。
あれは同胞の呼び声だ。からん、と鳴る鐘は同胞を呼び寄せるためのもの。
鐘が聞こえたなら行かねばならない。種族としての長命を棄てて人間と結ばれたモノであるが、鐘が聞こえる限りは同胞だ。
「行ってきます」
「行ってきます、お義兄様」
心配する男に柔らかく頬笑む。
闇夜に紛れるローブをまとい、鐘を持って彼女は妹とともに砂嵐の中に出た。
からん、からん、からん、からん。鐘が鳴る。
一様に黒いローブをまとい、鐘を持った集団が音もなく歩く。からん、からん、と時折鐘が鳴る。
その列はまるで葬列のようだった。誰かを、何かを弔うための葬送のようであった。
その列に彼女は静かに加わった。からん、と鐘を鳴らした。
「ヒト落ちの蛇、未熟な妹や」
「歓迎しよう、歓迎しよう、我等が同胞や」
葬列のような集団は彼女たちを同胞として迎え入れる。からん、と鐘を鳴らして合流を歓迎した。
そろそろと進む列は徐々に長くなっていく。からん、と鐘を鳴らして歩くたびに何処からか現れた同胞が列に加わっていく。
鐘を鳴らしながら砂漠を渡っていた葬列はいつしか入っていた洞窟を越え、霧が満ちる湿原を越え、戦禍鮮やかな戦場を抜けていく。
海の下を通っているという長い海底洞窟を抜けると、一面真っ白な氷原に出る。雪に覆われた森を横目に、葬列は永久凍土の氷原を渡る。
からん、からん、と鐘を鳴らし、葬列は再び洞窟へと入っていく。ごつごつした岩盤は進むにつれその割合を減らしていき、全面が氷に覆われていく。
床も壁も天井もすべて氷でできたドームを進むと、ようやく葬列は足を止めた。後に続く長蛇の列がそろそろと足音もなくドームの中へ入っていった。
皆がドームに入ったであろうタイミングを見計らい、葬列の先頭を歩いていた黒いローブの人物は手に持っていた鐘を大きく鳴らした。からぁん、と音がドームに響き渡る。
「これよりは、これよりは、秘する蛇の氷葬よ……哀れみや、哀れみや……」
からん、からん。この場にいる者たちが持っている鐘がいっせいに鳴った。壁や天井に反響する鐘の音は複雑な旋律となって空間を満たす。
やがて、しずしずと棺が運ばれてくる。その中におさめられているのは同胞の遺体だ。そう、これは死した同胞の葬儀なのだ。
無限に近い長命を持つ彼女たちであるが、完全に不死というわけではない。死ぬ時は死ぬ。
死因は様々だが、死んだ同胞たちは大きく2つに分かれる。"運命の男"を受け入れ、永遠に近い生命を放棄し脆弱なヒトとなったが故に死んだか。あるいは、"運命の男"に出会うより前に何らかの事情で死んでしまったか。
どちらにせよ、そうして死んでしまった同胞を一ヶ所に集め、まとめて合葬する。これはそのための儀式だ。
「いずれ貴女もそうなるのよ、リズベール。ヒト落ちの妹よ」
「姉さん」
いつの間にか隣にいた姉がそう囁いてくる。
妹というのはただの年下の同胞を示す言葉であって血縁を意味するものではない。年下の同胞は等しく妹だし、年上の同胞はおしなべて姉だ。
「お久しぶりです、至姉様」
「詩妹も元気そうね」
会話に割り込んできた挨拶に返し、姉は話を続けた。
「あと何十年かしら。リズベール、貴女もこうなるのは」
そうだ。"運命の男"を受け入れたのだから、いつかはここに葬られる側になるのだ。
対する姉は"運命の男"を拒否し殺めたことで種族として最高の存在に昇華された。甘美を失った永遠の枯渇と引き換えに、無限に近い生命を得た。昇華された彼女は首を落としても死なないだろう。それはまるで、不死の象徴である蛇のように。
「リズベール、シアンドール。かわいい妹たち」
そして、と言葉を区切る。視線を棺の方へと向けた。
艶やかな黒髪の同胞が棺に横たわっていた。腰にまで到達する長い黒髪は一部が不自然に断ち切られていた。おそらく何らかの刃物で切られたのだろう。
遺体の様子を見ればある程度は死の状況が予測できる。全身が切り傷にまみれた彼女の致命傷となったのは心臓を貫いた一撃。それに至るまでに何度も切りつけられたのだろう。切られながら逃げ、しかし追い詰められて背後から一撃だ。
哀れなことだ。姉はそっと目を閉じた。あの妹は確かまだ自身の"運命の男"に出会えていなかったはずだ。巡りあって、そしてかの男を拒否すれば死ななかったであろうに。頂点に昇華されていれば心臓を貫かれた程度では命を失わなかった。
なんと哀れなことだ。マイナクベール、かわいい妹よ。クァウエル姉さん、リズベール姉さんと慕ってきた声はもう聞けない。
「……マイナクベールの番ね」
からん、と姉は手に持っていた鐘を鳴らした。かわいい妹の旅立ちだ。
蓋を開けたまま、棺はドームの正面にくりぬかれた小さな湖に浮かぶ。この小さな湖は氷河に続いている。
浮かべられた棺はそのまま自重で湖面へと沈んでいく。沈みながら、氷河に続く支流へとゆっくり流れていく。まるで冥府の河のようだった。
次々流されていく棺たちを、からん、からん、と鐘の音が送っていく。
いずれこの棺たちは氷河に流れ着き、そこで氷山に取り込まれて凍りつく。永遠に彼女たちは氷山の中に閉じ込められるのだ。
それが彼女たちの葬式――氷葬である。
「凍れや、凍れや、美しき氷に抱かれ……」
そして、最後の棺が湖へと沈んだ。
「……哀れみや、哀れみや……」
可哀想なことだと嘆く。神よ我らを哀れみたまえ。からん、と鐘が鳴る。
からん、からん。鐘を鳴らして彼女たちは同胞の死を悼む。この鐘は死者への送別のために鳴らされる。
「マイナクベール、さよならね」
その言葉がいつ自分に向けられることになるのだろう。いつか来る日を思い、未来の自分に向けて鐘を鳴らした。
からん、と鐘が鳴った。
それきり、あとは氷の中。




