名前
「さあ寝るぞ!」
「寝る前に沐浴しろ」と男エルフ。
「モクヨク?
何だ?それは?」
「水で身体を清める事だ」
「風呂じゃねーか!
今日は疲れた、入らんぞ」と僕。
「『身を清めよ』と言っているのだ。
水神の代理である貴様が沐浴を拒否するな!」
「人を『風呂キャンセル界隈』みたいに言うんじゃねえ。
『今日は疲れてるから風呂は勘弁してくれ』と言っているんだよ!
明日は入るわ!」
本当は風呂に入るぐらいの体力はある。
でもちょっと疲れてる今『女性の入浴』を経験する気分じゃない。
そして何より、エッチな気分じゃない。
これは驚く事だ。
僕は今まで年がら年中『エッチな気分』だった。
バスに乗ってて交通事故に巻き込まれた事もある。
死ぬかと思った。
それどころじゃないはずなのに何故か凄い興奮した。
「人間は本能で子孫を残そうと、死にそうになった時ほど性的興奮をする。
いや『死の恐怖』と『性的興奮』の区別がつかない」と何かで読んだ。
だからだろうか?
死ぬかもしれなかった事故当時『エッチな気分』だったのだ。
その性的興奮が悟りを拓いた坊主のようにすっかり消えている。
『種付けしよう!』という意欲が全く起きない、とでも言うのだろうか。
せっかく『女の裸』見放題なのに。
「見たい!」という気持ちより「面倒臭い」という気持ちが勝ってしまうのだ。
あの『生でおっぱいが見たい!』という情熱はどこに行ったのか?
「えー、おっぱい?
じめじめしてる体育館裏の平べったい石めくれば『おっぱい』ぐらいいくらでも見つかるんじゃねーの?
知らんけど」という飽き具合だ。
『おっぱい』はハサミムシやダンゴムシのように石の下にはない。
それぐらい僕は『女の裸』に情熱を失っている。
『持っている者の余裕』とは少し違う。
「見てどうする?
どうなる?
所詮、自分自身の裸だぜ?」
それは一種の『諦めの境地』のようなモノだ。
男が自分の股間を見て興奮する・・・アホか、という話だ。
女が自分の『おっぱい』を見て興奮する。
有り得ない話だ。
その有り得ないシチュエーションが僕に起きている。
沐浴をしようとしない僕に男エルフはため息をつきながらゴニョゴニョと呟くと二人の透明なメイドさんを空中から登場させた。
二人のメイドさんは空中に水蒸気が集まって誕生したように見えた。
「これが何だかわかるか?」と男エルフ。
「彩色前のラブドール・・・」
「違う!」男エルフは顔を真っ赤にしながら否定した。
『翻訳魔法』はどのように訳したんだろう?
つーか男エルフは照れてるのか?
可愛いところ、あるじゃねーか。
「この娘達は『水の低級精霊』だ。
貴様の『沐浴』を手伝うように命令した」と男エルフ。
いいよ、風呂ぐらい1人で入れるよ。
僕はお貴族様か。
しかしこういう透明の美女って松本零士の世界じゃ当たり前にいるよね。
『科学の結晶』っていうんかね?
「『クレア』『メタルメナ』、ありがとう。
でも風呂ぐらい1人で入れるよ」
僕はなんとなくクリスタルな2人をそう呼んだ。
だってこういう2人って『銀河鉄道999』の食堂車の女の子みたいじゃん。
「勝手に名前をつけるな!」
慌てた男エルフが口を挟んでくる。
が、もう遅い。
透明な彼女達は男エルフの言う事を聞かない。
僕は何が起きているのか訳がわからない。
仕方なく男エルフが説明する。
「あの娘達2人は俺が呼び出した、この地の『水の精霊』だ。
呼び出したばかり、俺の魔法により『仮契約』している存在だった。
一応『仮契約』しているから俺の言う事を聞く。
そして仮契約が終わり次第姿を消す・・・予定だった」
「『予定』?
その『予定』が変わっちゃったの?」と僕。
「貴様のせいでな!
この世界で『名前』は大きな意味を持つ!
俺は貴様の名前を呼んでいない。
貴様も俺の名前を呼んでいないだろうが!
精霊にとってもそうだ!
『水の精霊』との契約は、いくつか方法はあるが一般的なモノは『水に連なる者が名前を与える事』だ!
貴様は今『水神代理』『水龍代理』なのだ。
いくら未熟とはいえ『水の精霊』に名前を与えるには充分な存在だ。
だから俺と『水の精霊』との仮契約はこの場をもって破棄。
『水の精霊』は貴様と正式に本契約を結んだのだ!」
「そんなの知らんし。
それに『リウム』の名前を知る前に僕はこの世界に連れて来られたよ?」
「『リウム様』を呼び捨てにするな!
貴様から仮契約を望んだのだろうが!
『賽銭箱(アーティファクト』に祈って!」
そういや、初詣で神社の賽銭箱の前で祈ったわ。
『金持ちになりたい』って。
その結果、異世界に来ている。
だったら、ここに来たのって僕の意思?
「しかし、リウムとは本契約してなかったんだよ?
だって『リウム』の名前なんて知らなかったし」
「呼び捨てするな、と言うのに・・・。
まあ良い。
俺は本契約していなくてもその地の『水の精霊』を呼び出す事が出来る。
それは俺の能力のおかげだ。
『他の世界の存在をこの世界に呼び寄せて仮契約出来る』
それはリウム様の能力あってこそだ」
「ふーん。
で今の『僕の状態』はどうなってるの?
『リウム様』とは『仮契約』なの?
『本契約』なの?」
「仮契約でもリウム様の能力なら貴様を今の状態に止めおく事が可能だろう。
それほどまでにリウム様の能力は大きい。
しかし喜べ。
貴様はリウム様と本契約を結んでいる状態だ。
しかも『水神』『水神代理』という限りなく対等に近い関係として」
「『限りなく対等に近い』って言うんならアンタだって僕を『リウム様』と同じように敬わなきゃいけないんじゃないか?
それをしたくないから僕の事をいつまでも『貴様』って呼んでるんだよね?」
「そ、そんな事はないぞ!
俺が貴様の名前を呼ばないのは『貴様の名前を知らないから』だ!」男エルフは分かりやすく狼狽える。
「おかしいな?
僕の名前は『リウム様』に伝えたけどな。
『名前を翻訳するとあまり良い意味じゃない言葉だ』というのと『ブローという風神を讃える文言が名前の中に入っている』という言葉で『異世界では違う名前を名乗った方が良いんじゃないか?』ってところで話が止まってるんよね。
そんなに名前が大事なモノなら『先ず真っ先に』名前を決めないか?
敢えて呼ぶ名前を決めないで『貴様』と呼んでるのは何でだ?
僕と『本契約』するのが嫌なんだろ?
僕を『神代理』として敬うのが嫌なんだろ?」
これは言うつもりなんてなかった。
でも何度も「貴様」呼ばわりされるのが本当に気分悪かった。
だから思わず意地の悪い事とは知りつつも、男エルフに言ってしまった。
「わ、わかった。
『貴様』と何度も言った事は詫びる。
実は名前はリウム様より聞いている。
確か『タバサブロー』だったな?」
惜しい!
ほとんど正解だ。
「さすがに『ブロー』とは『水神』に仕える身でありながら呼べない。
『タバサ様』と呼んでも構わないか?」
誰やねん!
僕は内心爆笑していたが「うむ、苦しゅうない」と答えた。
答えてしまった。
この先、僕は異世界のあらゆるところで『タバサ』と呼ばれる。
それはさておき『クレア』と『メタルメナ』と名付けた『水の精霊』2人が僕を風呂場に放り込む。
風呂場の印象を一言で言うなら「広い」。
ガキの頃に行った『道後温泉本館』ぐらい広い。
あの広さで、そこにいるのは僕と『クレア』と『メタルメナ』だ。
シャンプーとか石鹸とか異世界に無い物を持ち込んで、異世界で大儲け。
毎日、銀座で寿司。
寿司からの河豚。
僕の貧困な『金持ち像』は置いといて、どうやらリウムはシャンプーとか石鹸を地球から持って帰っているらしい。
でも自分の風呂場で使ってるだけみたいだから許してやるか。
・・・良く考えたら僕、石鹸とかシャンプーの作り方わからんし。
しかし本当に許しがたい事が判明した。
シャンプーの種類が微妙に古い。
過去に日本に来た時にまとめ買いしたんだろう。
『♪ようこそ、日本へ~』と歌いたくなる銘柄だ。
古いのはしょうがない。
トニックシャンプーがない、ということが問題だ。
これは由々しき問題だ。
あのシャンプーした後、頭がスカッと爽やかになるような感覚が僕は大好きだ。
それも我慢しよう。
我慢しがたいが我慢しよう。
我慢出来ないのは『トリートメント』
『トリートメント』って何だ?
どうやら女は「頭を洗った、それで終了」じゃないらしい。
しかも髪が妙に長いのも問題だ。
頭洗うのにどれだけ時間を使うんだよ?
まあ、僕ぐらいの髪の長さならまだマシな方なんかな?
肩ぐらいまでの髪の長さだ。
この長さでも充分鬱陶しい。
刈り上げても良いよな?
女性でも刈り上げてる人いるし。
『水神代理』でも刈り上げOKなんだろうか?
救いは『クレア』と『メタルメナ』の2人がせっせと風呂場で僕の身体のケアをやってくれる事だ。
任せておけば良いなら多少面倒臭くても我慢出来るかな・・・なんて考えていた時期が僕にもありました。
任せておいたらどこまでも『少女趣味』に『クレア』と『メタルメナ』が走る、という事に気付いたのはその日の真夜中。
『クレア』と『メタルメナ』が少女趣味なのではなくて、少女趣味なのはリウムだった。
『クレア』や『メタルメナ』に限らず、この地の『水の精霊』達は何度も呼び出されリウムの身の回りの世話をさせられていた。
何度も呼び出されて指示を受けていたら、言われなくても『リウムの好みのケア』を出来るようになっていた。
初めて僕がリウムを見た時の印象が『女子高生ぐらいの女の子』だった。
つまり、『若い女の子のケア』をリウムは好んで『水の精霊』達にさせていた。
だから『クレア』と『メタルメナ』に身の回りの世話を僕が任せていたら・・・。
うつらうつらしていた。
子供の頃から「風呂場で寝ちゃダメだ」なんて言われて来たけど、今日はしょうがないよね?
だって半透明とは言え裸の美女に囲まれているんだから。
『お前も裸だろ』って?
一人称視点の裸って全然興奮しないよ?
多分FPSのエロゲとか売れないぜ?
興奮しないのは僕が女に変わったから説もあるんだけど。
だから『水の精霊』の裸を見ても何とも思わなかったんだけど『あんまりじっくり見たら失礼だな』と思って目を瞑ってた。
そうしたらいつの間にか熟睡してた。
ガーガー寝ちゃった僕は素っ裸のまま風呂場から運び出されて着替えさせられて寝室に連れて行かれたようだ。
でも僕、本格的におかしいぞ?
女の裸に全く興味を示さないの何なんだ?
きっと『それどころじゃない』からだ。
心に余裕が出来てきたら『うひょーパイオツだ!』って猿みたいに興奮するに違いない。
それもアホ丸出しな気がするが。
ふと目を覚ます。
「オメザメデショウカ?オジョウサマ?」
『オジョウサマ』て誰やねん。
何でカタコトやねん?
目の前に『クレア』がいる。
お前喋れたんかい!
・・・て事は『オジョウサマ』って僕の事かい!
『クレア』と『メタルメナ』はメイド服を着ている。
これもリウムの趣味なんだろう。
「・・・喋れたんだね」と僕。
「水神様ハ私達ヲモウ少シ滑ラカニ会話サセラレマス」
どうやらリウムの能力があれば『水の精霊』達はもっと色々やれるらしい。
ちょっと待て。
リウムと『水の精霊』達は仮契約だよな?
本契約してる僕より『水の精霊』を上手く扱えるってマジで恐ろしいな!
完全に覚醒して、寝室を見渡してみる。
「何だ?この少女趣味の空間は?」
女がみんなこれが好みな訳がない。
むしろ大概の女性が僕と同じ「目が疲れる」という感想を抱くだろう。
これは『一般的な女性の感性の部屋』じゃない。
『リウムの感性の部屋』だ。
精霊達は繰り返しリウムに呼び出される中で『リウムの感性』を学んだのだ。
だから『クレア』と『メタルメナ』が作った『僕の部屋』は『リウムの感性』全開なのだ。
しかし一面ピンク色だ。
フリフリのリボンがそこいらじゅうについている。
ベッドが天蓋付きだ。
これ、ネットで売ってるよね。
あんまり高くない値段で。
でも洗濯が本当に面倒臭いんじゃない?
しかしリウムの趣味ってわかりやすい。
リアルの男が敬遠するタイプの女子だ。
「お前みたいなのはアニメの中だけにいてくれ」と。
ふと自分の格好を見る。
ピンクのネグリジェだ。
本当に徹底してやがるな。
どんな格好して良いはわからなかったから、着替えさせてくれたのは助かると言えば助かる。
しかしこの部屋の中の物、よく一瞬で準備出来たな?
もしかして『水の精霊』て無茶苦茶便利?
・・・と思っていたところに男エルフが現れた。
どうやら僕が『沐浴』していた間、席を外してくれていたようだ。
「何だ、この部屋は?
『水の精霊』が準備したのか?
俺が準備するより良い仕事だったかも知れないが・・・。
何だ、リウム様のコレクションを使ったのか。
リウム様は『可愛いモノ』が好きなのは良いが、いかんせんコレクションは『持ち腐れ』になってきていたからな。
有効利用と言えなくもない」
男エルフは『水の精霊』達を「勝手にリアル様の物を使うな!」と叱るに叱れない。
何故ならリアムは『水の精霊』達に「ここにあるモノは自由に使いなさい」と普段から指示を与えていて、男エルフはそれを知っていたからだ。
僕としては『勝手に使うな!』と怒鳴り飛ばして欲しかった。
僕がリウムの持ち物でフリフリの格好をさせられていても、男エルフは何も文句は言わない。
言えないのだ。
可愛らしい僕の格好を見てリウムがキャー言って喜ぶ姿が目に浮かぶようだから。
ここにそんなフリフリしたような着替えしかないのはわかった。
それを着ても誰も文句は言わない。
面白くない。
裸で寝るよりはマシなのかも知れない。
というか『水の精霊』達が僕の身の回りの世話を勝手にして、裸では寝させてくれない。
八つ当たりだ。
夜中にヒョコっと顔を出した男エルフに言う。
「アンタは僕に名乗らせておきながら、自分は名乗らないんだね」と。
「『名乗りたくない』とか、そんなつもりはない。
聞きたくないのか、と敢えて言わなかった。
聞きたかったのであれば悪かった」と男エルフは謝罪する。
『聞きたかったか?』と言われたら、本音では『別に?』というものだ。
「俺の名前は『ラング』
リウム様の4番弟子だ。
この『神ハウス』の管理人を任されている。
よろしく頼む」




